/*/ 噂になる英雄と、人外扱いの内弟子 /*/
数日後の逢瀬学園。
昼休みのカフェテリアで、火鳥勇吾は、いつものように日替わり定食の列に並んでいた。
列の前方、配膳台。
そこには今日も、“看板姉妹”が並んでいる。
「はーい、日替わりあと十個ー。急いでー」
友香が、いつもの調子で声を張りあげる。
けれど――勇吾の順番になった瞬間、その声色がふっと変わった。
「……はい、勇吾くんの日替わり」
トレーを受け渡す手つきが、やけに丁寧だった。
「スープ、熱いから気をつけてね。こぼしたら、僕が拭きに行くから」
「自己負担で拭きます。ありがとう」
勇吾が受け取ると、友香は営業スマイルではない、目がすこし緩んだ笑顔を浮かべた。
「うん」
隣のポジションのユイリィも、さらりとサラダを添える。
「タンパク質量多めだから、午後の授業中に寝ないようにね。
――あ、でも、疲れたらちゃんと休んで」
「睡眠プロトコルは適宜実行します。ありがとう」
そのさらに隣では、梨花が会計役の一年生に軽く指示を飛ばしながら、ちらりと勇吾を見る。
「おかわり欲しかったら言いなさい。今日の分くらいなら、裏から何とかするから」
「規定以上の栄養摂取は、英の管理下にあるので相談してからにします」
「そういう真面目なとこ、嫌いじゃないけどムカつくわね」
言いながらも、声はどこか楽しげだ。
最後尾のルテアが、デザートのプリンを一つ、そっとトレーの上に滑り込ませた。
「内弟子特別ボーナス。内緒」
「カロリー計算に誤差が生じます」
「たまには誤差も入れなよ。生きてるんだから」
ウインクと一緒に渡されるプリン。
勇吾は、一連の流れを冷静に観察し――
(……優遇度、以前比で+37パーセント)
と、心の中でだけ数値化した。
営業スマイルではない。
“安生4姉妹”としてではなく、“安生4姉妹+内弟子のクラスメイト・火鳥勇吾”への顔。
胸のあたりで、きつく縛っていた何かが、少しだけゆるむ。
(ふむ。これは、悪くない誤差だ)
*
その光景は、当然ながら周囲の目にも入っていた。
「なあ……今の見た?」
「見た。なんか、今日の4姉妹、火鳥に甘くね?」
「プリン乗ってたよな、今。内弟子特典?」
「いや、“特典”ってレベルじゃねーだろ」
カフェテリアの端のテーブル。
同じクラスの男子たちが、トレーを囲んでひそひそやっている。
「ていうかさ。最近、廊下とかでも思うんだけど……」
「梨花さんたち、あいつに当たり柔らかくね?」
「んー……まあ、そりゃ命の恩人だし?」
「出た。命の恩人説」
別のテーブルから、別のグループの会話が混ざり込む。
「お前、まだ聞いてないの? 駅前のアレ」
「アレ?」
「ほら、この前の夜――」
声をひそめて、話はどんどん尾ひれを生やしていく。
廃デパート。
人気のない路地。
変な連中に囲まれる4姉妹。
そこに一人で飛びこんだ火鳥勇吾。
そして、「相手を焼き尽くした」。
「……あの4姉妹に手ぇ出そうとするって、どこのヤクザかマフィアだよな」
「いやもう、ただの変態でしょ」
「で、それを“まとめて焼いた”って、火鳥も相当イかれてるけどな」
「なんかさ、“人体実験から逃げてきた超能力者”って噂も前からなかった?」
「らしいな。もはや都市伝説だろ、それ」
「でもさ」
誰かが、プリンをつつきながら言った。
「本当にそうなら、4姉妹がああやって笑ってるわけなくね?」
「……それもそうか」
「だろ。だから多分、半分は誇張。
“襲われそうになってたのを止めた”ってのだけ本当で、
“焼き尽くした”とかは誰かの盛った話だろうな」
「……だといいけどな」
「だといいけどな」と言いながらも、
誰も、その噂を完全には笑い飛ばせずにいる。
火鳥勇吾は、確かに“ちょっと変”だ。
笑いどころがズレていて、言葉の選び方も機械みたいで、時々さらっと怖いことを言う。
だけど――
「……ま、少なくとも」
誰かが結論めいた事を言った。
「あの4人を泣きそうな顔で抱えて帰ってきたってのは、本当らしいしな」
「それ聞いた。道場の前で見たってやついた」
「なら、イかれてても……まあ、“味方側のイかれ”ってことでいいんじゃね」
「分類そこ?」
