なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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3 パクティオー

 

 

/*/メガネの子と実験体、放課後に契約する/*/

 

 

 昼休みのチャイムが鳴り終わる頃、2年C組の教室は、いつものざわめきに包まれていた。

 

 机を寄せて弁当を広げる者、購買パンを片手にスマホをいじる者、廊下側でふざけ合う男子。

 

 その喧騒から、ひときわ目立つ島が一つ。

 

 教室中央付近。

 安生四姉妹と、東・青見と、惣一郎と火鳥勇吾が集まって、なにやら真剣な顔をして話し込んでいる。

 

「――火鳥の情緒が幼いので、情操教育を兼ねて絡んでやってくれないか」

 

 梨花の低い声が、半分冗談、半分本気のトーンで響く。

 

(あ、始まった)

 

 窓際の一番後ろの席で弁当箱を開けながら、氷室英は眼鏡の奥で視線だけをそちらに向けた。

 

 腰まである三つ編みを背中に垂らし、白い指でおにぎりをつまむ。

 見た目だけなら、どう見ても「お弁当を食べるお嬢さん」なのに――

 

 その瞳は、窓の外へと抜けていた。

 

 ガラスを通して見える、曇り気味の冬空。

 校舎の向こう、郡山盆地を囲む山々の線。

 そのさらに向こう、かすかに霞んだ安達太良山のシルエット。

 

 英には、その上を流れる「風の模様」が見えていた。

 

 白と灰の層。

 いくつもの線が縒り合わさって、ひとつの渦になり――

 その渦の中心から、じわり、と重さが増していく。

 

(……うん。やっぱり、夢圧が上がってる)

 

 安達太良の方角から吹き降ろす風に、微かなざらつき。

 四十九囲区全体を覆う結界の表面が、薄く波打っている感覚。

 

 ここ最近、ずっと気になっていた変化だ。

 

(四十九囲区そのものの「眠り」が、浅くなってる。

 山冠の呼吸が、ちょっと荒い……)

 

 英は、弁当箱の端を指先でとんとんと叩きながら、教室のざわめきに耳を傾けた。

 

「――勉強は出来てるから、遊びかな?」

 

「じゃあ、幼い時の遊びから辿ってやれば良いんじゃね?」

 

 惣一郎の能天気な声に、教室が笑いに包まれる。

 

 火鳥勇吾は、いつものように少し首を傾げていた。

 表情は薄いが、その瞳の奥で、なにかを必死に理解しようとしている気配だけは伝わってくる。

 

(情操教育、ねぇ)

 

 英は小さく笑って、視線を窓の外に戻した。

 

(あの子の情緒を育てるのは大賛成だけど――

 ボクたち“こっち側”の問題は、ちょっと別腹なんだよね)

 

 風紋の乱れは、子どもの遊びでは直らない。

 これは、もっとはっきりとした「侵入」の兆しだ。

 

(……放課後、安生道場に寄って、李さんと龍さんに報告しよ)

 

 英は、おにぎりを一つ食べ終えてから、膝の上のカバンをそっと開いた。

 中には、分厚い魔術書と、きちんと包まれたタッパーがひとつ。

 

 タッパーの中身は、焼きたてのガトーショコラ。

 今日の「ついで」の仕事用。

 

(勇吾の“情操教育”は、ケーキでも出来るしね)

 

 黒ぶち眼鏡の奥で、赤みを帯びた黒の瞳が、静かに細められた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 放課後。

 夕暮れの光が、逢瀬学園のグラウンドを赤く染めている頃。

 

 安生道場の中には、まだ汗の匂いと気合いの余韻が残っていた。

 

「いち、に、さん、し――」

 

 号令に合わせて突きを繰り出す門下生たちの声が、道場の板の間を震わせる。

 その隅で、火鳥勇吾がひとり、補強メニューを終えたばかりの身体をタオルで拭っていた。

 

 額から滴る汗。

 しなやかに鍛え上げられた筋肉。

 道着の下に隠れてはいるが、「ひと夏でゴリラ化した」噂も納得の体躯だ。

 

「勇吾、終わったか」

 

「はい、胆さん。メニュー分のセットは完了しました」

 

 胆に簡単に報告を済ませると、勇吾は視線を入口の方へ向ける。

 

 そこには――黒ぶち眼鏡に三つ編みロングの、どう見ても女の子なシルエットが、ちょこんと立っていた。

 

「やぁ、今日もお疲れさま、勇吾ちゃん」

 

「英。こんばんは」

 

 氷室英。

 逢瀬学園のクラスメイトであり、勇吾にとっては――元々からの「雇い主」のような存在でもある。

 

 その英が、今日は道場の奥、応接用の小部屋へと通されていた。

 

