/*/ 三日間のお試し・一日目の悲鳴 /*/
翌朝、安生道場の前。
まだ通学時間にも少し早い、薄い朝の光の中、
火鳥勇吾は、汗だくで門の前に立っていた。
「……到着」
息は上がっているが、潰れてはいない。
郡山の外れのアパートから、ほぼノンストップで走ってきた距離を考えれば、十分すぎるスタミナだ。
「おぉ、ちゃんと走って来たな」
門の中から、ジャージ姿の胆が顔を出した。
「おはようございます」
勇吾は、ぺこりと頭を下げる。
「火鳥勇吾、七時ちょうどに到着しました」
「時計見て走ってきたのか」
「スマホのGPSで最短ルートを――」
「そういうとこは本当、実験室育ちっぽいのよねぇ」
奥からのんびり現れたのは李だ。
いつもの作務衣姿で、湯呑みを片手にしている。
「まあよい。とりあえず中に入るがよい」
道場に足を踏み入れた瞬間――
勇吾は、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。
畳の匂い。
道着の擦れる音。
壁にかかった木刀や、古い写真。
ここは、「鍛える」ための場所だ。
「まずは準備運動からね」
胆が、ストレッチの姿勢を取って見せる。
「でかい図体してると、ちゃんとほぐさないとすぐ壊れるぞ。
筋肉痛で泣きながら学校行くハメになる」
「筋肉痛は、治癒で――」
「そういうチート発想やめなさい」
入口のところで体育座りしていた英が、速攻ツッコむ。
「ここは“人間として”鍛える場所だからね?
痛いなら痛いなりに、自分の限界も覚えなきゃ」
「了解した。チートは封印する」
「封印って言うな」
そんなやり取りを横目で見つつ、青見も道着姿で入ってくる。
「おはよ。……ちゃんと来たな」
「ああ。青見」
勇吾は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「ボクは二、三年で、お前のような身体になる」
「ハードルの置き方おかしい気がするけど、まあ頑張れ」
準備運動が一通り終わると、いよいよ本番だ。
「今日は初日だから、基礎だけだ」
胆が、白木のミットを取り出す。
「突き、蹴り、受け。
体幹がどれくらいあるか、バランスがどうか、まずは見る」
「了解」
勇吾は、言われるままに構えを真似る。
背は高いが、体の使い方は「素人+α」といったところ。
反射神経はいいが、無駄な力も多い。
「そこ。肩に力入りすぎ」
「腰が死んでるわね」
いつの間にか、道場の端で見ていた梨花と友香が、容赦なく指摘を入れる。
「前足の膝が内側向いてるよー。
それ、安定してるつもりで、実はすぐ崩れるやつだから」
「ボクも修正された」
ルテアが、にやっと笑いながら自分の足を軽く蹴る。
「“デカい図体してるなら、まず足元から”って、じいちゃんの口癖」
「……了解。修正する」
勇吾は、素直に足の向きを変えた。
が――
「いっっってぇ……!」
数分後には、内ももとふくらはぎが火を噴いていた。
「ほら来た」
青見が苦笑する。
「そこ普段使ってないからな。
いきなり“正しい型”で固めると、そこから悲鳴上げるんだよ」
「火だしとく?」
「本当に出そうとするな」
英が即座に止める。
「痛いの嫌だからって、自分の脚炙ろうとするのはやめようね。
そういうところがSAN0なんだよ、勇吾くん」
「痛覚を上書きすれば――」
「しない!」
三方向からツッコまれ、勇吾はしぶしぶ口をつぐんだ。
それでも、稽古は続く。
突き十本。蹴り十本。
フォームを直されるたびに、同じ動作を繰り返す。
筋肉が震え始めたころには、道場の空気もかなり熱を帯びていた。
「……そこで止めておくか」
龍が時計を見て、区切りを告げる。
「今日は学校あるしな。
初日から潰したら、担任と理事長に怒られる」
「理事長はどうでもいいけど、担任は怒らせたくないわね」
梨花がぼそっと言う。
「とりあえずシャワー浴びて、着替えてから学校行きなさい」
「立てるか?」
青見が声をかけると、勇吾はぐらぐらしながらも立ち上がった。
