/*/ ひと夏でゴリラ枠増殖 /*/
夏休み明け、2年C組の教室は、朝からいつも以上にざわついていた。
新しい髪型。焼けた肌。お土産のお菓子。
あちこちで「どこ行った?」「海? 山?」なんて声が飛び交っている。
そのざわめきが、ある瞬間、一方向へぎゅっと集中した。
「……おい、なんだよあれ」
「火鳥か?」
ガラッ、と教室のドアが開いて、火鳥勇吾が姿を見せた瞬間だった。
185cmの長身に、学ランの上着をだらしなく着て――
いや、“だらしなく”見えるのは、単に肩と胸板が厚くなりすぎているだけだ。
シャツの上からでも分かる、盛りあがった大胸筋と、ガッシリした肩。
通路を歩くたび、机がほんの少しずつ避けていくように見える。
「なんで東みたくなってんだよ」
「てか、あれもうゴリラじゃねぇか」
「ゴリラ率高っ!」
ひそひそ声が、どんどん露骨になっていく。
教室の一番後ろ、窓側。
いつもの席で教科書を出していた東・青見が、ちらりと視線だけ上げた。
「オレ基準で語るな」
低い声で一言だけツッコむ。
以前から“人型重機”だの“クラスの防壁”だの言われてきた本人としては、
新たに同系統のシルエットが増えたことに、軽いため息が出る。
「ひと夏の経験にしてもヤバすぎるだろ、アレ」
「なんか、肩周りとか東の親戚みたいになってね?」
「いや、血筋じゃねーだろ」
「聞いたか? あれ、4姉妹に好かれたくて鍛えたらしいぜ」
「マジで?」
「マジマジ。安生道場の内弟子って話だぞ」
「……で、あれでもまだ足りないとか」
「うそだろ。ゴリラでも足りないのかよ」
教室の中央あたりで、男子たちが好き勝手言っている。
勇吾本人はというと――
ざわつく教室の空気を受け止めつつも、表情はいつもの無表情に近い。
(……視線、多数。敵性なし。好奇心70%、驚愕20%、ネタ扱い10%)
ミネルヴァ式の分析が頭をよぎるが、
今はそれよりも、もっと気になる方向がある。
教室の前列、窓から二番目の席。
安生四姉妹の長女・梨花が、じっとこちらを見ていた。
隣には、三女のユイリィ。
少し後ろの列に、次女の友香と、四女のルテア。
そして、そのさらに斜め前に、器械体操部のエース・安達彩女。
その横に、ちょこんと座っている松坂愛香。
(……どうだ)
勇吾は、ほんの一瞬だけ息を止めた。
梨花が、すっと立ち上がる。
長い脚で通路を歩き、勇吾の前まで来る。
「おはよう、火鳥くん」
ごく普通の、クラスメイトへの挨拶。
でもその目は、春よりも、初夏よりも、少しだけ柔らかかった。
「夏休み中、がんばってたみたいね」
「うん」
勇吾は素直にうなずく。
「安生道場の内弟子として、鍛えた」
「見れば分かるわ」
梨花は、腕を組んで一歩下がり、じろりと頭からつま先まで眺める。
「フォームも前より安定してるし、立ち姿も悪くない。
少なくとも――ひょろっとしたでかいだけの子からは脱出ね」
その言葉に、教室の男子たちが「ひょろっと」「脱出」とか勝手に拾ってザワッと沸く。
「それって、好意判定――」
「しなくていいから」
梨花が即座に遮る。
「とりあえず、“内弟子として恥ずかしくない”って線はクリア」
「了解」
そこへ、友香がひょいっと顔を出した。
「僕的にはさー」
身長170cmの友香は、勇吾の二の腕を指でつついてみる。
「うん、やっぱ僕より肩周りごつくなってるわ。
くそー、夏休み中に抜かされたかぁ」
「それは、敵意か?」
「ライバル心だね! いい意味で!」
友香が笑うと、後ろからルテアがひょこっと覗く。
「ボクは、“細マッチョから厚マッチョへの途中経過”って前に言ったけどさー」
勇吾の横に並び、身長差を確認するように見上げる。
「うん、順調順調。
ボクの好みから外れてないし、むしろボーナス乗ってきた感じ?」
「それは、好意か」
「“好み”と“好意”は別だよー?」
ルテアがニヤッと笑う。
「でも、“見てて楽しい身体”にはなってきたと思うな。
だから、もっと鍛えなさい。ボクらの目の保養のために」
「了解」
ユイリィも、すぐそばまで歩いてきた。
「怪我してない?」
「してない」
「なら良かった」
ユイリィはほっとしたように微笑んだ。
「筋肉の付き方も、今のところ綺麗。
無理にサイズだけ追いかけると、どこかで壊れるから――
その辺は、これからもおじいさまと兄さんの言うこと、ちゃんと聞いてね」
「聞く」
「よろしい」
四人のやり取りを、少し離れた席から見ていた彩女は――
心の中で、なんとなく“ホッ”としていた。
(ちゃんと、“ネタ”じゃなくて“評価”されてるんだ)
隣の愛香が、くすっと笑う。
「ね、勇吾くん、がんばってたんだね」
「ああ」
勇吾は、彩女と愛香にも軽く会釈する。
「ボクは、安生家と、自分の為に鍛えた。
結果として、クラスのゴリラ率が上がった」
「自覚してるんだ」
彩女が吹き出した。
後ろの席から、惣一郎がひょいと顔を出す。
「おー、勇吾。お前、マジで“ひと夏の経験”こじらせたなー」
「こじらせてはいない」
「いや、4姉妹に好かれたくてここまでやった時点で、十分こじらせてるから」
惣一郎が笑うと、教室のざわめきも、だんだん「いつもの空気」に戻っていく。
その様子を、窓際の席から氷室英が静かに眺めていた。
(うんうん)
心の中でだけ、小さく拍手する。
(ちゃんと、“人間の教室”の中で、
“異物”じゃなくて“ちょっと変なクラスメイト”くらいに収まってる)
ミネルヴァの実験体でもなく。
敗者が流れ着く街の異物でもなく。
ただの、
「ひと夏でムキムキになってきた、安生道場の内弟子」。
――それでいい、と英は思う。
チャイムが鳴る。
HR前の最後のざわめきの中で、男子の一人がまだ名残惜しそうに言った。
「でもさぁ……」
「ん?」
「ゴリラでも足りないって、安生4姉妹の男基準どうなってんだよ、マジで」
「“東と親父と兄貴が基準”の家だからな……」
「ゴリラ界のハードル上げないでくれ」
そんな愚痴混じりの笑い声を聞きながら――
火鳥勇吾は、自分の席に腰をおろした。
ひと夏で変わったのは、身体だけじゃない。
視線の重さも、言葉の温度も、
少しずつ、“居場所”の形を変え始めている。
(――まだ足りない)
心の中でだけ、静かに呟く。
(でも、“足りないから鍛える”って思えるのは、悪くない)
四十九囲区の教室で。
ゴリラ率の高い2年C組の夏後半が、ようやくスタートした。