/*/ 火鳥勇吾、安生道場の敷居をまたぐ /*/
夕方の安生道場には、ミットを叩く音と、掛け声がまだ残っていた。
窓の外はオレンジから群青へと色を変えつつある。
「……で、話ってのは?」
畳の中央。腕を組んで座るのは、道場主・安生 龍。
2メートルを超える巨体に、道着の上からでも分かる分厚い筋肉。
その横に、同じく道着姿で座っているのが長男・胆。
父より少しだけ低いが、それでもほぼ2メートル。笑っていても圧がすごい。
正面に正座しているのは青見と氷室 英、そして――
185cmの体をぎこちなく畳に折りたたんだ、火鳥勇吾。
「えーと……」
青見は、一度英と勇吾をちらっと見てから、覚悟を決めたように口を開いた。
「クラスメイトの火鳥勇吾が入門したいと……
理由が、その、4姉妹に惚れたから、好かれるように身体を作りたいって理由なんですが……
大丈夫…ですか?」
最後の方は、さすがの青見も少し声が小さくなる。
対して、龍と胆は――一瞬ぽかんとしてから、同時に「ほぉ」と目を細めた。
「ほー、面白い」
先に笑ったのは龍だ。
「娘を娶るのに堂々と来たな。
理由がはっきりしてるのは嫌いじゃねえ」
「ですね、父さん」
胆もニヤリと笑う。
「惚れたから強くなりたい、か。
上等じゃないですか。幾らでも鍛えてやろう」
「ちょ、ちょっと待て」
青見が思わず制止に入る。
「まだ“娶る”とかそこまで話してないですからね!? 本人もそこまで言ってないし!」
「言ってないのか?」
龍が勇吾を見る。
勇吾は一瞬だけ考え――首を少し傾げた。
「ボクは、彼女たちを“好ましい対象”と認識している。
将来的に結婚も視野に入れるのは、合理的判断だと思う」
「ほらな」
龍と胆が同時に頷いた。
「……英さん」
青見は、助けを求めるように隣を見る。
英は、いつもの柔らかい笑みを浮かべたまま、すっと頭を下げた。
「勇吾の月謝は幾らでも出します。ビシバシ鍛えてやってください。
勇吾が初めて、自分の意志でやりたいって言った事なんです!」
その言葉に、龍の表情が少しだけ真面目になる。
「……なるほどな」
横で聞いていた胆も、顎に手を当てた。
「初めて自分の意志、か」
「はい」
英は続ける。
「これまでは、ボクが言ったから、必要だから、そういう理由で動くことが多かったんですけど……
安生さんたちの娘さんを見て、自分から“ああなりたい”“好かれたい”って言い出したのは、本当に初めてで」
「ふーん」
入り口近くで話を聞いていた李が、湯呑みを片手にとことこ歩いてくる。
153cmの小柄な体に、鋭い眼光だけが年季を物語っていた。
「まあ、なんにせよ“鍛えたい”と思うのは良いことじゃよ」
李は勇吾の正面に座り、じろりと見上げる。
「お主、名前は?」
「火鳥勇吾。ボクは、強くなりたい」
勇吾は、はっきりと言った。
「彼女たちの好みに近づくためにも、人間社会で生きるためにも、
ボクには“鍛えられた身体”と“技術”が必要だ」
「ほう」
李の口元がわずかに緩む。
「目は悪うないの。言葉はちょっとアレじゃが」
「アレなんだ……」
小声でつぶやく青見。
「まずは、お試しで3日ほどやってからかのぉ」
李は、湯呑みを置きながら言った。
「いきなり長期で入れるより、三日叩いてみて、
それでも“やりたい”と言うなら、本入門としよう。
うちは遊び半分では続かんからの」
「異議なし」
龍があっさり頷く。
「三日で逃げるようなら、そもそもうち向きじゃねえしな」
「三日でボクの筋肉痛が死ぬと思います」
惣一郎の声がしたような気がして、青見は少し笑ってしまった。
「火鳥」
龍が、改めて勇吾の名を呼ぶ。
「うちは厳しいぞ。
泣こうが吐こうが、“自分で来た”って言うなら容赦しねえ。
それでもやるか?」
「やる」
勇吾は即座に頭を下げた。
「よろしく、頼む」
畳に手をつき、深々と礼をする。
185cmの大きな背中が、ぐっと折れた。
「よし」
胆が、楽しそうに手を打つ。
「じゃあ明日からだな。朝一で来い。
走って来いよ? ウォーミングアップだ」
「了解した。走る」
勇吾が顔を上げると――
入口の障子の向こうで、何かがバタバタッと音を立てた。
「……今、いたよな」
「いましたね」
青見と英が、同時にそちらを見る。
障子が、そろりと開いた。
「……聞いてた?」
「聞いてたわよ」
そこから顔を出したのは、案の定、安生4姉妹だった。
173cmの梨花、170cmの友香、176cmのユイリィ、174cmのルテア。
さっきまでカフェテリアにいた“看板姉妹”と同じ顔が、今は道着やジャージ姿でずらっと並んでいる。
「ま、まあ、頑張りなさいよ、火鳥くん」
梨花が、少しだけ咳払いをして言う。
「うちの道場、甘くないわよ?」
「僕、ミット持つとき手加減しないからねー」
友香がニヤリ。
「ケガしない範囲で、きっちり追い込ませてもらいます」
ユイリィが柔らかく微笑み、
「ボク、応援してあげる。
“ボクたちを好きになったから強くなりました”って話、嫌いじゃないし」
ルテアが肩をすくめる。
勇吾は、その4人の顔を順番に見た。
胸の奥で、またさっきと同じ圧迫感がする。
でも今度は、それに名前をつけられる。
(これが――ボクの、動力源だ)
「必ず、強くなる」
勇吾は静かに言った。
「ボクを拾ってくれた英と、ボクを鍛えてくれる安生道場と、
ボクが“好ましい”と思った人たちのために」
「そこ、“好ましい”やめて“好き”って言いなさいよ」
梨花が、苦笑しながらもどこか嬉しそうに言う。
「ま、三日で音を上げたら、その時はその時ね。
そのくらいの覚悟はしときなさい」
こうして――
敗者が流れ着く街・郡山の片隅で、
炎を抱いた少年・火鳥勇吾は、安生道場の門を正式に叩くことになった。