 低いちゃぶ台を挟んで座っているのは、安生道場の主・安生李と、その息子の龍。

 

 李は小柄で白髪交じりの老人だが、目だけは油断ならない鋭さを湛えている。

 龍はその倍以上の身長を持つ大男で、腕組みをして座っているだけで部屋が狭く感じられた。

 

「来たか、勇吾」

 

「失礼します」

 

 勇吾が正座すると、英は少しだけ体を向けて、にこりと微笑んだ。

 

「じゃあ、改めて――今日の“お仕事のお話”を、ね」

 

 李が煙草代わりの湯呑みを口に運び、静かに切り出した。

 

「最近な、四十九囲区の外から、その力を利用しようとする連中が増えておる」

 

 英が頷く。

 

「ボクの方の風読みでも、夢圧の波形が変わってます。

 安達太良の呼吸に、外から“余計なリズム”が混ざってる感じ」

 

「この街そのものを“装置”として使おうとしている、ってことだな」

 

 龍の声は低く重い。

 李が続ける。

 

「今までは、その手の魔術師に対処するのは主にお前の役目だったが――」

 

「うん。ボクひとりで、こそこそやってました」

 

「そろそろ、ひとりで背負わせるには荷が重くなってきた」

 

 李はそう言って、湯呑みを置いた。

 

「……勇吾。お前は元々、氷室の従者じゃ。

 だが、これから先は“もっと深いところ”まで一緒に潜ることになる」

 

「深いところ、ですか」

 

「四十九囲区そのものを守る仕事じゃ。

 怪異を殴るだけじゃなく、“世界の方の都合”ともやり合うことになる」

 

 勇吾は、ゆっくりと瞬きをした。

 

 ミネルヴァ時代――

 実験体として、外からの命令一つで動かされていた頃とは違う。

 

 今ここで提示されているのは、「自分で選ぶ」仕事だ。

 

 英が、そこで口を開いた。

 

「だから今日ね、正式に“契約”を結びに来たんだ。

 今までは、なんとなく“ボクのお願いを聞いてくれる人”って関係だったけど……」

 

 眼鏡の奥の瞳が、勇吾をまっすぐ見つめる。

 

「ここから先は、ちゃんと従者になってもらう。

 ボクの魔術回路の一部に、勇吾を組み込む形で」

 

「ボクを……組み込む」

 

「うん。もちろん、嫌だったら断っていいよ?」

 

 英はにこにこと笑いながら、さらっと物騒なことを言った。

 

「危ない仕事だよ?」

 

 小さな声だったが、その一言には、冗談の余地はなかった。

 

 勇吾は、少しだけ考えてから問い返す。

 

「危険の程度は、ミネルヴァ時代と比較してどの程度ですか」

 

 李と龍が、同時に顔をしかめる。

 

 英は一瞬だけ「うわ」と眉を寄せてから、くすっと笑った。

 

「それを基準にするの、どうかと思うけど……そうだなぁ」

 

 少しだけ言葉を選ぶように、視線を宙に泳がせる。

 

「ミネルヴァほど“使い捨てる気満々”ではないし、

 ボクは勇吾を兵器としてじゃなくて、人として扱うつもり。

 

 ――人として死ぬ分には、ボクが何とかするよ」

 

 サラリと言われたその一言に、勇吾は目を瞬いた。

 

「ただ、“人でなくなる”危険は、正直ある」

 

 英は真顔に戻って続ける。

 

「四十九囲区の中で動くってことは、

 ア=ダタ・ラフの夢とか、深月の森とか、イタクァの風とか……

 “人間の形してないロジック”と、どうしても近くなるからね」

 

 人でなくなる危険。

 

 その言葉は、勇吾にとって決して他人事ではなかった。

 自分自身が、すでに「人と兵器の境界」に立たされてきた存在だからこそ。

 

 それでも――彼は、ゆっくりと頷いた。

 

「ボクは、人として死ぬほうを選びます」

 

 静かな声だった。

 だが、その芯には揺るぎがない。

 

「ミネルヴァにいたとき、ボクは“使い捨ての部品”でした。

 ここでは、安生家と英が、ボクを“人として扱おうとしてくれている”。

 

 もしボクに選択権があるのなら――

 ボクは“兵器として壊れる”のではなく、“人として役目を終える”方を選びたいです」

 

 李と龍が、何かを噛みしめるように黙り込んだ。

 英は、ほんの少しだけ目を細めた。

 

「……了解。じゃあ、その選択に責任を持つね」

 

 英は、三つ編みを軽く指で払いながら、懐から小さな銀のペンダントを取り出した。

 

