なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生道場10

 

 

◆ 放課後・安生道場の門前 ◆

 

 

 その日の稽古も、ひと通り終わった。

 

 前蹴り、馬歩、型、ミット。

 龍と胆の指摘は相変わらず容赦がなく、最後は梨花たちとの軽い組手で〆。

 

「――今日はここまで」

 

 龍のその一言で、張り詰めていた空気が少し緩んだ。

 

「ありがとうございました!」

 

 道場中の声が揃う。

 青見も深く一礼し、汗を拭きながら木刀とタオルを片付けた。

 

「青見くん」

 

 道着姿の梨花が近づいてくる。

 

「今日はこのあと、まっすぐ帰る? おじい様、もうちょっと見たそうな顔してたけど」

 

「今日は勘弁してください……腕がもうプルプルなんで」

 

「ふふ、了解。じゃあ玄関の鍵、閉める前に声かけてね」

 

「はーい」

 

 そう返して、道場の引き戸をガラリと開ける。

 

 夕方の風が、熱のこもった体に気持ちいい。

 西日が傾き始めた道場前の坂道には――

 

「わふっ!!」

 

「うおっ!?」

 

 茶色い弾丸がいた。

 

「カー、ストップ! ブレーキ、ブレーキ!!」

 

 その後ろから、小柄な女の子が慌ててリードを引いている。

 

 紺色のブレザーにプリーツスカート。

 学校指定の肩掛けバッグ。

 朝のジャージ姿とは違う、ちゃんとした制服モードの三森玲子――高校一年、自分の後輩だ。

 

「ちょ、ちょうど良く出てきましたね青見先輩! カー、減速ってば!」

 

 大型犬カーは、それでもある程度ブレーキをかけたらしく、

 さっきよりは控えめな勢いで青見の胸に前脚をドン、と乗せた。

 

「……“控えめ”でこれなのかよ」

 

「いつもの全力よりはマシです!」

 

 玲子が、ぜぇぜぇ言いながらリードを短く持ち直す。

 

「ごめんなさい、先輩。放課後ここ通るってわかってたみたいで、家出るときから玄関前でそわそわしっぱなしで……」

 

「いや、まあ。朝も会ったしな」

 

「“朝会った人は夕方もう一回会える確率が高い”って、変なパターン覚えてるんですよ、この子」

 

 カーは「わふ」と短く吠え、尻尾をぶんぶん振りながら青見を見上げた。

 

 道場の汗の匂いが気になるのか、道着の袖をくんくんと嗅ぐ。

 

「……とりあえず、ただいま」

 

「わふっ」

 

 おかえり、とでも言いたげな声だった。

 

 

◆ “迎えに来た”理由 ◆

 

 

「で、なんで道場の前にいるんだ、お前ら」

 

 カーの頭をわしゃわしゃやりながら尋ねると、

 玲子は「あのですね」と、ちょっとだけ言いにくそうに頬をかいた。

 

「放課後、家に帰る前に、ここ通るルートがあるんですよ。

 カーの散歩コースと、先輩の“安生ルート”が、途中まで被ってて」

 

「安生ルートって名前やめろ」

 

「で、朝の散歩のときに“ここが先輩の修行場所”って教えたら――」

 

「わふ!」

 

 カーが自慢げに一声。

 

「今日の放課後、“あそこ行く”って玄関から動かなくて」

 

「お前が決めたのかよ……」

 

「“命の恩人+最近ちゃんと鍛えてるか確認対象”だと思ってるみたいで」

 

「後半の評価が厳しいな」

 

 カーは、まるで会話の内容がわかっているかのように、

 青見の前でトトトッと一歩下がって“おすわり”した。

 

 その背筋は妙にまっすぐで、どこか“礼儀正しい”。

 

「それとですね」

 

 玲子が、少しだけ真面目な表情になる。

 

「お父さんが、“道場の先生方にちゃんと挨拶しなさい”って言ってて。

 ……“娘と犬の命を助けたお兄さんを鍛えてくれてる人たちに”って」

 

「あー……」

 

 それは確かに、親としてはそうなるか。

 

「だから今日は、まず雰囲気だけ見に来ました。

 いきなり家族総出で突撃したら迷惑かなって」

 

