/*/ 一か月後の肉体と質問 /*/
内弟子になって、一か月。
朝はランニングから始まり、道場の掃除、朝稽古。
学校から帰れば補強とミット、型、組手。
夜は風呂と晩飯のあとにストレッチと軽い調整。
その生活を、火鳥勇吾は一日も抜かさず続けていた。
結果――
「……すげーな、おい」
ある日の夕方、ミット稽古のあと。
道場の端でシャツを着替えようとした勇吾の背中を見て、胆が素直に呻いた。
肩幅。僧帽筋。背筋の隆起。
腹部はうっすら割れていたものが、もう完全に“板チョコ”状態になっている。
「普通はな、一か月でここまで筋肉は成長しねぇんだぞ」
胆は、感心と若干の呆れを半々にした声で続ける。
「ざっくり言うと……普通の一年分は成長してる」
ミネルヴァ由来の肉体マトリクスと、
英が用意した計算済みの栄養・サプリメント・プロテイン。
そこに、安生道場の“フルコース”が合わさった結果だ。
勇吾は、タオルで汗を拭きながら振り返った。
「適応した」
「一言で言うなよ、そこ」
胆は苦笑しつつも、もう一度視線で全身をチェックする。
「でもまあ、バランスは悪くねぇな。
無駄にムキムキってより、“動ける筋肉”って付き方してる」
「李が、“柔らかく使えるように付けろ”と言った」
「じいちゃんの言うことちゃんと聞いてんだな」
その時、勇吾がふと、真顔のまま口を開いた。
「オレ……じゃない、ボクは」
言い直しながら、真剣な眼差しで胆を見る。
「ボクは、姉妹に好かれるか」
「……そこ来るか」
胆は、バスタオルを肩にかけたまま、ぽりぽりと頬をかいた。
「身体、ここまで作った。
安生家の好みに近づく為の条件――背の高さ、鍛えられた身体。
それは満たされつつある。
だから、ボクは姉妹に好かれるか?」
勇吾の問いは、いつもの理屈っぽさを含みつつも、どこか不安げだった。
人の好意にも悪意にも敏感で、
それゆえ傷つきやすい、実年齢二歳の心。
「……まず一つ言っとくとだな」
胆は、指を一本立てた。
「“身体が条件満たした=好かれる”ってほど、人間単純じゃねぇ」
「分かってる。分かってるが……」
勇吾は、少しだけ目を伏せる。
「ボクは“実験体”として調整された。
人間社会の“好まれる条件”は、資料でしか知らない。
姉妹は、“そういうの”をはっきり言う。
だから、ボクは聞きたい」
――ボクは、ちゃんと近づけているか。
言葉になっていない行の続きが、空気ににじむ。
胆は、しばし黙って勇吾を見た。
そして、ふっと笑う。
「まずだな」
「うん」
「少なくとも、“キモいから無理”ってラインは、とっくに超えてる」
「……それは、好かれてるという判定か?」
「お前、判定基準ガチガチすぎだろ」
胆はつい吹き出した。
「いいか、火鳥。
うちの四人は、見た目は華やかだけど、中身は全員“武道バカ”だ」
「知ってる」
「自覚してるのか」
遠くのほうで「ひどくない?」という梨花の声がかすかに聞こえたが、
胆はスルーした。
「そういう連中から見て、“ちゃんと強くなろうとしてる男”ってだけで、評価はかなり高い。
内弟子になった時点で、もうかなりポイント稼いでんだよ」
「ポイント」
「そう、ポイント。
朝から黙々と掃除して、じいちゃんの小言も聞いて、
英さんのサプリも真面目に飲んで、
ボロボロになりながらも型を繰り返してる。
そういう“積み重ね”は、確実に見られてる」
「……見られてるのか?」
「見てるよ。あいつら、意外と細けぇし」
胆は少しだけ肩をすくめる。
「この前なんか、風呂上がりに四人で“勇吾くん、背中の筋肉ついてきたねー”って話してたしな」
勇吾の耳が、ぱちん、とはねたように赤くなる。
「誰が、なんて言ってた」
「知りてぇか?」
「知りたい」
即答。胆はニヤリと笑った。
「梨花は、『ちゃんと地に足ついてきた感じがする』ってさ。
フォームの安定と、立った時の重心の話してた」
「……それは、好意か?」
「武道家としての評価だな」
「ふむ」
