なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生道場9

 

 

◆ 朝の散歩道・カーとの再会 ◆

 

 

 休日の朝。

 安生道場に行く前のウォーミングアップで、青見はいつもの住宅街をランニングしていた。

 

 まだ早い時間帯で、人通りは少ない。

 ひんやりした空気を胸いっぱいに吸い込み、リズムよく足を運んでいると――

 

「わふっ!」

 

 曲がり角の向こうから、短く元気な声。

 

(あ、やべ)

 

 反射的にそう思った次の瞬間、視界いっぱいに茶色のもふもふが飛び込んできた。

 

「うおっ!?」

 

 ドンッ、と体当たりみたいな衝撃。

 大型犬が全力で飛びついてきて、青見はあわてて腰を落として受け止める。

 

「カー、待って! 減速減速!」

 

 少し遅れて、小柄な女の子の声が追いついてきた。

 

 紺色のジャージに、上からパーカー。

 黒髪をうなじ辺りで束ねて垂らしたおさげの少女。

 見た目は完全に “朝の散歩に出てきた近所の高校生” だけど、目だけが年齢より少し大人びている。

 

 三森玲子――高校一年生。小柄な、青見の後輩だ。

 

「ご、ごめんなさい青見先輩! カー、青見先輩見つけるとテンション上がっちゃって……!」

 

「いや、もう慣れたから大丈夫」

 

 そう言いつつ、胸に乗っかってる重量にちょっとだけよろける。

 

「……お前、また重くなっただろ絶対」

 

 大型犬――カーは、前脚を青見の肩にかけて、舌全開で顔をペロペロしてくる。

 

「ちょ、やめ冷たっ……!」

 

「カー、キスは一回まで! 女の子の前でやるスキンシップじゃないから!」

 

「わふっ」

 

 玲子にリードを引かれて、カーは素直に一歩下がり、青見の目の前で “おすわり” した。

 

 つやのある毛並み、大きな体、尻尾はメトロノームみたいにぶんぶん。

 なのに、その瞳の奥だけは妙に賢そうで、人の言葉を“意味付きで”理解しているように見える。

 

「おはようございます、青見先輩」

 

「おう、おはよ、三森」

 

 軽く会釈を交わすと、カーが「わふ」と一声挟んだ。

 

「はいはい、お前もおはような」

 

 青見が苦笑しながら頭を撫でると、カーは目を細めて気持ちよさそうに喉を鳴らす。

 

 ――この犬は、あの“天才の証”の夜に、玲子と一緒に助け出した大型犬だ。

 そのまま三森邸で引き取られ、“家族”になった。

 

 

◆ カーという名前 ◆

 

 

「そういえばさ」

 

 カーの首元をわしゃわしゃしながら、青見は前から気になっていたことを口にした。

 

「“カー”って、どういう意味なんだっけ? 前、ちゃんと聞いてなかった気がする」

 

「意味、ちゃんとありますよ」

 

 玲子が、少し誇らしげに笑う。

 

「エジプト神話で〈カ〉って、〈生命力〉とか〈守護霊〉って意味なんです。

 それと、ケルト語で〈犬〉って意味もある単語があって」

 

「生命力に、守護霊に、犬」

 

「はい。ぜんぶこの子に欲張って詰め込んだ結果、“カー”になりました」

 

 名前を呼ばれて、カーは「わふっ」と短く吠え、尻尾をさらに激しく振る。

 

「……名前負けしてないよな」

 

「してないですよ、ほんとに」

 

 玲子はカーの頭をなでながら、少し照れくさそうに続ける。

 

「“あのとき”だって、あたしを庇って一番前に出てくれましたし。

 今でも、変な音や匂いがすると、すぐ気づくんです」

 

「犬の勘+異界知識教育か」

 

「やめてください、“異界知識教育”って言い方」

 

 玲子が肩をすくめる。

 

「でもまあ、実際そうなんですけど……

 あの人たち、あたしに“教育映像”見せるとき、カーも同じ部屋にいたから。

 たぶん、普通の犬よりいろいろ覚えちゃってます」

 

「“犬とは思えないほど頭が良い”ってやつか」

 

「はい。問題集とかやらせたら、きっとあたしより先に答え覚えますよ」

 

「それはそれでショックだな」

 

 軽口を叩き合っていると、カーが首を傾げた。

 “自分の話してる?” とでも言いたげな顔で。

 

「カー」

 

 玲子が名前を呼ぶと、ピシッと姿勢を正す。

 

「“危ない音”は?」

 

 その質問に、カーの耳がぴくりと動いた。

 

 遠くで走る車、電車の音、風で揺れる木。

 一つ一つ確かめるみたいに耳を動かしたあと――カーは、その場でストンと伏せた。

 

「今は“安全”って」

 

「たぶん、そういうことだと思います」

 

