地下搬入口の斜路を降りていくと、空気が変質していくのがわかる。
蛍光灯はチカチカと点滅し、その間の闇が不自然に長い。
壁は途中から“ビルのコンクリ”ではなく、“生きた岩肌”――ぬるりとした海底のような質感へと変わっていた。
喉が、少しだけひゅっと鳴る。
(心拍数、平常時比+35パーセント。
これは“恐怖”か、“焦り”か、あるいはその複合)
床に残る水たまりに、指先を触れる。
「……サイコメトリー、二次検索。安生4姉妹のデータ、追跡」
冷たい水の感触の奥から、恐怖と怒りと、「ふざけんなコノヤロウ」という梨花の悪態が浮かび上がる。
(……生体反応あり。まだ“手遅れ”ではない)
少しだけ、肺の奥の空気が軽くなる。
けれど同時に、別種の感情も混じっていた。
獲物を“器”として眺める、冷ややかな生殖本能。
卵を安全に育てようとする、粘ついた母性。
生き物を“資源”としてしか見ない、底のない空虚。
「……ああ、これ、嫌いなパターンだ」
思わず口に出ていた。
「他者を“使えるかどうか”だけで評価する思考回路。
ボクの頭にも、似た配線が残ってる」
ミネルヴァのラボで、人間もモルモットも“サンプル番号”だった日々。
あのときの視線を、今、ボクは“敵”の側から感じている。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
(ボクも――4姉妹を、そういうふうに見ているのか?)
“好ましい対象”。
“条件を満たす身体”。
“安生家の好みに合わせて自分を調整する”。
それは、“好き”なのか。
それとも、“必要な環境にしがみつく依存”なのか。
「……分からない」
小さく漏らした声は、自分でも驚くほど、かすれていた。
ボクは、無意識にポケットへ手を入れる。
指先が触れたのは、硬い樹脂の感触――
以前、駅前で遊んだ帰りに、友香が「お土産だー」と押しつけてきた、小さなマスコット付きのキーホルダーだった。
あのときの、どうでもいい会話。
クレープの甘い匂い。
「似合う似合う」と勝手にカバンに付けられた記憶。
それが、ここには場違いなほど鮮やかによみがえる。
キーホルダーをきゅっと握ったまま、ボクは息を吐いた。
「ただ一つ、今ははっきりしてる」
指先が、微かに震える。
その震えを、炎の熱で上書きするみたいに――ボクは、掌を前に突き出した。
「“あいつらを道具扱いしてる側”は、敵だ」
水たまりが震えた。
地下の闇の向こうから、複数の足音と、ひゅうひゅうというエラ鳴りが近づいてくる。
ボクは、ポケットの中のキーホルダーを、ほんの一瞬だけ強く握りしめ――手を、軽く振った。
「……パイロキネシス、出力テスト。点火」
何もない空間に、音もなく“火”が生まれる。
酸素が足りないはずの湿った地下空間で、
白い炎が花のように開き、迫ってきたエラ人間の一体を包んだ。
「ギャァアアア!!」
灰色の肌が、蝋みたいに溶けていく。
焼ける臭いが鼻を突き、胃の奥がぎゅっと縮む。
「……燃焼効率60パーセント台。狙いは甘い。ボクも、落ち着いてない」
自分で、自分の状態を報告するみたいに呟く。
悲鳴が途切れる頃には、その個体は“黒い塊”になっていた。
足元に残った黒い影を一瞥して、ボクは息を吐く。
(ボクは、4姉妹を“所有物”にしたいのか?
“ボクのものだ”って言葉で縛りたいのか?)
答えは、やっぱり出ない。
ただ――胸の奥で、ひとつだけはっきりしている。
(あいつらが、ああいう連中の“もの”にされるのは――許せない)
それが“好き”なのか“依存”なのかは、今は後回しでいい。
キーホルダーを握る力を、そっと緩める。
「……行く」
小さく呟いて、ボクは足を進めた。
郡山駅前の地下。沈んだ百貨店のその奥へ――
じりじりと焦げるような胸の痛みと、ポケットの中の小さな重みを、そのまま燃料に変えながら。