火鳥勇吾の身体は、もともと「人間用」に作られていない。
ミネルヴァ・コーポレーションの実験室で、実験体として調整され。
生まれてからの二年間、自分自身の超能力で肉体マトリクスを操作し続けてきた。
骨格も、筋肉も、神経の配線も――
「適応しろ」と命じれば、そちらに全振りで応えるような、異様な成長性。
その性質が、安生道場の稽古三日で、はっきりと表に出た。
走り込み。突きと蹴り。補強。
それに加え、氷室英が用意したサプリメントと、
計算されたプロテイン。
タンパク質、ビタミン、ミネラル。
燃料と材料が十分に投下されれば――火鳥勇吾の身体は、容赦がなかった。
筋繊維は一気に太くなり、
体脂肪は燃え、
「余分」と判断された水分もどんどん落ちていく。
三日目のシャワー上がり。
道場の簡易脱衣所で、タオルを肩にかけた勇吾の姿を見て、胆は素直に目を丸くした。
「……おいおい」
肩まわり。胸板。腹筋。
数字上の体重はさほど変わっていないはずだが、
見た目の印象は明らかに違う。
全体の厚みは一旦「縮んだ」ように見える。
余計な脂と水分が削げ落ちて、
そのぶん、筋肉のラインだけが露わになっていた。
「三日でここまで絞れるやつ、初めて見たぞ」
胆が、半ば呆れたように笑う。
「普通はもっと、こう……“だるん”ってした段階挟むのに」
「ボクの身体は、成長に最適化されている」
勇吾は、さらっと言った。
「ミネルヴァで、そう調整された。
それに、ボク自身が肉体マトリクスを操作している。
“鍛えろ”と命じれば、そのように変化しようとする」
「その言い方が一番こえーのよ」
脱衣所の入口から顔を出した英が、ため息交じりに言った。
「でも、まぁ……」
英は一歩近づいて、勇吾の腕や腹筋を軽く指で突きながらチェックする。
「うん、少なくとも、無茶な壊れ方はしてないかな。
筋の通り方も悪くない。バランスも今のところ大丈夫」
「ボクは、ちゃんと“人間仕様”に合わせて変化させてる」
「そこは信用していいんだろうけどね?」
英が苦笑する。
そのころ――
道場の隅で湯呑みを片手にしていた李が、のそのそと近づいてきた。
小柄な老人の視線が、勇吾の身体を上から下までじっと舐める。
「ふーむ……」
骨格。筋肉の付き方。
力を抜いているときの“立ち方”。
「これは鍛えがいがあるのぉ」
李の口元が、ふっと吊り上がる。
「火鳥」
「はい」
勇吾が振り返る。
「内弟子にならんか」
「……内弟子?」
聞き慣れない単語に、勇吾は首をかしげた。
「うむ」
李は湯呑みを置いて、指を一本立てる。
「この道場に住み込みで入って、
朝から晩まで稽古と、道場の仕事。
安生家の飯を食って、安生家の空気を吸って、
安生家の“当たり前”で暮らす弟子じゃ」
「住み込み、か」
勇吾の頭の中で、計算が動く。
通学時間の短縮。
稽古時間の増加。
安生4姉妹との接触時間の増加――
「最後のは余計な動機にカウントしないようにね」
英が、表情だけ笑いながらサクッと釘を刺した。
「ボクが言ってない事まで読まないでほしい」
「顔に出てたよ、勇吾くん」
英は、李の提案に視線を移す。
「内弟子、か……」
「英」
勇吾が、わずかに身を乗り出した。
「内弟子になれば、もっと早く鍛えられるか?」
「そりゃそうだろうな」
先に答えたのは胆だ。
「朝練も夜稽古もフルで参加できるし、
飯も鍛える用に調整できる。
道場の雑務しながら体も動かせるしな」
「……ただし」
龍が、少し真面目な声で口を挟む。
「住み込みになるってことは、“家”も“家族”も、ここになるってことだ。
学校もあるし、氷室さんとどうするか、ちゃんと話さなきゃなんねぇ」
「ボクは構わない」
勇吾は即答する。
「英」
真っ直ぐに、英を見る。
「ボクは、内弟子になりたい。
ここで鍛えられれば、早く強くなれる。
安生家の好みに近づけるし――」
「最後にそこを持ってくるのやめようか」
英は思わず額を押さえた。
李が、くつくつと楽しそうに笑う。
「のう、氷室」
「ボクは英」
「英くんでもよいわ。
お主が保護者じゃから、最終的な判断はそっちじゃ」
李は真顔に戻り、英を見る。
「この子の身体は普通ではない。
鍛えれば鍛えるほど、常人離れしていくじゃろう。
