ちょっと後日、ショッピングモールの試着室の前で
「……惣くん、ここで待っててくれる?」
愛香は、試着室の前で一旦立ち止まった。
両手で抱えた小さな紙袋と、もう一枚の大きめの紙袋。
心臓が少しだけ早く打つ。
「わかった」
惣一郎は、少し離れたベンチに腰かけ、スマホを弄りながら視線だけそっと彼女の方向を向ける。
いつもより背が高くなった彼の横顔は、ちょっと大人っぽく見える。
さっき、保健室前の廊下で、愛香が告白したことが頭に残っていた。
身長が伸びて、ブラのサイズが変わって、制服も……。
そして、今。
制服のサイズ測りに行くついでに、下着も選ぶ、という実に女の子らしい用事。
(惣くん、いるだけで心強いんだ)
愛香は、膝のすぐ下で紙袋をぎゅっと握った。
視線の先に、ほんの少しだけ、普段とは違う自分がいる。
背が伸びた分、肩の位置が変わった。
胸の形も少し変わった。
その変化を、誰にも見せずに隠す必要はない。
むしろ、最も大事な人――惣くんの前で、自然に、正直に。
「えっと、まずは……」
試着室のドアを開け、夜空みたいな紺色のカーテンの中へ踏み込む。
そこでは、数分後には新しいサイズの下着を見る自分が待っている。
「──うん、ここなら大丈夫」
少しだけ深呼吸して、愛香はカーテンをそっと閉めた。
◆ ショッピングモール・下着売り場の片隅 ◆
「……ここ、か」
フロア案内の「ランジェリー」の文字を見て、惣一郎は思わず足を止めた。
隣で歩いていた愛香も、ぴたりと動きを止める。
「……」
「……」
数秒の沈黙。
通路の向こうには、色とりどりのブラとショーツが整然と並ぶ棚。
“女子の領域感”がすごい。
「わ、わたし、ちょっと見てくるから。惣くんは、あっちのベンチで――」
「いや、俺も行く」
「えっ」
「だってオレ、『一緒に見に行く』って言っちゃったし」
さっきの勢いが、ここへ来て自分の首をしめる。
惣一郎は内心で頭を抱えながらも、足はしっかり前に出ていた。
(ここで逃げたら男がすたる……!)
そんなわけの分からないプライドに背中を押されて、二人はそろそろと売り場に足を踏み入れる。
すぐに、店員さんの柔らかい声が飛んできた。
「サイズ替えですか? 採寸もできますよ」
愛香は、ぺこっと会釈して小声で相談を始める。
惣一郎は、少し離れたラックの影で、そっと商品を眺めた。
(……すげぇな。なんか、全部“女の子”って感じがする)
レース、リボン、パステルカラー。
ふわふわした雰囲気の中に、一角だけ「大人っぽいコーナー」があるのを見つける。
黒とか、濃い赤とか、ちょっと光沢のあるやつとか。
気付いたら、手が伸びていた。
(こ、これは……勝負下着ってやつでは?)
店員に声をかけられないよう、こっそり一枚手に取る。
控えめなレースなのに、どこかきりっとしていて目を引くデザイン。
(愛香が、こういうの着たら――)
その先を想像してしまって、慌てて頭を振る。
(落ち着け。想像するな俺)
「惣くん?」
振り向くと、採寸を終えた愛香が戻ってきていた。
さっきより、ほんの少しだけ緊張の抜けた顔。
「ど、どうだった?」
「サイズ、やっぱり変わってた。
“だいぶ成長しましたね”って言われちゃった」
恥ずかしそうに笑う頬が赤い。
「でね、普段用は店員さんに色々教えてもらえそうなんだけど……」
そこで、愛香は惣一郎の手元を見て、ぴたっと止まった。
「あの、それ……」
「あ」
がっつり「大人っぽい」コーナーのブラを握ったままの自分に、ようやく気づく惣一郎。
「ち、違う! 今のはその、フィールドワークというか観測というか!」
「観測で勝負下着見ないでよ」
じとっとにらまれる。
「これは学校に着ていけないよ?」
「そ、そりゃ学校はダメだろ!?」
反射的に言い返してから、自分で自分の言葉に気づく。
(じゃあどこならいいんだよ俺)
心の中で転げ回りながらも、口から先に出ていた。
「……俺と二人の時に着て欲しい」
空気が、すこしだけ止まった。
愛香の目が、ぱちぱちと瞬く。
「い、今の、惣くん?」
「い、いやその、今のはその……!」
撤回しようとして、喉で言葉がからまる。
もう誤魔化しが利かないのは分かっている。
愛香は、しばらく唇を押さえて俯いて――
「……もう」
小さく笑った。
顔は真っ赤なのに、目はどこか嬉しそうだ。
「惣くん、そういうことさらっと言うの、ずるいよ」
「す、すまん……」
「でも」
愛香は、そっと惣一郎の手からそのブラを受け取った。
指先がかすかに触れる。
「二人っきりの時なら」
視線を少しそらしながら、囁くように続ける。
「着てあげる」
惣一郎の脳内で、何かが盛大に爆発した。
「っ……!」
「だから、これは“学校用じゃないやつ”ね」
愛香は、少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「惣くんと、どこかにお泊まりとか、そういう“ちゃんとした機会”が来るまで、大事にしまっておく」
「“ちゃんとした機会”って何!?」
「それは、惣くんがちゃんと考えてね?」
からかわれているのは分かっている。
分かっているのに、胸の奥がじんと熱くなる。
(オレと二人っきりの時に、って……)
頭の中で何度もリピートしてしまう。
「じゃ、これはこれでカゴに入れて……」
愛香は、普段使い用の淡い色のブラと一緒に、さっきの“大人っぽい一枚”もそっとカゴに入れた。
「惣くんは、そっちで待ってて。レジ、すぐ済ませてくるから」
「……ああ」
背を向けて歩いていく愛香の後ろ姿は、なんだか昨日までより少し大人びて見えた。
(身長が伸びたの、オレだけじゃないよな)
その変化が、呪物のせいでも、成長期の妙なブーストのせいでも――
今、この瞬間の二人にとっては、ただの“ちょっと照れくさい嬉しさ”に変わっていく。
胸のあたりがむずがゆいまま、惣一郎は売り場の入口近くのベンチに腰を下ろした。
(……二人っきりの時、か)
顔を両手で覆いながら、小さく唸る。
「……オレ、ちゃんと“かっこいい惣一郎”にならないと死ぬな、これ」
そのぼやきは誰にも聞かれず、
ランジェリー売り場の、ふわふわした空気の中に静かに溶けていった。