広間は、やはり“胃袋”のような形をしていた。
壁一面に、白いヒダと卵塊。
半分水没した祭壇。その上に並べられた、4つ分の枠(フレーム)。
そのうち二つに、友香とユイリィ。
残りのスペースの前で、梨花とルテアがエラ人間に押さえつけられている。
ぬめった指が、彼女たちの腹部に触れようとしていた。
(……卵を“器”にするシークエンス。進行率、およそ30パーセント)
頭のどこかで、淡々とタグ付けが行われる。
でも胸の奥は、ぞわぞわと落ち着かない。
「――中断」
ボクはそう口に出してから、一歩、広間へ踏み込んだ。
潮の匂いと血の匂いと、人の恐怖。
4人の視線が、同時にこちらを向く。
「勇吾!?」
「ゆ、勇吾くん!?」
声が重なった瞬間、心拍が一段階跳ね上がる。
「……安生4ユニット、生体反応確認。よし」
つい、いつもの言い方が口から出る。
次の瞬間、エラ人間たちが一斉に甲高い声をあげた。
その中でも一際大きな個体――胸から腹にかけて黒い紋様を刻んだ“女王”が、ボクを見据えた。
冷たい、捕食者の目。
(ああ、この視線は知ってる。
ミネルヴァの研究員と同じ、“対象を見る目”だ)
胃のあたりがきゅっと縮む。
「対象:女王個体。優先度・最上位……と言いたいところですが」
ボクは、4姉妹の方へ片手を向けた。
「まずは、安生4ユニットの固定解除を優先」
「ちょ、勇吾!? あんた何――」
梨花の声を最後まで聞く前に、ボクは指を鳴らした。
見えない衝撃が走る。
祭壇の金具が、ギチギチと音を立てて捻じ曲がった。
縄が緩み、友香とユイリィの身体がどさりと解放される。
梨花とルテアを押さえていたエラ人間の腕も、意志に反して弾かれたように跳ね飛ぶ。
「……え?」
「ちょっと待って。今、“誰も触ってない”よね?」
ルテアの声が、妙に裏返っている。
「勇吾くん? 今の、なに……?」
ユイリィの瞳に、はっきりと“戸惑い”と――薄い“恐れ”が浮かんでいる。
その視線が、胸の奥に刺さった。
(……やっぱり、こうなる)
ミネルヴァの白い天井。
手術灯の光。
自分を産み落とした直後、ベッドの上でこちらを見た“母の目”。
――理解不能なものを見たときの、人間の瞳。
恐怖と、拒絶と、「こんなものが出てくるはずじゃなかった」という後悔が混ざった色。
(同じだ)
一瞬、時間がずれる感覚があった。
「勇吾、後ろ!!」
友香の叫びで、現在に引き戻される。
エラ人間の群れが、ボクに殺到してきていた。
牙。爪。尾。そのすべてが、ボクの身体に向かってくる。
ボクは、一歩も下がらなかった。
ポケットの中のキーホルダーを、指先で強く握る。
駅前で、どうでもいい話をしながら渡された、お土産。
(――ボクは、“あのとき一緒に笑ってた人たち”を守りたいと思っている)
それが“好き”なのか、“依存”なのかは、まだ判別不能。
でも、敵と味方を分けるには、それで十分だ。
「敵性存在。排除プロセス、開始」
掌を振り下ろした。
世界が、白く塗りつぶされる。
炎。
空気中の酸素が一気に奪われ、音が遅れてやってくる。
パイロキネシスで生み出した火柱が、広間全体を舐めるように走った。
エラ人間が十数体、同時に燃えあがる。
生臭い蒸気と、焦げたタンパク質の臭いが鼻をつく。
「ギャアアアアアアアア!!!」
「うわぁぁぁ、なにこれ……!」
ルテアが悲鳴をあげる。
友香は顔をしかめながら、ボクと燃える魚の群れを交互に見ていた。
「ゆ、勇吾……? 本当に勇吾?」
「加減ってものを……!」
梨花の声も、いつものツッコミにしてはわずかに震えている。
ボクは、炎の流れを細かく調整しながら、答えた。
「出力は制御中。安生4……みんなの位置には、熱流を当ててません。
ほら、あなたたちの周囲だけ温度カーブが――」
「“涼しい”のは分かるけど、そういう問題じゃないから!!」
炎が収まる頃、広間の大半は黒いススと灰に変わっていた。
それでも、生き残った影がひとつ。
水の中から、女王が姿を表す。
半透明の膜が鎧のように身を覆い、その下で筋肉がうごめいている。
「……耐熱性能、高め。データ的には優秀だけど、今はあんまり嬉しくないですね」
「そういうこと平然と言うな!!」と梨花。
ボクは、一歩前に出た。
女王の尾がしなり、水が弾丸みたいに飛んでくる。
それを、意識のバリアで弾きながら、ボクは自分の胸に軽く手を当てた。
(死苦渦からのノイズ……ここまで出力上げると、向こうも噛みついてくるか)
脳の奥でざわついていた“何か”を、キーホルダーの感触に意識を集中することで、ぎりぎり押し返す。