それを、“外”で放っておくのは、少々もったいない」
「……まぁ、同感ではある」
英は、勇吾の横顔を見た。
二歳。
本当は、まだ「よちよち歩き」くらいでもおかしくない年齢の心を抱えたまま、
高校生の身体を着ている少年。
自分で考えて選ぼうとしている。
それは嬉しい。
その一方で――
「内弟子になったら、ボクのところで一緒に暮らす時間は減るよ?」
英は、ゆっくりと勇吾に言った。
「それでも、君はそうしたい?」
「……」
少しの間だけ、勇吾は黙って考えた。
研究所の白い天井。
母の胎内の暗闇。
英の部屋の、本とお菓子と星図の匂い。
そして、安生道場の畳と、汗と、ミットの音。
「ボクは」
勇吾は、言葉を選びながら口を開いた。
「ボクを拾ってくれたのは英だ。
英に反対されるなら、やらない」
「反対はしてないよ」
英は、少しだけ目を細めた。
「ただ、“覚悟”を確認してるだけ」
「……なら、ボクは、やりたい」
勇吾は、はっきりと言った。
「ここで強くなりたい。
安生家の“当たり前”を、ボクの中にもインストールしたい。
ボクが、“人間として”生きるために必要だと思う」
その言い方に、李の眉がわずかに持ち上がる。
「ほぅ、“人間として”か」
「ミネルヴァの実験体としてじゃなく、
ミネルヴァに復讐する“兵器”としてでもなく」
勇吾は続ける。
「ボクは、“火鳥勇吾”として生きるために、強くなりたい」
英の表情が、そこでほんの少し柔らかく崩れた。
「……ずるいなぁ、君」
苦笑混じりに、英は頭をかく。
「そこまで言われたら、“ダメ”って言いづらいじゃない」
「言ってもいい」
「言わないよ」
英は、軽くため息をついてから、李と龍に向き直る。
「条件付きで、内弟子にするのは賛成です。
ただし――学校はちゃんと行かせてください」
「当然じゃ」
李がうなずく。
「うちは“武術家”を育てる場所であって、“不登校児の逃げ場”ではないからのぉ」
「あと」
英は続けた。
「定職問題については、まだ保留にさせて。
ここで武術と体の使い方を叩き込んでもらって、
ボクの方で“外の仕事”もいくつか見せる。
その上で、勇吾くん自身に選ばせたい」
「了解した」
李が、満足げに頷いた。
「なら、話は早い」
龍が口を開く。
「火鳥勇吾。
安生道場の内弟子として迎え入れる。
今日から――いや、部屋の準備があるから、明日からだな」
「押し入れ片付けとかね」
胆が苦笑する。
「四姉妹が本とトレーニング器具詰め込んでるから」
「ボクのスペースまでは侵食しないでください」
どこからともなく、友香の声が聞こえた。
勇吾は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
そして、顔を上げる。
「英。ボク、行っていいか」
「行っておいで」
英は笑った。
「“家”が二つになるのは、悪くないよ。
ボクのところと、安生家。
どっちも、大事にしなさい」
「分かった」
そのとき、障子の向こうでガタガタッと音がして――
案の定、四つの頭が並んで覗き込んできた。
「……ねぇ」
ルテアが、にやりと笑う。
「内弟子ってことはさ。
ボクら、家でも学校でも道場でも、ずっと同じ空間にいるわけだよね?」
「僕、家の手伝い増えるやつだこれ」
友香が頭を抱え、
「でもまあ、ね」
ユイリィがふわっと微笑む。
「“ボクたちのためだけじゃなくて、自分のためにも強くなりたい”って言える人なら、
一緒に暮らすの、そんなに悪くないと思うわ」
「内弟子、ね」
梨花が、少しだけ真面目な目になる。
「じゃあ、なおさら手加減できないわよ、火鳥くん。
『娘さんください』予備軍として、ちゃんと見せてもらうから」
「ボクはまだ、娘さんをくださいと言ってはいない」
「将来言う気はあるんだ?」
英の一言に、勇吾は少しだけ考え――
「あるかもしれない」
と、真剣に答えた。
「……はい確定!」
ルテアと友香が同時に叫び、道場に笑いが弾けた。
敗者が流れ着く街・郡山。
四十九囲区の外れの道場に、
実験体上がりの内弟子が一人、正式に加わることになった。
炎と、異常な適応力と、まだ幼い心を抱えたまま――
火鳥勇吾の「人間としての修行」は、ここから本格的に始まっていく。