「それはたぶん正解だな」

 

 李の“にょほほ”顔で迎えられる三森ファミリーを想像して、

 青見は思わず額を押さえた。

 

 

◆ 安生サイドの反応 ◆

 

 

「おーい、青見くん。忘れ物――」

 

 道場の引き戸が、ガラリともう一度開く。

 

 顔を出した梨花が、そこで固まった。

 

「……あれ?」

 

 視線の先には、制服姿の可愛い後輩女子と、もふもふ大型犬。

 そして、その間に立つ青見。

 

「青見くん、そちらの方は?」

 

「あ、えっと」

 

 説明しようとしたところで、玲子がぺこりと頭を下げた。

 

「はじめまして。三森玲子といいます。

 青見先輩の、学校の後輩です。――カーと一緒に、お迎えに来ました」

 

「迎えに来たって言い方やめろ」

 

「事実なので」

 

 素で返される。

 

 梨花は一瞬だけ目をぱちぱちさせたあと、ふっと柔らかく笑った。

 

「そうなんだ。

 はじめまして、安生梨花です。ここの……一応、孫兼、弟子兼、雑用係?」

 

「役職多くないですか?」

 

「家業ってだいたいそういうものだよ」

 

 梨花はカーの方にも目を向ける。

 

「わぁ……大きい。

 こんにちは、カー」

 

「わふ」

 

 カーは軽く一声返し、

 “ここの空気を読むモード”に切り替わったのか、静かに座り直した。

 

 梨花は、軽く首を傾げる。

 

「……なんか、“普通の犬じゃない”感じがしますね、この子」

 

「ですよね」

 

 玲子が即答した。

 

「ちょっと、異界知識とトラウマと執念が混ざってる犬で」

 

「紹介文が重い」

 

 梨花は小さく笑ってから、青見の方をちらっと見る。

 

「青見くん、“怪異”関係?」

 

「たぶん、そのへんの名残です」

 

「了解」

 

 それだけで、深くは聞かなかった。

 代わりに、道場の中へ声を張る。

 

「おじい様ー! お客さんと犬でーす!」

 

「犬ごと呼ぶな」

 

「犬もお客さんですよ?」

 

 ほどなくして、奥からぺたぺたと足音が近づいてきた。

 

「にょほほ、なんじゃなんじゃ。かわいい声が聞こえたと思ったら――」

 

 引き戸の向こうから顔を出した李が、カーと目が合う。

 

 次の瞬間、カーの耳がピンと立った。

 

「わふっ」

 

 短い警戒音。

 ほんの一瞬だけ、玲子の前に一歩出る。

 

(お、今の動き――)

 

 青見は、思わず相良の稽古を思い出した。

 一足一刀の間合いの手前で、“一歩だけ線を引く”ような止まり方。

 

「にょ……?」

 

 李は一瞬目を細め、すぐににやりと笑う。

 

「良い目をしとるのう、この犬」

 

「えっと、その……」

 

 玲子が少し緊張したように頭を下げる。

 

「はじめまして。三森玲子といいます。

 青見先輩には、その……前に少し助けてもらって。

 それで、ここの道場でお世話になっていると聞いて、ご挨拶を」

 

「にょほほ。挨拶など気にせんでもよいが……

 ――その犬、“守る目”をしとる」

 

 李は、カーの鼻先に手を差し出した。

 カーは一瞬だけ匂いを嗅ぎ、そのあと、するりと手の甲に自分の頬を押しつける。

 

「わふ」

 

「ほう」

 

 李の目つきが、いつもの“からかい半分の老人”から、“武術家のそれ”に変わる。

 

「今、一瞬“噛むかどうか”迷ったじゃろ」

 

「……わかるんですか?」

 

 玲子が目を丸くする。

 

「迷った末に、“匂いを嗅いでから決める”選択をした。

 ――ちゃんと、“一拍置く頭”がある犬じゃ」

 

「一拍置く頭って表現新しいな」

 

 青見がぼそっと呟く。

 

「えーと、その……」

 

 玲子は、小さく息を吸って言った。

 