「友香は、『僕より肩周りでかくなったんじゃね?』って言って、
自分の肩と勇吾の肩見比べて“くそー”って言ってた」
「それは、敵意か?」
「ライバル心だな。悪くねぇ」
「ユイリィは、『怪我しないように付き方が綺麗で安心する』ってさ。
あの子は安全第一だから、そこ褒めるってかなりポイント高いぞ」
「……好意判定、70%くらい?」
「パーセンテージ出すな」
胆が額を押さえる。
「ルテアは、『ボク好みの“細マッチョから厚マッチョへの途中経過”って感じで良くない?』って言ってた」
「それは、好意か」
「好みど真ん中って話だな」
勇吾の目が、じわりと輝く。
「総合するとだ」
胆は、指を折りながらまとめた。
「好かれてるかどうかで言えば、“嫌われてる”要素はほぼゼロ。
“内弟子の後輩として、かなり可愛いし面白いし期待してる”ってラインには、確実にいる」
「……“男として”は?」
勇吾の声が、ほんの少しだけ細くなる。
胆は、そこでようやく真正面から勇吾を見る目になった。
「それはな」
「それは?」
「オレが答えることじゃねぇよ」
きっぱりと言う。
「そいつは、“あいつら自身”が決めることだ。
オレや親父やじいちゃんが、“はい、お前は合格ね”って認定してやれるもんじゃねぇ」
「……」
「身体作って、強くなって、
それでも“こいつと一緒にいたい”って思うかどうかは――
あいつらの腹の中と、お前の腹の中で決めることだ」
勇吾は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「じゃあ、ボクが今、聞けるのは」
「“この方向で合ってるか”って確認くらいだな」
胆は、口元だけで笑った。
「その答えだけは、はっきり言ってやる。
――方向は合ってる。
鍛え方も、態度も、ここまでの一か月は、オレから見て文句ねぇ」
「……そうか」
勇吾の肩から、少しだけ力が抜けた。
「なら、ボクは続ける」
「おう」
「姉妹に好かれるかどうかは、“結果”としてついてくるまで鍛える」
「目的と手段が逆転しないようにな」
胆が笑う。
「“好かれたいから鍛える”でもいいけどよ。
そのうち、“強くなりたいから鍛える”って気持ちもちゃんと混ぜとけ。
じゃねぇと、どっかでポキっと折れるぞ」
「それは、李にも言われた」
「じいちゃんと同じことオレも言ってんの、なんかムカつくな」
二人の会話がそこで一息ついたとき――
道場の隅、障子の向こうで、かすかな物音がした。
「……聞いてた?」
「聞いてたわよ」
梨花の声がして、障子が数センチすべって開く。
その向こうに、友香・ユイリィ・ルテアの顔も並んでいた。
「全部聞いてた」
友香がニヤニヤ笑いながら言う。
「ポイントとか、パーセンテージとか」
「“内弟子の後輩として可愛い”は概ね事実ね」
ユイリィが、くすっと笑う。
「ボク好みの途中経過ってのも本当だし」
ルテアが悪びれもせず言い切る。
「火鳥くん」
梨花が、勇吾を見た。
「好かれるかどうかは、さっき胆が言ったとおり、こっちが決めることよ」
「……はい」
「でも、“嫌い”って言う理由は、今のところ一個もないわ」
それだけ言って、梨花はふっと微笑んだ。
「だから、安心して鍛え続けなさい。
その先でどうするかは、その時また考えればいい」
勇吾の胸のあたりで、何かがじんわりと温かく広がった。
(嫌われてはいない)
それだけでも、今のボクには十分すぎる。
「了解」
勇吾は、まっすぐに頷いた。
「ボクは、鍛える。
安生道場の内弟子として、安生家の“当たり前”を、ボクの中に刻む」
「よろしい」
李の声が、いつの間にか後ろから飛んできた。
「では明日から、稽古メニューを一段階引き上げるとしようかの」
「話聞いてましたよね、じいちゃん!」
胆と友香とルテアが同時に叫ぶ中――
勇吾だけは、どこか嬉しそうに目を細めていた。
敗者が流れ着く街・郡山。
四十九囲区の道場で、
火鳥勇吾の“一年分を一か月で駆け抜ける”鍛錬は、まだ始まったばかりだった。