なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

206 / 240
じっくり見極める

 

 

/*/ その夜の安生家 /*/

 

 

 勇吾が目を覚ましたあとも、安生家の夜はしばらく落ち着かなかった。

 

 龍と李と英は、そのまま客間に籠もり、指輪の今後の処理について低い声で協議を続けていた。

 ルテアは「休め」と何度も言われながらも、結局は内弟子部屋と客間のあいだを行ったり来たりしてしまう。

 

 勇吾は、布団の上で天井を見上げていた。

 

 胸の中央の赤い印は、まだじんじんと痒い。

 さっき英に少し抑えてもらったおかげで、焼けるような痛みまでは引いているが、それでも、「ここに噛み痕ありますよ」と自己主張してくる感覚は消えない。

 

(……まぁ、ガチ噛みじゃなくて“歯形だけ”なら、上々か)

 

 内心でそんな冗談を飛ばせるあたり、自分でも相当図太いと思う。

 

 襖が、そっと開いた。

 

「起きてる?」

 

 顔を覗かせたのは、ルテアだった。

 

 お風呂上がりなのか、髪が少し湿っている。

 パーカーの袖を両手で握って、申し訳なさそうに立ち尽くしていた。

 

「起きてるよ。脳内悪夢上映はひとまず終わった」

 

「……変な報告の仕方しないで」

 

 ルテアは部屋に入ってきて、勇吾の布団の横にちょこんと正座した。

 

 距離は近いのに、どこか遠慮がちだ。

 

「英さんたちは?」

 

「まだ指輪のこと話してる。結構、根が深い案件だから」

 

「だろうねぇ。三百年モノだもんなぁ……」

 

 勇吾は天井を見たまま、ゆるく笑った。

 

「で、ルテアさんは。怒ってる?」

 

「誰に?」

 

「ボクに」

 

 ルテアは、一瞬だけ目を丸くした。

 

 すぐに、首を横に振る。

 

「怒ってない。むしろ……感謝してるよ。

 あたしがちゃんと話さなかったから、勇吾くんが危ない目に遭ったのは本当だけど」

 

 そこで、少し言葉を探すように視線を落とした。

 

「でも、“あたしだけの罰”みたいに思ってたやつを、『共同案件』って言ってくれたの、正直、すごく助かった」

 

「ボクも、その方が気が楽だからね」

 

 勇吾は、ゆっくりと横を向いた。

 

 ルテアの横顔は、さっきまでより少しだけ柔らかい。

 それでも、目の奥にはまだ薄く影が残っている。

 

「ボクさ」

 

「うん」

 

「ミネルヴァから逃げてきたとき、“もう、誰の実験にも付き合いたくない”って思ってたんだ」

 

 自分でも少し驚くくらい、あっさりその言葉が出た。

 

 ルテアが、そっとこちらを見る。

 

「でも、結果的に、今また“実験”のど真ん中なわけで」

 

「……ごめん」

 

「違う違う。そういう意味じゃなくて」

 

 勇吾は、片手をひらひら振った。

 

「今回は、“自分のためだけの実験”じゃないから、まだマシだなーって」

 

「自分のためだけ、じゃない?」

 

「うん。

 ボクが呪物にマーキングされたのも、ルテアさんのトラウマの続きも、安生家の結界も、英さんの風も――」

 

 言葉を一つひとつ並べながら、勇吾は少し笑う。

 

「ぜんぶまとめて、“この街の安全保障案件”じゃん。

 ボク、そういう“みんなのため”ってヤツ、嫌いじゃないんだよね」

 

「……そういうとこ、ほんと勇吾くんだよね」

 

 ルテアが、呆れ半分、安心半分のため息を漏らす。

 

「普通さ、もっと“自分の身を守らなきゃ”ってなるでしょ。

 なんで“街の安全保障案件”に話が飛ぶかな」

 

「内弟子だから」

 

 即答。

 

「安生家の内弟子=この辺一帯のガードマン見習い、って認識でいるからさ。

 ボクの異常さが役に立つなら、それはそれで採算取れるし」

 

