なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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安生姉妹の普通のキャンプ
梨花のため息


 

 

/*/ 安生道場・夏の午後 /*/

 

 

 ジジジジ、と外から蝉の声が流れ込んでくる。

 

 安生道場の板間は、昼下がりの光に白く照らされていた。

 畳には打ち込みでついたかすかな跡、壁には木刀や棒、ミットが整然と並んでいる。

 

 その真ん中で――梨花は一人、黙々と突きを打っていた。

 

「いち、に、さん、し……」

 

 黒髪を低い位置でひとつにまとめ、道着の袖から伸びる腕は、しなやかでよく鍛えられている。

 迷いのない軌道で、正面の巻藁に拳を突き出す。

 

 だが。

 

(……なんか、乗り切らないわね)

 

 最後の一発を突き終えたところで、梨花はふっと構えを解いた。

 汗を拭きもせず、そのまま畳の上にどさっと座り込む。

 

 天井の梁をぼんやり見上げながら、ため息をひとつ。

 

「ねえねえ、梨花ねえ」

 

 いつの間にか、隅でストレッチしていた友香が、滑るみたいに近寄ってくる。

 同じ黒髪でも、彼女の方はポニーテールで、声も動きも元気いっぱいだ。

 

「さっきから、ため息三回目だよ」

「数えなくていいから」

「悩み事? 恋? 受験? それとも勇吾くん?」

 

「最後の選択肢の比率おかしくない?」

 

 梨花は思わず眉をひそめる。

 

 少し遅れて、畳の端から二人分の影が伸びてきた。

 

「友香、あまり梨花をつつかないの」

「そうよ。悩んでる人を追い打ちするのは品がないわ」

 

 ゆったりした動作で近づいてくるのは、シルバーブロンドのユイリィと、ピンクブロンドのルテアだ。

 ふたりとも道着の上着を脱いでTシャツ姿になっており、汗ばむ腕に夏の日差しが反射している。

 

 ルテアはそのまま、梨花の隣にぺたりと座った。

 

「で? 梨花ねえ。どうしたの?」

「……別に、たいしたことじゃないわよ」

 

 梨花はそう言いつつも、視線を畳の目に落としたまま、しばし口をつぐむ。

 

 逃げ道をふさぐかのように、三人の妹がぐるりと囲んだ。

 

「出た。“たいしたことない”って言うときは、大体たいしたことあるやつ」

「そうね。昨日の夜から、なんとなくぼんやりしていたもの」

「稽古のキレはいつも通りなのに、心ここにあらずって感じだったわ」

 

「……あんたたち、観察力高すぎない?」

 

 梨花は観念したように、背中を柱に預けて息を吐いた。

 

「来年は受験だしさ」

 

 ぽつり、と言葉をこぼす。

 

「今年くらいは、“普通の高校生っぽい遊び”を夏休みにしてもいいかな、って思ったんだけど……ね」

 

 友香が「おおー」と目を丸くする。

 

「梨花ねえの口から“普通の高校生”ってパワーワードが」

「失礼ね。私だって一応、高校生でしょう」

「“一応”とか言っちゃったよこの人」

 

 ユイリィがくすりと笑い、ルテアが身を乗り出す。

 

「普通……って、例えば?」

「そうね……」

 

 梨花は少し考え込む。

 

 毎年の夏休みといえば、山籠もり合宿、早朝ラン、地獄の打ち込み、父と兄の護身術指導の手伝い。

 それはそれで嫌いじゃない。むしろ、それが自分たちの日常だと思っている。

 

 けれど――

 

「山籠もりじゃない、普通のキャンプとかどうかしら」

 

 ぽつん、と浮かんだイメージを、そのまま言葉にした。

 

「川でバーベキューしたり、テント張って夜更かししたり……花火して、星見て、そういうやつ」

 

 友香とルテアの目が、同時にきらっと光る。

 

「いいじゃん! それ!」

「楽しそう! で、で、そこで逆ナンしたりとか?」

 

「ルテ、それは普通の範疇じゃないわ」

 

 ユイリィが即座にツッコミを入れた。

 

「えー、でもさ、夏のキャンプって言ったら……

 『そこのお兄さん、一緒に花火しません?』みたいなイベントあるでしょ?」

「それはドラマか漫画の中の話よ。現実でやったらお父さんとおじいちゃんに感知されて制圧されるわ」

「うわぁリアルだわぁ……」

 

 梨花は苦笑しつつも、両膝を抱えて座り直した。

 

「でも、どうやるのって話なのよ。山籠もりキャンプなら、うちは慣れてるけど。

 “普通のキャンプ”って、どこ行って、何準備して、どこまでやっていいのかよく分からないの」

 

「確かにね」

 

 ユイリィが顎に指を当てて考え込む。

 

「うちの“キャンプ”は、だいたい獣道とか、誰も来ない川原とかですものね。

 服装もだいたいジャージか戦闘モードだし」

「気づいたら素手でクマと格闘してるタイプの夏休みだしね、うち」

「それはお父さんだけであってほしい」

 

 梨花がこめかみを押さえる。

 

「街のキャンプ場とか、オートキャンプとか、そういう“文明の恩恵を受けたキャンプ”をしたいの。

 でも、誰に聞けばいいのかしら……」

 

 そこで、友香がパッと顔を上げた。

 