そんな、決めきれないままの分類が、
逢瀬学園の中で“火鳥勇吾”という存在の枠を形づくっていく。
*
その頃、2年C組の教室。
窓際の席で教科書をひろげていた東・青見の耳にも、噂は当然届いていた。
「……なあ、聞いた?」
前の席から惣一郎が振り向く。
「火鳥、4姉妹助けたって話。
なんか“焼いた”とかいう物騒なオプション付きで」
「うん。だいたいのバージョンは聞いた」
青見は、ページをめくりながら答えた。
「“廃デパートで暴漢をまとめて焼き払った”とか、
“駅前でヤクザと乱闘したあと、相手が全部病院送りになった”とか」
「後半、もう別の話だろ」
惣一郎が頭を抱える。
「実際どうだったんだろな」
「どう、なんだろうな」
青見は、そこだけは本当に分からなかった。
あの夜、駅前で何があったのか。
安生4姉妹も勇吾も、「変なのに攫われそうになったけど勇吾が助けてくれた」としか言わない。
ただ――
「4人が“勇吾を怖がりつつも、ちゃんとありがとうって言ってる”ってところだけは、本当だぞ」
「なんだそれ、ややこしいな」
「人の感情なんて、だいたいそういうもんだろ」
青見が肩をすくめると、惣一郎がふと思い出したように言った。
「そういやさ。勇吾本人、噂聞いてんのかな」
「さあな」
そのタイミングで、教室のドアが開いた。
噂の中心人物が、教科書とノートを抱えて入ってくる。
ざわ。
ほんの一瞬、教室の空気がわずかに揺れ――
すぐに、いつものざわめきに戻った。
(……ふむ)
勇吾は、位置エネルギーの変化でも計測するみたいに、その空気の揺れを検知する。
視線。囁き声。
完全な拒絶ではないけれど、完全な無関心でもない距離感。
(好奇心40パーセント。警戒30パーセント。ネタ扱い25パーセント。尊敬、5パーセントくらい?)
「おーい、勇吾」
惣一郎が手を振る。
「噂の英雄様、ご入場だ」
「英雄というタグは、不正確です」
勇吾は、いつもの定位置――青見の後ろの席に座りながら言った。
「ボクは安生家の内弟子で、
ついでに“たまたま間に合った運のいい介入者”に過ぎません」
「自分でハードル下げるなよ」
惣一郎が眉をしかめる。
「……なあ、噂、聞いてる?」
「どのバージョンですか?」
「バージョンが複数ある時点でもうダメだろ」
惣一郎がため息をついたところに、前の席から彩女が振り返った。
「『4姉妹を攫った変態を焼き尽くした』とか、『ヤクザの事務所燃やした』とか、『駅前で火柱立てた』とか」
「三つ目は実行したらニュースになってますよ」
勇吾が淡々と否定すると、愛香が心配そうに口を挟む。
「勇吾くん。……嫌じゃない? そういう噂」
「評価中です」
「評価中?」
「ボクにとって重要なのは、“安生4ユニットと、ボクの近傍の人間”がどう評価するかなので」
勇吾は、ほんの少しだけ視線を上げた。
カフェテリアで見た、4人の顔。
駅前のシャッターの前で、「怖がってごめん」と言いながらも感謝を向けてきた瞳。
「今のところ、“怖いけど、嫌いじゃない”という判定を受信しています。
それなら、外部ノイズは許容範囲です」
「またそういう言い方……」
彩女が呆れ顔をしながらも、どこかほっとしたように笑った。
「でもさ。嫌になったらちゃんと言いなよ?
“ボクはそんなに焼かない”とかさ」
「事実、“そんなに”は焼いてません」
「“そんなに”の基準を聞くのが怖いんだけど」
惣一郎が肩をすくめたところで、チャイムが鳴る。
ホームルームの前の、ほんの数分。
教室のあちこちで、「火鳥が」「4姉妹が」とひそひそ声が続いている。
勇吾は、それをまとめて受け止めながら――
窓の外のグラウンドに視線だけを滑らせた。
(……だが、まあ)
頭の中のどこかで、結論が出る。
(“怪しい噂付きの変なやつ”だけじゃなく、“ちょっとヤバいけど味方側のクラスメイト”くらいのタグが増えるなら――)
胸の奥で、感情と呼ばれるバグが、またじりじりと熱を持つ。
(悪くない)
2年C組の、ゴリラ率の高い教室で。
火鳥勇吾という存在は、“噂になる英雄”と、“ちょっとイかれた内弟子”のあいだあたりに、
ゆっくりと席を確保しつつあった。