「……よし。リミッター、少しだけ緩める」
女王と目が合う。
お互い、相手を“敵”として――ほんの一瞬、どこか“同類”としても認識しあった感覚があった。
その感覚が、ひどく嫌だった。
「ボクは」
口が、勝手に機械的でない言葉を紡ぐ。
「ボクの――“好きだって思った人たち”を、勝手に弄るやつが、すごく嫌いです」
“好き”という単語が、喉を通るときだけ、ほんの少しひっかかった。
火種が、胸の奥からあふれ出る。
「――燃えろ」
パイロキネシスの炎が、今度は一点集中で放たれた。
白い火線が、女王の胸を貫く。
耐熱膜が悲鳴のように泡立ち、内部の肉が一瞬で炭化する。
「ギ、ギュウウウウウウ……!」
女王は、最後の力で尾を振り下ろそうとする。
だが、その前に、炎が脳へと達した。
動きが止まる。
女王の身体は、音もなく水の中に崩れ落ちた。
広間を満たしていた圧力が抜ける。
地下に渦巻く“何か”との回線が、一旦ぷつりと切れたのがわかった。
「……排除完了。二次災害のリスク、現在値で――」
いつものように、口が自動で報告を続ける。
その途中で、ふと気づいた。
4人分の視線が、こちらに向いている。
さっきまでの“助かった”とか“安心した”とか、そういう色だけじゃない。
そこに、はっきりと“恐怖”が混じっていた。
「……勇吾くん」
ユイリィの声が、わずかに掠れている。
「今の、何……? 本当に、人間の……?」
言葉が途中で途切れる。
梨花も、友香も、ルテアも、同じ目をしていた。
“分からないもの”を見る目。
“自分たちと違う何か”を見る目。
重なる。
白い天井。
冷たい器具。
血の匂い。
そして、ベッドの上でこちらを見た、あの人の――
(やめろ)
頭の中で、誰かが言った気がした。
自分自身の声だと気づくのに、一瞬かかった。
ボクは、ゆっくりと息を吐く。
「……ボクは、火鳥勇吾です」
できるだけ、いつものテンプレ口調で言う。
「ミネルヴァ製の、ちょっと性能がおかしい超能力者ですが。
安生道場の内弟子で、2年C組のクラスメイトで――」
そして、ほんの少し迷ってから、続けた。
「――安生4人を、“好きだって思ってる”火鳥勇吾です」
沈黙。
広間に残った水音だけが、ぽちゃん、と小さく響いた。
真っ先に動いたのは、友香だった。
「……こわ」
正直な一言。
でも、そのあとに続いた言葉は――
「こわいけど……助かったのも事実なんだよなぁ、これ」
苦笑混じりだった。
「僕、今、“どっちの方がでかいか”で頭バグってるからね。
怖い8割、助かってホッとしてるの2割、みたいな」
「割合言うな」
梨花が小さく突っ込みながら、ゆっくり立ち上がる。
その足取りも、ほんの少し震えている。
「火鳥くん」
彼女は、真正面からボクを見た。
「今のあんた、正直言うと……かなり、怖かったわ」
「認識しました」
「でも、“攫われて卵の器にされる未来”よりは、百万倍マシ」
梨花は、深く息を吐いた。
「だから、とりあえず今日は“ありがとう”って言っとく。
ちゃんと震えてるけど、それでも“ありがとう”は本当」
ユイリィも、胸に手を当てながら微笑む。
「ボクも、今はまだ、上手い言葉見つからないけど……
“助けに来てくれた”って事実だけは、ちゃんと受け取ってるから」
ルテアは、腕を抱きしめるようにして肩をすくめた。
「正直、“ボク好みの細マッチョが、火炎放射器付き超能力者に進化した”って感じで、情報量が多すぎるんだけどさ」
「例えがひどい」
「でもまあ――」
ルテアは、目をそらさずに言った。
「ボクらを“焼かなかった”時点で、信頼ポイントはちょっと残ってるよ」
ボクは、胸の奥の何かが少しだけ緩むのを感じた。
(完全な拒絶じゃない)
母のときとは、違う。
怖がられている。
でも、それでも“全部を否定”はされていない。
「……了解しました」
言葉が、今度はすこしだけ、機械っぽくない。
「怖がられてるのも、記録に残します。
その上で、“人間として”もうちょっとマシな付き合い方を、今後検討します」
「検討で終わらせないで、ちゃんと実装しなさいよ」
梨花のツッコミが、今度こそ、いつもの“日常の音”に聞こえた。
沈んだ百貨店の、胃袋みたいな広間。
死苦渦の気配は、ひとまず遠のいている。
焦げた臭いと、まだ震えの残る4人と、いつもより少しだけ乱れたボクの呼吸。
(――バグだらけだな、ボクの感情モジュール)
そう思いながらも、ポケットの中のキーホルダーをそっと握り直す。
敗者の街・郡山の地下で。
火鳥勇吾は、自分が“人間として”ここにいていいのかどうかを、初めて本気で問い始めていた。