「青見に聞けば!」

 

「……それだ」

 

 梨花の頭の中で、つながっていなかった点が線になった。

 

 青見は、いつもクラスの行事の幹事みたいな役回りをしている。

 この間のスパリゾートだって、キャンプだって、基本的に段取りは青見が仕切っていたはずだ。

 

「と、言うか」

 

 ルテアが、さらに一歩踏み込む。

 

「青見たちと行けば良いじゃん!」

 

 部屋の空気が、ほんの少し変わる。

 

「……青見たち、と言うと」

「えーと、東・青見、安達彩女、惣一郎、愛香、氷室先輩、勇吾、あたり?」

 

 友香が指折り数えだす。

 

「今のメンツでキャンプしたら、だいぶカオスにならない?」

「うるさいわね。あなたも楽しそうじゃない」

 

 梨花は思わず口元を押さえた。

 

 想像してみる。

 川べりでBBQの火を起こす青見。

 張り切って肉を焼きすぎる惣一郎と、それを止める愛香。

 ホラー話を持ち出して彩女をビビらせる玲子。

 空を指さして星の名前を語り出す氷室。

 そして、薪割りのついでに木を砕きそうな勇吾――

 

(……まともな引率役が、必要になるわね)

 

 梨花は、こめかみを揉みながらも、少しだけ頬を緩めた。

 

「でも、どうかしらね。

 “普通のキャンプがしたい”って言っておきながら、うちらが行ったら普通から遠ざからない?」

 

「いやいやいや」

 

 友香が、きっぱりと首を振る。

 

「梨花ねえ、勘違いしてる」

「何をよ」

「“普通”って、多分、“誰といるか”の方が大事なんだよ」

 

 その言い方に、梨花は片眉を上げた。

 

「山奥でも、家族と先生と勇吾とで筋トレしてたら、それはそれで“うちらの日常”でしょ?

 でもさ、クラスメイトと、友達と、花火して騒いで――っていうのは、きっと“高校生っぽい夏”だよ」

 

「……」

 

「だから、“青見たちと行くキャンプ”なら、それはもう十分“普通の高校生”ってやつなんじゃない?」

 

 ユイリィが、ふっと微笑んで頷く。

 

「それに、受験前の夏だからこそ、思い出を作っておくのも大事だと思うわ。

 勉強と鍛錬だけじゃなくて。“ああ、あの夏、楽しかったな”って思える日があると、きっと強くなれるもの」

 

「“強くなれる”のが前提なのね、ユイリィは」

 

 梨花は苦笑しながらも、その言葉を胸の中で転がした。

 

 ルテアが、ぱんと手を叩く。

 

「じゃ、決まり!」

「決まりって、何が」

「青見に聞く! 具体的なキャンプのやり方も、場所も!

 ついでに“みんなでどう?”って誘う!」

 

 友香もノリノリで頷く。

 

「そうだよ。青見、絶対断らないって。

 “梨花たちが一緒なら助かる”って言うよ、絶対」

 

「……そうかしら」

 

「青見くん、最近“勇吾の扱い”でだいぶ鍛えられてるもの。うちら増えたくらい余裕余裕」

 

 それはどういう意味か、と梨花がツッコむ前に、ユイリィが穏やかに口を挟んだ。

 

「ただ、ちゃんと“お願いする”形にしましょうね」

「と言うと?」

 

「いつもみたいに『キャンプするから護衛よろしく』じゃなくて――」

 

 ユイリィは、少しだけ目を細めて梨花を見る。

 

「“今年の夏、私たちも普通の高校生っぽいキャンプがしたいの。

 良かったら、一緒に行ってくれない?”って」

 

 梨花は、一瞬、息を詰まらせた。

 

 そういう言い方をする自分の姿を想像して、背中がむず痒くなる。

 

(でも――)

 

 妹たちの視線が、一斉に自分に向けられている。

 押しつけるんじゃなくて、背中を押すつもりで。

 

「……ふぅ」

 

 梨花は大きく息を吐き、立ち上がった。

 

「分かったわよ」

 

 三人の視線が、ぱっと明るくなる。

 

「今年の夏、普通のキャンプ。青見たちと一緒に。

 ――ちゃんと、お願いしてみる」

 

 そう口にした瞬間、胸の奥にあった重石が、少しだけ軽くなった気がした。

 

 友香がニヤニヤしながら、肘でつついてくる。

 

「ついでにさー、梨花ねえ」

「何よ」

「“普通の高校生っぽい遊び”ってさ。

 キャンプの夜に、好きな人と隣のシュラフでごにょごにょ――」

「その口を閉じなさい」

 

 梨花のチョップが、きれいに友香の頭頂部に決まった。

 

「いったぁ!」

「ルテ、変なこと吹き込まない」

「えー、だってさぁ、キャンプの夜って言ったら――」

「それ以上言ったら、本当にお父さんとおじいちゃん呼ぶわよ」

 

 騒がしい妹たちの声と、外の蝉の声が重なる。

 

 道場の天井を見上げながら、梨花はふっと笑った。

 

(……山籠もりじゃない夏。

 戦うだけじゃない、普通の夏)

 

 それを、自分から掴みに行ってもいいのかもしれない。

 

 そう思えた自分の変化が、少しだけ誇らしかった。

 

 

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