父と母の“馴れ初め暴露大会”がひと段落した頃、ふと父が表情を引き締めた。
「それで――お母さんが狙われたのか?」
首のガーゼに視線を落としながら、静かに尋ねる。
彩女はスプーンを置き、軽く息をついた。
「……今朝、わたしのところにも来たわよ」
「え?」
三人分の視線が、一斉に彩女へ向く。
「今朝、起きる前。寝室でさ」
彩女は、少し思い出すように目を細めた。
「胸の上に、のしかかられる感じがして、息がしづらくなって……“あ、これ金縛りってやつ?”って思ったんだけど」
「その時点で落ち着きすぎじゃない?」と青見。
「で、よく見たら――あの匂い。あのゼリーの、ちょいコンパクト版みたいなのが、わたしの上にいたのよ」
「完全にアウトな光景だな……」
「“やっぱりコイツか?”って思って、とりあえず腕動かそうとしたら、金縛りかけようとしてきて」
「“してきて”って」
「でも、なんかうまく効かなかったみたいでさ。力入れて『動くな』ってやってる感じなのに、普通に動けたから――」
彩女は、自分の頬をぱしんと叩く仕草をしてみせた。
「思いっきりビンタしたら、変な悲鳴あげて、その場でモヤっと消えた」
「ビンタで退治される怪異とは……」
青見が、なんとも言えない顔をする。
「で、消える前に、ちょろっと漏らしてたのよ。“あのガキ”がどうの、“水が腐ってるのも気づきやがって”とか」
「それ、完全にオレ狙いじゃないですか」
青見が、げっそりした声で言う。
「その前から、青見に色々悪さしてたっぽいしね。ドリンク腐らせたり、宿で出てきたり。だから、ターゲットは最初から青見。うちは、近くにいるから巻き添え人質モードって感じじゃない?」
「まあ、筋は通るわね」
母があっさり頷く。
そこで父が、真面目な眼差しを向けてきた。
「さっき話に出てた“水やドリンクが腐った”とか、“宿で出た”ってやつ。もう少し詳しく、聞かせてもらえる?」
「あ、はい」
青見は姿勢を正し、剣道大会の日のことを話し始めた。
会場で、自分の水やスポーツドリンクだけが、異様な臭いと色を帯びて腐っていたこと。
夜、宿の部屋で一人になったとき、あの獣臭と腐臭とともに“何か”が現れたこと。
そして、その夜はどうにかやり過ごしたこと――。
ひと通り話し終えると、テーブルの上に静寂が降りた。
「ふむ……」
父が腕を組む。
「そうすると、やっぱり起点は剣道大会、か」
「そうなるよね」と彩女。
「会場にいた誰かが、あの日から青見に粘着してる、って感じ」
「“誰か”って言っても、だいぶ絞られるわよ」
母が淡々と補足する。
「怪異なんて、何もないところからぽんっとは出てこないから。誰かの恨みとか、執着とかが、形を取ることが多いの」
父がぽんと手を打った。
「そうすると――剣道大会に出場してた選手、かな?」
「青見に殴られて、その朝に負傷で棄権した選手が犯人?」と彩女がすぐさま乗ってくる。
「……ああ」
青見の頭に、一人の顔が浮かんだ。
「アップのときに、ちょっと揉めたやつがいて。ぶつかりそうになって、口論になって……向こうが突っかかってきたから、防いだ拍子に、壁に手ぶつけて」
「実質殴ってる」と彩女。
「で、その選手は?」
「その日の試合、手首の負傷で棄権してました」
父と母が、微妙な顔を見合わせる。
「……条件そろいすぎてるわね」と母。
「だな」と父。
彩女が、そこでハッとしたように母の首元を見る。
「え? ちょっと待って」
ガーゼで覆われた傷。
さっきまで床に広がっていたゼリー状の“何か”。
「え? その人が本当に怪異飛ばしてたんだとしたら……さっきお母さん、バラバラにしちゃったけど、大丈夫?」
テーブルの上に、ずしんと重たい疑問が落ちる。
父が「おお」と変な声を出し、青見は「うわ」と顔をしかめた。
母は一瞬だけ考えるふりをしてから、あっけらかんと笑う。
「大丈夫大丈夫。罪には問われないわ」
「そうじゃなくて!!」
彩女のツッコミが炸裂する。
「法律の話じゃなくて! その選手、死んだり廃人になったりしてない!? って話!!」
「あー、そっちね」
母はスプーンの柄でテーブルを軽くとんとんと叩きながら、説明口調になる。
「ああいうのはね、“本体”が来てるわけじゃないのよ。さっきのは、あくまで“こっちに伸ばした手”みたいなもん」
「手……」
「だから、こっち側でバラバラにしたからって、その人間が即死、ってことにはならないわ。ただ――」
少し肩をすくめる。
「向こうに、どえらいフィードバックは行くでしょうね」
「どえらい……具体的には?」
「ひどい悪夢見て寝込むとか、しばらく起き上がれないとか、熱出すとか。まあ、“やらかしたツケ”としては安いほうよ」
さらっと怖いことを言う。
「逆に言えば、それでしばらく“こっち”に手を伸ばせなくなるなら、被害は止まるわけだし」
「防止のスケールが物騒なんだよなあ……」
青見がため息を吐く。
父は腕を組み直し、少し真面目な声に戻った。
「つまり、その選手が本当にやってたなら――今ごろ、かなりきつい目にあってる可能性が高い、ってことか」
「そうね」と母。
「その辺、学校経由で、“怪我したあの子のその後”をそれとなく聞いてみるといいかもね」
「顧問の先生に?」と青見。
「『自分のせいで怪我悪化してないか気になって』って言えば、不自然じゃないでしょ」と父。
「……分かりました。オレから聞いてみます」
そう答えた青見に、母がにこっと笑いかけた。
「さすが。ちゃんと“こっち側”と“あっち側”、両方のケジメつけようとするの、いいわね」
「褒められてるのか、おどされてるのか分かんないんですけど……」
とりあえず、今は。
さっきビンタで吹き飛ばされた“失敗した金縛り”と、
キッチンでバラバラにされた“ゼリーの本体(?)”のことは、ひとまず棚上げにして。