「ミネルヴァに聞かせてあげたいよ、その言い分」

 

 ルテアが、少し笑う。

 

 その笑みが、やっと「本物」になった気がして、勇吾はほっと胸をなで下ろした。

 

 沈黙が、しばし続く。

 

 畳の上で、掛け時計の秒針がちいさく刻む音。

 外では、郡山の夜風が、安生家の屋根を撫でている。

 

「ねぇ、勇吾くん」

 

「ん」

 

「さっき、英さんが言ってたでしょ。

 “向こうがタグを付けたなら、こっちも辿れるかもしれない”って」

 

「ああ」

 

「それって、危なくない?」

 

 ルテアの声は、さっきより低い。

 

「だって、また勇吾くんの中に、あいつら入り込んでくるかもしれないじゃん」

 

「危ないね。めちゃくちゃ危ない」

 

 勇吾はあっさり頷いた。

 

「けど、“どう危ないか”を正確に把握しておかないと、封印も破壊もできない」

 

 それは、ミネルヴァで嫌というほど叩き込まれた理屈だ。

 

 未知の危険は、まず分解し、構造を理解し、管理可能な形に落とし込む。

 それができるまで、決して「見なかったこと」にしない。

 

「ボクは、そのへんの“嫌な訓練”は済ませてきちゃってるからさ。

 使えるもんは、使おうと思う」

 

「……ほんと、そういうとこ、好きだけど嫌い」

 

 ルテアがぽつりと言った。

 

 勇吾は、目を瞬く。

 

「どっち?」

 

「どっちも」

 

 即答。

 

「自分が傷つく覚悟を一番に前に出すから、見てて怖いの。

 でも、それが“あたしのせい”をちょっと軽くしてくれるから、助かってもいる」

 

 ルテアは、自分の膝の上で手をぎゅっと握る。

 

「だから、一個だけ約束して」

 

「なに?」

 

「勝手に“ひとりで”抱え込むの、やめて」

 

 視線が、真っ直ぐぶつかってくる。

 

「英さんでも、李さんでも、龍さんでも、あたしでもいいから。

 ちゃんと、“無理そうだったら無理”って言って」

 

「……難題だなぁ」

 

「難題なんだ」

 

 ルテアは笑った。

 

「だってそれ、あたしが安生家に来たときに龍さんに言われたやつだもん。

 “自分で勝手に背負い込むな。困ったら、ちゃんと助けを呼べ”って」

 

 勇吾は、少しだけ目を丸くした。

 

 その光景が頭に浮かぶ。

 まだ今よりずっと幼いルテアが、震えながらこの家の門をくぐった時のこと。

 

「そっか。先輩だったんだね、ルテアさん」

 

「安生家の“助けを呼ぶ練習”に関してはね」

 

 ちょっと得意げに胸を張る仕草が、どこか子供っぽくて、勇吾はつい笑ってしまう。

 

「じゃあ、その先輩の言うことは、素直に聞くべきか」

 

「そうそう」

 

 ルテアは得意満面で頷いた。

 

「これは命令です。内弟子・火鳥勇吾。

 “ひとりで抱え込まないこと”。よろしいか?」

 

「了解しました、先輩」

 

 敬礼のジェスチャーをすると、ルテアがふふっと吹き出した。

 

 笑い声と一緒に、部屋の空気が少し軽くなる。

 

 勇吾の胸の印が、かすかに熱を和らげた気がした。

 

 

/*/ 指輪の独り言 /*/

 

 

 客間の隅。

 英が張った風の結界と、李の護符袋の二重封印の中で、ルビーの指輪はじっとしていた。

 

 外から見れば、ただの赤い石。

 魔術師の目で見ても、今は抑え込まれて、ほとんど反応を示していない。

 

 だが、内側では、別だ。

 

 大食鬼は、外の気配を舐めるように感じ取っていた。

 

 客間のすぐ隣。

 内弟子部屋。

 

 そこには、さっきタグを刻んだ少年がいる。

 

 自分の中を覗き返そうとする意思。

 異常であることを自覚しながら、それでも“人間であろうとする”矛盾。

 