「問題ない。歩行可能」
膝は笑いまくっているが、目はまだ折れていない。
「……ほんと、変なとこタフなんだよな」
惣一郎なら、確実に「もうムリィ!」と床に倒れているであろう量だ。
「どうだ、火鳥」
龍が、真正面から尋ねる。
「これが、うちの“基礎”だ。
まだまだこんなもんじゃねえが――三日間、続ける気はあるか?」
「ある」
勇吾は、汗で額に張り付いた前髪を振りながら答えた。
「ボクは、安生家の好みに近づきたい。
それはボクの意志だ。
だから、続ける」
その言葉に、李がふっと笑う。
「よかろう。じゃが、忘れるでないぞ」
細い指で、勇吾の胸をちょん、と突く。
「“誰かの好みに合わせる”だけが理由なら、そのうち折れる。
お主自身が“こうありたい”と思う形を、ここで見つけるんじゃ」
「……考える」
勇吾は、少しだけ目を伏せた。
(ボク自身が、どうありたいか)
ミネルヴァの培養槽にも、白い実験室にも、そんな問いはなかった。
英に拾われてからも、それを真剣に考えたことはない。
安生道場の畳の上で、初めて投げかけられた問いだった。
「じゃ、初日はこのへんで」
英が、時計を見て立ち上がる。
「勇吾くん、シャワー行こ。
制服しわになってもいいように、替えのシャツ持ってきた?」
「持ってきた」
「えらい」
稽古場から出ていく勇吾の背中を、安生4姉妹が見送る。
「……どう?」
友香が小声で聞く。
「梨花姉的、採点は?」
「素材としては上々ね」
梨花は、腕を組んで頷いた。
「背が高い、骨格がしっかりしてる、素直。
変なチート抜きで鍛えれば、ちゃんと“頼り甲斐のある体”にはなるわ」
「二、三年ってとこ?」
ユイリィが問うと、
「真面目にやれば、ね」
梨花は笑った。
その笑みは、昨日カフェテリアで見せた“営業スマイル”とは少し違う、
道場の長女としての、本気の笑顔だった。
/*/ 三日目の夜・続けるかどうか /*/
三日間は、文字どおり“ビシバシ”だった。
走って来て、ストレッチ。
突き、蹴り、受け。
体幹トレーニングと補強運動。
学校終わりにも、時間を見つけて基礎だけ繰り返すよう指示される。
三日目の夜。
道場の片隅で、勇吾は正座していた。
両脚はパンパンで、腕も震えている。
けれど、逃げ出したいとは思わない。
「……どうだ」
龍が真正面から問う。
「三日やってみて、まだやりたいか?」
少しの沈黙。
勇吾は、まっすぐに顔を上げた。
「やりたい」
迷いのない声だった。
「ボクは、強くなりたい。
誰かのために、守るために、そしてボク自身のために」
李が、ふぉっ、と笑う。
「よし」
龍が頷いた。
「なら、今日でお試しは終わりだ。
火鳥勇吾、正式に安生道場への入門を認める」
「ありがとうございます」
勇吾は、深々と頭を下げた。
その横で、英が小さく拍手をする。
「おめでとう、勇吾くん。
ここから先は、ボクは月謝払うだけだからね。
“続けるかどうか”を決めるのは、全部君だ」
「分かってる」
勇吾は、英を見て小さく笑った。
「ボクの意志で決める」
「そうそう。それでいい」
障子の陰から、ひょこっと4つの影が覗いた。
「……ねぇ」
ルテアが、ニヤニヤしながら顔を出す。
「ボクたちのため“だけ”じゃなくなった感じがして、ちょっと悔しいけど、
そっちの方が、なんか嬉しいかな」
「ふふ、そうね」
ユイリィが微笑む。
「“自分のために強くなろうとしてる人”は、やっぱり素敵だと思うわ」
「だったら、なおさら手ぇ抜けないね」
友香が拳を握る。
「僕、ミット持つ筋トレ増やしとこ」
「火鳥くん」
梨花が、改めて勇吾の方を見る。
「これからよろしく。
うちの道場は、口だけじゃ通用しないわよ?」
「こちらこそ、よろしく頼む」
勇吾は、四人に向き直り、もう一度頭を下げた。
敗者が流れ着く街・郡山。
その片隅の道場に、新しい門下生がひとり増えた。
炎と、幼い心と、ぐらつく足腰を抱えたその少年は――
安生家と、氷室英と、そして自分自身のために。
これから、少しずつ“人間としての強さ”を覚えていくのだった。