/*/ 広報誌の撮影日 /*/
「じゃ、次は二人並んで――そうそう、その感じでお願いします」
仮設の背景紙が張られた、視聴覚室の一角。
カメラマンの男性が、ファインダー越しに手をひらひらさせるたび、シャッター音が小気味よく鳴る。
向かって左が、東青見。インターハイ剣道個人戦・優勝。
白い道着に紺の袴、学校名入りの垂を着けて、竹刀を軽く肩に担いでいる。
右が、安達彩女。器械体操総合個人・優勝。
紺と白を基調にしたレオタードに、足首までぴんと伸びたライン。
ただ立っているだけで、ピンと張った弦みたいな緊張感がある。
(……近い)
青見は、目線だけをどうにも持て余していた。
真正面を向いていればいいはずなのに、視界の端に、やたらと彩女の肩と腰のラインが入り込んでくる。
(いや、レオタードなんて、いつもの練習で何回も見てるだろ……)
そう自分にツッコミを入れてみるものの、
(こんな至近距離で、向こうもちゃんとこっち向いてて、ってシチュエーションは、さすがに初めてだ)
レンズの向こうで「笑顔くださーい」と言われ、
慌てて口元だけ引きつらせる。
隣では、彩女がいつもの「写真撮られるときの顔」で、ほどよい笑みを浮かべていた。
その横顔に、つい視線が滑る。
途端に――
「青見くん、目線こっちねー。ついでにニコッとしようか」
「あ、すみません」
カメラマンにバレた。
◆ 原稿付き・模範解答 ◆
「えーと、インタビューの前に、これ目を通しておいてね」
写真撮影が一通り終わると、隅の机に案内された。
そこに置かれていたのは、几帳面にホチキス留めされたA4の数枚。
表紙には《広報誌・スポーツ特集 東 青見/安達 彩女 取材用原稿》の文字。
「……取材用“原稿”?」
彩女が、眉をしかめて紙をめくる。
中には、インタビューで聞かれるであろう質問と、その模範回答がびっしり並んでいた。
「え、これ、私たちで用意するものじゃないんですか?」
納得いかないという顔で問いかける彩女。
その前に、すらっとした長躯のスーツ姿――本校理事長、伊集院貴也が、どっかりと腰を下ろしていた。
「君たちに任せると、変なこと言うだろ」
「即答ですね、理事長先生」
青見が、半笑いでツッコミを入れる。
伊集院は、ふっと口元だけで笑った。
「広報誌なんだからね、外向きの発言で良いんだよ。『日々の努力の積み重ねが結果に』とか、『支えてくれた周りの人へ感謝を』とか、そういうやつ」
彩女は原稿をぱらぱらとめくって、首をかしげた。
「……でもこれ、読む人が読んだら、誰が答えても同じに見えません?」
「それでいいんだよ」
伊集院は、あっさりと言い切る。
「『青見東』『安達彩女』という名前と写真が載って、ちゃんとしてるコメントが添えてあれば、それで十分効果がある。学校の広報っていうのは、そういうもんだよ」
「身も蓋もないっすね」
「現実主義なんでね」
そこで、伊集院が青見の方を向いた。
「で、青見くん。君、自覚はある?」
「はい、自分で喋ると、とんちんかんなこと言う自信はあります」
青見は真顔で答えた。
伊集院は「だろうな」と肩をすくめる。
「だからだよ。君が素のまま喋ると、『勝てた理由? 守りたい人を守るって言う意志ですかね』とか言うだろ」
「あー……言いそうです」
自覚ありすぎる。
「安達さんは安達さんで、『青見がライバルです』とか、『次はあいつをひき倒す』とか言い出しかねん」
「ちょっと、なんでそうなるんですか」
「普段の君の発言を聞いてれば分かるよ」
伊集院のジト目に、彩女は微妙に目をそらした。
心当たりが、ないとは言えない。
「……まあ、“変なこと”っていうのは否定しませんけど」
「ほらな」
伊集院は、原稿の一部に指を置いた。
「ここ。“将来の夢は?”――この質問への回答、見てごらん」
そこには「スポーツを通して人の役に立てるような仕事に就きたい」の一文。
「君に任せたら、『青見の隣で笑ってられればそれでいいです』とか言いかねんだろ」
ピタリ、と空気が止まった。
「――――」
「――――」
青見と彩女が、同時に伊集院を見る。
「……え、それ、彩女、言うか?」
「いや、言わないし」
即座に否定。
が、彩女の耳が分かりやすく赤くなっていた。
「ね? こういう照れ方をするからダメなんだよ、君たちは」
伊集院は、まるで手の内を完全に把握しているかのような顔でため息をついた。
◆ レオタードの距離感 ◆
「じゃあ、お二人、こちらの椅子にどうぞー」
広報担当の先生が、丸椅子を向かい合わせに置く。
青見と彩女が腰を下ろすと、目の前のテーブルにボイスレコーダーが置かれた。
「質問は、さっきの原稿の通りですから。だいたいそのまま答えてくれれば大丈夫ですよ」