 いい具合に歪んでいて、いい具合に真っ直ぐだ。

 

(やれやれ)

 

 大食鬼は、指輪の内側で丸くなった。

 

(こりゃ、本当に長期戦だな)

 

 本来なら、もっと手っ取り早く済ませられる獲物も山ほどいた。

 

 弱い人形を選んで、罪悪感だけで締め上げて、さっさと器にしてしまえばいい。

 それで三百年、ベルナルドを楽しんできたのだから。

 

 でも――

 

(今度は、ちょっと趣向を変えてもいいか)

 

 ルテア。

 勇吾。

 英。

 安生家。

 

 どいつもこいつも、“諦めない”癖がついている。

 

 すぐに折れない。

 何度折っても、そのたびに立ち上がろうとする。

 

 観察対象としては、最高だ。

 

(ベルナルド。お前さ、いいところまで行ってたくせに、つまらない終わり方したからねぇ)

 

 思い出す。

 

 山の中。

 血と火薬の匂い。

 獣のような男――安生龍の拳。

 

(あの時は、正直焦ったよ)

 

 器を守るはずの肉体が、容赦なく破壊されていく。

 指輪は辛うじて逃げた。

 ベルナルド本人は、いい感じに熟したところで食べ尽くした。

 

(今度はもう少し、最後まで見届けてやる)

 

 ルビーの奥で、チロリと舌が動いた気配。

 

 節操なく、誰にでも手を伸ばす。

 けれど、その分だけ、誰が一番面白い結末を迎えるのかも、じっくり見極めることができる。

 

(ルテア。火鳥勇吾。氷室英。安生家の連中)

 

 大食鬼は、静かに笑った。

 

(君たちの“諦めなさ”が、本物かどうか――たっぷり試させてもらうよ)

 

 布袋の口の外側で、護符がかすかに光を放つ。

 

 英の風が、それに重なって、指輪の中に染み込もうとする。

 

 大食鬼は、それを「スパイス」として受け止めた。

 

 ――ねぇ。

 

 遠くで、まだ小さな声がする。

 

 ピンクブロンドの少女の、昔の声。

 被験体として泣きながら、それでも「生きていたい」と願った声。

 

 それはもう、指輪の餌にはならない。

 

 彼女は、安生家で、別の味を覚えてしまったからだ。

 

(そこも含めて、全部、観察だ)

 

 大食鬼は、もう一度身じろぎした。

 

 そして、ひとまず眠ることにした。

 

 長い長い、ゲームの二手目が打たれるその瞬間を、楽しみに待ちながら。

 

 

/*/ 夜が明けるまで /*/

 

 

 その夜、安生家では誰も熟睡しなかった。

 

 龍は結界の巡回に出て、李は護符の調整で夜更かしし、英は自宅に戻ってからもノートに長々と呪物対策の式を書き連ねた。

 

 ルテアは、勇吾の部屋を一度出て、自分の部屋のベッドの上で丸くなる。

 

 胸の奥には、まだざわざわとした不安が残っている。

 でも、そのすぐ隣に――ほんの少しだけ、“頼れる背中”の感触も並んでいた。

 

 内弟子の背中。

 安生家の背中。

 そして、自分自身の、「もう黙らない」と決めた背中。

 

 ルテアは、枕をぎゅっと抱きしめる。

 

「……諦めないよ」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いた言葉は、部屋の静けさに溶けていった。

 

 窓の外で、郡山の夜風が、安生家の屋根と結界を撫でていく。

 

 それは、ベルナルドの実験室の風とは違う。

 外なる神の吹雪とも違う。

 

 “生活圏”の、当たり前の風だ。

 

 夜が明ければ、また学校があって、道場の稽古があって、カフェテリアでの昼休みがある。

 その日常の端っこに、赤い指輪という“異物”がぶら下がっているだけだ。

 

 でも、その異物さえも、いつかは「日常の中で対処できるようになる」と信じられるくらいには――

 

 安生家と、その周りには、頼れる人間が増えていた。

 

 そうして、ルテアと勇吾と安生家の“呪物ホラー篇”は、静かに幕を開けたのだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。