 玲子は、カーの背中をさすりながら言う。

 

「“異界知識教育”のせいで、パターンとかリズムにすごく敏感なんですよ、この子。

 テレビでニュース流してるときでも、たまに特定の音にだけ唸ったりしますし」

 

「……“あの夜の音”に似てるやつか」

 

「そう、だと思います」

 

 玲子の目が、一瞬だけ遠くを見る。

 

 あの真紅の夜。

 実験台みたいに扱われた子どもたち。

 冷たい笑い声と、壊れていく音。

 

 ――その全部を、一緒にくぐり抜けた“仲間”でもあるから、

 この大型犬を、ただの“ペット”だと思うのは難しい。

 

 

◆ 後輩と犬と、朝の道 ◆

 

 

「ところで青見先輩」

 

 玲子が、ふっと表情を和らげた。

 

「最近、顔つき変わりましたね」

 

「え、マジで?」

 

「はい。

 前は、なんかずっと“噛みつきそうな警戒モード”って感じだったんですけど」

 

 玲子は、自分の眉間を指でちょいちょいとつつく。

 

「今は、“いつでも動けるけど、今は大丈夫な時だから力抜いてる”みたいな顔してます」

 

「安生道場のせいかな」

 

「安生道場?」

 

「李さんのとこ。じいさんの道場」

 

「あ、前言ってた“基礎めちゃ厳しいとこ”ですね」

 

 玲子は、くすっと笑う。

 

「たぶん、そのおかげで“殴る側”としてちゃんとした形になってきてますよ」

 

「物騒な褒め方やめろ」

 

「褒めてるんですってば」

 

 カーが、その会話に合わせるように、青見の足元をくんくんと嗅いだ。

 汗と、畳と、道場の匂いが混ざった匂いがするのだろう。

 

「……カーも、“ちゃんと戦える匂い”って覚えてるかもですね」

 

「覚えなくていいこと覚えるな、お前は」

 

「でも、そういう子だから、生き延びたんですよ」

 

 玲子は、カーの首輪を軽く持ち上げる。

 

「先輩と、あの夜のことも。

 ちゃんと覚えてて、ちゃんと嬉しくて、ちゃんと心配してるんだと思います」

 

「心配される筋合いない気もするけどな……」

 

 そう言いつつ、カーの頭に手を置く。

 

 ぐい、と自分の方に額を押しつけてくる仕草が――

 “無事か”と確かめているみたいで、なんだかくすぐったかった。

 

「朝の散歩、どのくらい歩くんだ?」

 

「この先の公園まで一周して戻るコースです。

 道場行く前でしたら、ちょっとだけ一緒に歩きます?」

 

「ランニングのクールダウンがてら、一周くらいなら」

 

「じゃ、カー。“護衛モード・弱”」

 

「わふ」

 

 よくわからないモード指定に、カーは真面目な顔で立ち上がる。

 

「護衛モード・弱ってなんだよ」

 

「不審者が来たら、あたしと先輩の間に入るけど、無駄に吠えないモードです」

 

「モード制なのかよ……」

 

 呆れつつも、三人(人2+犬1)は並んで歩きだす。

 

 カーは、本当に玲子と青見のちょうど真ん中をキープしながら、

 曲がり角や路地、電柱の陰を、そのつど確認するみたいに視線を動かしていた。

 

(……やっぱ名前通りだな)

 

 〈生命力〉〈守護霊〉〈犬〉――カー。

 その全部を背負って、当たり前みたいな顔して、二人の前を歩いたり、間に入ったりしている。

 

「カー」

 

 ふと呼んでみる。

 

 カーはすぐに振り向き、首を傾げた。

 

「――あんときも、今も。ありがとな」

 

 その一言に、カーは小さく「わふ」と鳴いて、尻尾をひと振りした。

 

 ありがとうを理解しているのか、

 “任せろ”と言いたいのか。

 

 どっちとも取れるその仕草に、玲子も小さく笑う。

 

「……ほんと、犬だよな?」

 

「犬ですってば。

 ちょっとだけ、異界知識とトラウマと執念が混ざった犬ですけど」

 

「形容が重い」

 

 そんな他愛もないやり取りをしているうちに、道場へ向かう分岐点が見えてきた。

 

「じゃ、あたしたちはこっちです」

 

「おう。俺はここから道場」

 

「今日も、死なない程度に頑張ってくださいね、先輩」

 

「ハードル低いな」

 

「一番大事なラインですから」

 

 玲子が笑い、カーが「わふっ」と一声。

 

「じゃ、またどっかの朝で」

 

「はい。またお会いしましょう、“命の恩人”」

 

「その呼び方やめろ」

 

 軽く手を振り合って別れたあと、

 背中の方から、カーのもう一声が聞こえた。

 

「わふっ!」

 

 その声は、やっぱり「いってらっしゃい」に聞こえた。

 

 

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