「“だいたい”って言いましたよね、今」
「アドリブはほどほどに、って意味です」
先生は笑ってごまかした。
青見は、膝の上で手を組もうとして――一瞬、視線を泳がせる。
真正面に座っている彩女は、さっきまで横にいたときより、さらに近い。
テーブルを挟んでいるとはいえ、レオタードのラインが、視界にダイレクトに飛び込んでくる。
(……これ、目線のやり場どうすりゃいいんだ)
道着の上からでも分かる自分の筋肉を「触りたい」と言われた日のことが、ふと頭をよぎる。
(人のこと言えないじゃないか、オレ)
視線を宙に泳がせていると、彩女がじとっと睨んできた。
「なによ」
「いや、その……」
青見は、少しだけ小声になる。
「彩女のレオタード姿が気になって仕方ない」
「はっきり言ったわね!?」
彩女の声が、思わず一段階上がる。
広報担当とカメラマンが「?」とこちらを見るので、慌てて咳払いしてごまかした。
「なによ、練習の時に散々見てるでしょ」
「いや、こんな近くで見ることないから」
ぽろっと漏れた本音に、彩女の動きが一瞬止まる。
(……言われてみれば、そうか)
いつもは、体操場の端から端まで転がったり跳んだりしている彩女を、少し離れたところから見ていた。
床の上、平均台の上、段違い平行棒の向こう側。
こうして、手を伸ばせば届く距離で向かい合っているのは、たしかに初めてだ。
「……別に、変な意味じゃなくて」
青見は、珍しく言い訳を足した。
「全国一位の選手っていうか、なんか、ちゃんと“すごい人”なんだなって思っただけ」
「今さら?」
「今さら」
あっさり認めると、彩女は一瞬だけ目を丸くして、それから視線をそらした。
「……あんたに言われると、なんか、変な感じ」
「悪い意味か?」
「まだ保留」
むすっと言いながらも、その頬は少しだけ緩んでいた。
◆ 外向きと本音のあいだ ◆
「じゃあ、録音始めますねー。準備はいいですか?」
広報担当の先生が、ボイスレコーダーの赤いボタンを押す。
小さな電子音が鳴って、部屋の空気が少しだけ改まった。
「まずは、お二人とも、インターハイ優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ここは原稿通り、二人で声を揃える。
「ええっと……まず東くん。優勝が決まった瞬間のお気持ちは?」
手元の紙には、模範解答が書いてある。
《実感が湧くのに少し時間がかかりましたが、今は支えてくれた周りの人への感謝でいっぱいです――》
(……よし、“だいたい”だよな)
そう思いながら、青見は少しだけ自分の言葉を足した。
「えっと、実感が湧くのは、まだこれからだと思うんですけど……。
でも、道場で一緒に稽古してくれた人達とか、応援してくれたクラスのみんなとか。
“勝ったぞー”って報告したら、すごく喜んでくれて」
ちら、と隣を見る。
「その顔見てたら、ああ、やっぱ勝てて良かったなって思いました」
広報担当が「いいですねぇ」と頷きながらメモを取る。
「“ある人”の顔、って加えても良さそうですね」
「誰とは言ってないですよね、今の」
「言ってないですね」
先生と伊集院のやり取りに、彩女がこっそり机の下で青見の足をつついた。
「……あとで詳しく聞くから」
「やめてください」
小声の応酬をしながら、インタビューは進んでいく。
「じゃあ次、安達さん。優勝が決まった瞬間は?」
彩女は、原稿に目を落としてから、正面を見据えた。
「えっと……まずは、“やっと終わった”って気持ちが大きかったです。
練習のときから、ずっとミスしたらどうしよう、って不安があって」
そこまでは原稿通り。
少し息を吸ってから、彩女は自分の言葉を足した。
「……でも、青見が、“大丈夫だろ”って、何回も、根拠なく言ってくれてたんで」
「根拠なくは余計だろ」
「うるさい」
小声のツッコミを踏みつぶして、続ける。
「だから、最後の演技のときには、“大丈夫って言ったんだから、ちゃんとやるからね”って気持ちで。
それで、ミスなく終われたとき、“ほらね”って胸張れた気がします」
先生が「いい話……」と呟く横で、
伊集院が「やっぱり任せなくて正解だな」と、なぜか満足げに腕を組んだ。
「今の、完全に原稿外ですよね、安達さん」
「“だいたい”って言ったの、先生ですから」
したり顔で言う彩女。
青見は、頭をかきながら、どこか居心地悪そうに視線を泳がせていた。
レコーダーの赤いランプは、黙って瞬き続けている。
広報誌には、たぶんもっと“整えられた言葉”だけが載るだろう。
でもこの部屋には、写真にも文字にも残らない、
ちょっとした本音と照れ隠しが、確かに残っていた。