「この子、カーっていいます。

 〈生命力〉〈守護霊〉〈犬〉って意味があって」

 

「にょほほ。たいそうな名をもろうたの」

 

 李は満足げに頷く。

 

「安生李じゃ。こやつをしごいとる張本人よ」

 

「いつもお世話になってます!」

 

 玲子は慌てて深く頭を下げた。

 カーもつられてぺこっと頭を下げるような仕草をする。

 

「わふ」

 

「おお、礼もできるのか。

 ……にょほほ。お主、稽古場にも入れるかの?」

 

「いや、さすがに犬は――」

 

「土間で見学くらいならええじゃろ。

 “危ない音”が鳴ったら吠えるかもしれんが」

 

 玲子が「あ、それわかるんですか」と目を見開く。

 

「さっきから耳の動き見ておった。

 車の音、風の音、人の足音……全部拾っとる」

 

「さすが、じいさんだな……」

 

 青見が肩をすくめると、梨花がくすっと笑った。

 

「ね。だから、“彩女ちゃんに誤解されそうな案件”は、あらかじめちゃんと説明しといた方がいいよ?」

 

「そこですか?」

 

「そこです」

 

 梨花は即答した。

 

 

◆ “迎えに来た”と“送り出す” ◆

 

 

「じゃ、今日はこのくらいで」

 

 梨花が、軽く手を叩く。

 

「おじい様、晩ごはんもあるしね。

 三森さん、今度よかったら、ちゃんと日を決めてご家族で来てください。

 うちは基本、“礼儀を尽くしてくれる人”は大歓迎なので」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 玲子が、ほっとしたように頭を下げる。

 

「カーも、そのときはちゃんとシャンプーしてきます」

 

「わふ?」

 

 犬本人(犬本犬?)は、シャンプーと聞いて微妙そうな顔をした。

 

「青見くん」

 

 梨花が、わざとらしく小声で囁いてくる。

 

「彩女ちゃんには、“命の恩人の後輩と、その護衛犬が道場前まで来た”ってちゃんと言っとくんだよ?」

 

「言い方がもう誤解を招くんだけど」

 

「誤解されないように説明するのが青見くんの仕事だから」

 

「ですよ先輩。

 “変なフラグ立てたまま放置しました”ってパターン、だいたいろくなことにならないですし」

 

 玲子まで真顔で乗ってくる。

 

「お前ら、そういうとこだけ妙にシビアだよな……」

 

 ため息をつきつつも、どこかおかしくて笑ってしまう。

 

「じゃ、そろそろ帰るか、三森」

 

「はい。――カー、“護衛モード・弱”」

 

「わふっ」

 

 カーが立ち上がり、玲子と青見の間、半歩だけ前に出る。

 

「またモード出たよ」

 

「使い勝手いいんですよ、“弱”と“強”と“遊び”と“睡眠”があります」

 

「睡眠はただ寝てるだけだろ」

 

「そうとも言います」

 

 門の前で、もう一度李と梨花に頭を下げてから、

 三人(人2+犬1)は並んで坂道を下り始めた。

 

「じゃ、ここで」

 

 少し歩いた先の交差点で、青見は足を止める。

 

「俺、この先コンビニ寄ってから帰るから」

 

「了解です。

 じゃ、今日のところは“ここまで”ってことで」

 

「何目線だよ」

 

「“命の恩人の健康チェック係+犬の飼い主”目線です」

 

 玲子が、からかうように笑う。

 カーは「わふっ」と一声鳴いて、尻尾をひと振りした。

 

「また、朝の散歩で」

 

「おう。……そのうち彩女にもカー紹介しないとな」

 

「楽しみです、“青見先輩の大事な人センサー”がどう反応するか」

 

「やめろ、そういう実験タイトルみたいなの」

 

 軽く手を振り合って別れ、

 背中の方から、カーのもう一声が聞こえた。

 

「わふっ!」

 

 今度の声は、さっきより少し大きくて――

 さっきまで彼を鍛えていた道場にも、ぎりぎり届くくらいの音量だった。

 

 “いってらっしゃい”と、“おつかれさま”と、“またね”を全部混ぜたみたいな声に聞こえて、

 青見は知らず知らず、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 

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