搬入口のシャッターの外、駅前の夜は、何事もなかったかのように明るかった。
ボクと4姉妹は、ぐっしょり濡れたまま、コンクリの上に並んで座り込む。
「はぁ……マジで、終わった……」
ルテアが空を仰ぐ。
友香は、自分の腹をそっと撫でて、苦笑いした。
「ねえ、今さらだけどさ。あたしたち、マジで危なかったよね?」
「はい」
口が勝手に答える。
「さっきの進行速度だと、およそ十数分で、あなたたちの子宮に卵を――」
言いながら、自分で喉の奥を噛み潰すみたいな感覚がした。
「……産みつけ“られそうだった”、まででやめときます。続きは、シミュレーションだけで十分です」
「十分どころかいらないから!!」
梨花が、ボクの頭をガシガシとかき回す。
「ほんと、サラッと怖いこと言うのやめなさいよ、あんたは!」
「すみません。危険度の共有プロトコルが、まだ人間仕様に最適化されてませんでした」
「プロトコルの話やめなさい!」
友香が即座にツッコむ。
「でもさ」
ユイリィが、胸の前で指を絡めながら、ふっと息を吐いた。
「……本当に、助かったわ。あのままだったらって考えると、足がまだ震えてる」
「ボクも」
ルテアが、自分の両腕を抱くようにして言う。
「正直、“胃袋ステージ”からここに戻ってこれてるの、今でもちょっと信じられてない」
4人分の呼吸の乱れ方、心拍数。
観察すればするほど、「生きてここにいる」が具体的な数字で見えてくる。
(――生存。確定)
胸の奥が、きし、きし、と変な音を立てる。
「ありがと」
梨花が、ボクの頭に置いた手を、ガシガシから、ぽんぽんに変えた。
「マジで、ありがとね、火鳥くん」
「評価:感謝の表明を受信。ログ保存……完了」
「だからさぁ!」
友香が吹き出す。
「もっと、“こっち”に寄せた返事はないの? 『どういたしまして』とかさ!」
「今、開発中です。ボクの“感情モジュール”は、現在β版なので」
そう言うと、ユイリィがくすっと笑った。
「でもね、勇吾さん」
彼女は、ボクの顔をじっと見て言う。
「地下に来たときから、ずっと“怖い顔”じゃなくて、“心配してる顔”してましたよ」
「……表情筋の制御が甘かったようですね。改善の余地あり」
「そこは改善しなくていいんだってば!」
ルテアが肩をすくめながらも、どこかホッとしたように笑う。
その笑い声を、ボクは静かに記録した。
(この音が止むと、ボクの頭のノイズレベルは逆に上がる。
――つまり、安生4ユニットの存続は、ボクの精神安定に有利)
そう結論しかけたところで。
「ねえ、勇吾」
梨花が、少しだけ真面目な声で呼んだ。
「さっき地下でさ……あんたのこと、怖いって言ったでしょ」
心拍数が、不自然に跳ねる。
「うん」
「……ごめん」
その一言が、思っていたよりずっと静かに落ちてきた。
「怖かったのは本当。でも、“怖いから”って、全部まとめて拒否みたいな言い方して……
助けに来てくれたのにさ。あれは、ちょっと違ったなって思ってる」
「ボクも、ごめん」
ユイリィが小さくうなずく。
「今も、正直ちょっと怖いです。あの炎も、何をしたのかも、全部は分からないから。
でも、それと“助けてくれたこと”は、ちゃんと別で見なきゃいけないのに、混ぜちゃって」
「ボクもだよ」
ルテアが苦笑いする。
「『ボク好みの細マッチョが火炎放射器付きになった』とか、変なこと言ったけどさ。
あれ、半分は怖さのごまかしだったから」
友香も、頭をかきながら、ボクを見る。
「正直言うとね、今でも“こいつ、何者だよ!”って気持ちは残ってる。
でも、それ以上に――」
一度、言葉を切って。
「助けてくれて、ありがとう。勇吾」
顔をまっすぐ向けて、そう言った。
胸の中で、何かががしゃんと噛み合った感覚がする。
(怖い、のに。
それでも、“ありがとう”って言ってくる)
母の目は、あんな色じゃなかった。
あれは、“怖い”と“拒絶”だけだった。
今、目の前の4人の瞳には――
たしかに“恐怖”は残っている。
でも、その下に、“感謝”と、“こっちを見続けようとする意志”がある。
(……矛盾してる)
ボクの中のロジックが、警告を出す。
恐怖と、感謝。
拒絶ではなく、受け入れようとしている手。
相反するはずのデータが、同じ場所から同時に入力されてくる。
「……処理が、間に合ってません」
気づいたら、声に出ていた。
「こわい、って言われるのは、慣れてます。
実験体とか、兵器とか、そういうラベルとセットだったから」
喉の奥が、きゅっと締まる。
「でも、こわいのに、“ごめん”って謝られて、“ありがとう”って言われるのは……
ボクの中の計算式に、まだ入ってなくて」
「勇吾?」
梨花が、覗き込む。
視界が、少し滲んだ。
(あれ?)
頬を伝う感覚に、ボクは一瞬、本気で首をかしげる。
「……故障?」
「いや故障じゃないから!?」
友香が即座にツッコむ。
「それ、泣いてるの! 分かる!? 勇吾くん!」
「涙腺機能……動作確認。予期せぬ自動起動。原因不明」
自分で言って、さらに訳が分からなくなる。
(これは、なんだ)
痛いわけじゃない。
苦しいだけでもない。
胸の奥が熱くて、喉が詰まって、でも――
さっき地下で感じた“拒絶のフラッシュバック”のときより、ずっと、息がしやすい。
その違いを、ボクはまだ言語化できない。
「……ごめん」
思わず、口からこぼれた。
「ボク、今、なんで泣いてるのか……分かってないです」
「分かってなくていいよ」
梨花が、そっとボクの頭をくしゃっと撫でた。
「怖がらせたの、事実。
でも、それでも助けに来てくれて、ボロボロになって、訳も分からず泣いてるあんた見てさ」
彼女は、すこしだけ笑う。
「――“ああ、やっぱり火鳥勇吾だな”って思ったから」
「そうそう」
ルテアが、腕で自分の鳥肌をさすりながらも言う。
「こわいのはこわい。
でも、“こわいから嫌い”とは、今は言わないでおく。……それくらいの猶予は、あげる」
「猶予期間、設定しました」
ボクは、涙でぐちゃぐちゃになりかけた目を、袖で拭った。
「今後も、あなたたちが変なものに攫われた場合は、
ボクが全力で迎えに行きます。焼却出力は、次回からもう少し人間社会仕様に調整します」
「まず“攫われないようにする努力”を覚えなさい!」
梨花の拳骨が、今度はほんの少しだけ強めに、ボクの頭頂部に落ちた。
ちゃんと痛い。
でも、その痛みの中に、“ここにいていい”という情報が混ざっている気がした。
郡山駅前の喧騒の中で、ボクはひとつ、大きく息を吐く。
――この夜、安生4姉妹の腹から何かが食い破って生まれてくることはなかった。
それは、ボクのSAN値には、一切プラスの補正をもたらさないかもしれない。
けれど。
恐怖と感謝が同時に向けられて、
それでも隣に座って頭を叩いてくる人たちがいる――その事実が、胸のどこかを、静かにあたためていた。
その感覚に名前をつけられるのは、たぶん、もう少し先の話だ。