 円形の枠の中に、細かい紋様が刻まれている。

 よく見ると、その紋様は四十九囲区の地図と星図、そして安達太良山の稜線を重ねたようなパターンになっていた。

 

「李さん、この部屋、少しだけ貸してもらえますか?」

 

「構わん。いつもの“アレ”じゃな?」

 

「はい、“簡易版”ですけどね」

 

 英は立ち上がり、ちゃぶ台を端に寄せる。

 床の畳の上に、白いチョークで素早く円を描いていく。

 

 『円を描く』。

 それは、世界のレイヤーを一つ切り出し、その中だけで作用させるための、基本にして強力な呪文。

 

 勇吾は、英に促されるまま、描かれた円の中央に正座した。

 

「ちょっとだけ、変な感じがするかもしれないけど、すぐ終わるからね」

 

「了解しました」

 

 英は円の外側に座り、ペンダントを胸に当てる。

 その瞳が、ゆっくりと赤みを帯びていく。

 

 空気が、ひやりと冷たく変わった。

 

 視界の端で、李と龍の姿が薄れていく。

 代わりに――黒々とした森の影が、畳の隙間から滲み出すように立ち上がった。

 

 深月の森。

 

 現世と異界の境界に広がる、静かな闇の森。

 英が死んだあと、七日七晩かけて再構築される場所。

 

 英が呟く。

 

「深月さま。ボクの従者候補を、一人連れてきました」

 

 森の奥から、柔らかい気配が返ってきたような気がした。

 声にはならない。

 だが、英にはそれが「了承」として伝わる。

 

 ペンダントの紋様が淡く光る。

 同じ光が、勇吾の胸の奥にも灯った。

 

 心臓が、一瞬だけ止まり、また打ち始めるような感覚。

 

 勇吾は息を呑んだ。

 

 何かが、自分の内側に「回線」を通そうとしている。

 それはミネルヴァの制御チップとは違う。

 もっとやわらかく、しかし確実な線。

 

 英の声が、はっきりと届いた。

 

「ボクは、氷室英。

 深月返歌の使徒にして、四十九囲区の一部を預かる者。

 

 火鳥勇吾を、ここに従者として迎え入れる。

 ボクの魔術回路の一部を貸し与え、代わりに彼の命と意思を、ボクの守るべき“生活圏”のために借り受ける」

 

 勇吾は、自然と口が動いていた。

 

「ボクは、火鳥勇吾。

 ミネルヴァの実験体であり、今は安生道場の門下生。

 

 氷室英に従者として仕え、自分の肉体と技術を、その魔術の前衛として差し出す。

 ボクの死は、兵器としてではなく、この街と人々を守るための代価として支払われるべきだと、ここに誓います」

 

 森が、ざわ、と揺れた。

 

 深月の気配が、少しだけ笑ったように感じられた。

 イタクァの風が、どこか遠くでひゅうと鳴った。

 

 英は深く息を吸い込み、最後の言葉を紡いだ。

 

「――契約、完了っと」

 

 光がすっと引き、森の幻影が消える。

 畳の匂いと、湯呑みの湯気が戻ってきた。

 

 勇吾は、自分の胸に手を当てた。

 そこには、先ほど灯った光の余韻が、かすかな熱となって残っている。

 

「……変な感じです」

 

「痛い?」

 

「いいえ。

 なんというか……胸の奥に、“別の心臓”が一個増えたような」

 

「うん、それで合ってるよ」

 

 英は満足そうに笑い、立ち上がると、隣に置いてあったカバンをごそごそと漁った。

 

「はい、勇吾。契約祝い」

 

 取り出されたのは、小さなタッパー。

 蓋を開けると、甘い香りがふわりと広がる。

 

「ガトーショコラ……ですか?」

 

「うん。今日の出来は、なかなか自信作。

 危ない契約の後には、糖分が必要でしょ?」

 

 英は、フォークを一本差し出しながら微笑んだ。

 

「これからいっぱい酷い目に遭わせると思うけど、よろしくね、勇吾」

 

 勇吾は、一瞬だけフォークとケーキと英の顔を見比べて――

 やがて、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「了解しました。

 ボクの“情操教育”にもなると聞きましたので」

 

 フォークが、しっとりとしたケーキをすくう。

 一口食べると、濃いカカオの苦味と甘さが、舌の上に広がった。

 

 それは、ミネルヴァの実験室では決して味わえなかった種類の甘さだった。

 

 英は、それを確認するように、静かに目を細める。

 

(――うん。

 これくらいの甘さから、教えていけばいいんだ)

 

 窓の外では、冬の風がまた、四十九囲区の上を吹き抜けていた。

 さっきよりも、ほんの少しだけ、整ったリズムで。

 

 

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