◆ 日焼け止めタイム ◆
ひとしきり湖で騒いで、カーも人間もほどよく体力を削られた頃。
「いったん、日陰戻ろっかー。焼けすぎるとあとが大変だよ」
愛香の一声で、一行はタープの下へ引き上げた。
タープの下には、レジャーシートとクーラーボックス、それから英がきっちり並べた日焼け止めのボトルが数本。
「はい、全員。日焼け止め第一回塗布&再塗布タイムです」
英が、半ば保健委員のような口調で言う。
「スポーツ勢は特に。明日以降の部活に差し支えますからね」
「はいはい」
彩女が、バスタオルで軽く水気を拭きながら日焼け止めを手に取る。
そのとき――
「よし、塗るか」
低い声と共に、影がひとつ落ちた。
振り向けば、上半身裸(ブーメランはそのまま)の胆が、日焼け止めのポンプを片手に立っていた。
「梨花、背中向けろ。あと友香もユイリィもルテも。焼け残ると面倒だぞ」
「はいストップ」
梨花が、即座に手のひらを突き出した。
「あ、兄さんは良いから」
「……なんだ、と?」
きょとんとする199センチのマッチョ兄。
梨花は、ほんの少しだけ視線を横にずらし――
「勇吾、お願い」
「えっ」
突然名前を呼ばれた185センチマッチョ(内弟子)、固まる。
「せ、せっかくの機会だからね」
梨花はさらっと言った。
「内弟子としてじゃなくて、“同年代の男の子”として、ちゃんと接しておかないと」
「ぎ、ぎぎぎぎ……」
勇吾の口から、変な電子ノイズみたいな声が漏れる。
「勇吾くん、フリーズしてる……」
「こわいよ、胆兄より怖いよ、今の勇吾」
友香とルテアが小声でひそひそ言う。
胆はと言えば、じっと妹と内弟子のやり取りを見てから、ぐい、と首を鳴らした。
「なるほど。“そういう機会”か」
「兄さん、変に納得しないで」
ルテアが苦笑して肩をすくめる。
「……お父さん連れてこなくて良かったね」
「ほんとそれ」
友香が即座に同意した。
「ここに龍さんいたら、『じゃあ全員ボディチェック兼ねて塗るか』とか言い出すもん」
「『紫外線も敵だがまずは筋肉だろう』とかね」
ユイリィの一言に、安生姉妹は全員うなずいた。
「ゆ、勇吾」
梨花がタオルを前で掴んだまま、背中を向ける。
「お願い」
「……了解しました」
内弟子は、軍人ばりに短く答えた。
(落ち着け。これは日常動作。外的要因の一環。訓練の延長線上)
そう自分に言い聞かせながら、手のひらに日焼け止めを出し、そっと梨花の肩に触れる。
ひやりとしたクリームの感触。
指先に伝わる、ほどよく鍛えられた筋肉と、それでも確かに“女の子”の肌のやわらかさ。
「……ドキドキします」
勇吾が、素直すぎる感想をぽつりと漏らした。
「感情にバグ? が発生? 心拍数の上昇が抑えられません……」
「勇吾くん、それ声に出てるからね」
英がタープの柱にもたれながら、遠くからツッコむ。
「ログ取るみたいに喋るなって何度も言ったよね」
梨花はと言えば、背中越しにその言葉を聞きながら、口元だけで小さく笑った。
「……なら、ちゃんと記録しておいて」
「え?」
「“女子に日焼け止めを塗ると心拍数が上がる”って。
それは、人としてわりと健全な反応だから」
「……はい」
勇吾は耳まで赤くしながら、慎重にクリームを伸ばしていった。
◇
一方その頃、別ライン。
「彩女、背中どうする?」
愛香がボトルを振りながら尋ねる。
「んー……自分でやると、絶対塗り残るんだよね、ここら辺」
彩女は、肩甲骨のあたりを指でつつく。
そこで、ふっと目線がずれた。
タープの外、クーラーボックスの陰で水を飲んでいた青見と、ばっちり目が合う。
「……」
「……」
数秒の沈黙の後――
「青見、塗って」
思い切りのいい声で、彩女が言った。
タープの下の空気が、一瞬だけ止まる。
「良いの」
青見が、いつもより少しだけ低いトーンで聞き返す。
彩女は、ほんの一拍だけ間を置いてから、ぎゅっとタオルを胸の前で握った。
「良いって言ってる!」
耳まで真っ赤にしながら、正面を見たまま言い切る。
それを聞いて、隣の愛香が、にっこり笑って一歩下がった。
「じゃ、わたしは腕とか脚やるから、背中は青見くんお願いね」
「お、おう」
青見は日焼け止めを一プッシュし、彩女の後ろに回る。
タオルで前を隠したまま、彩女がすっと背中を向ける。
水気で少しひんやりした肌が、日陰の空気にさらされる。
「……冷たいぞ」
「分かってる」
ひやりとしたクリームが、肩に落ちる。
指先で、そっと伸ばしていく。
肩甲骨のラインに沿って、首筋から肩、背中の中央へ。
(うわ……)
青見は、心の中で小さく呻いた。
(こんなの、日焼け止めの効果と関係ないとこで心拍数上がるわ)
逆に、彩女の方も同じだった。
背中に伝わる、少しだけごつごつした指の感触。
さっきまで湖でブーメランパンツを笑っていた相手の体温が、じかに伝わってくる。
(……“塗って”って自分で言ったんだから、ちゃんと耐えなさい、あたし)
自分で自分にツッコミながら、じっと息を整える。
タープの端から、こっそり覗いていた惣一郎が、玲子にささやいた。
「なんか……リア充の儀式が行われてる……」
「部長、見ないの。今はそっとしときましょう?」
カーだけが状況を理解していない顔で「わふっ」と鳴き、しっぽを振っていた。
そんなこんなで――
タープの下では、日焼け止めという名目のもと、
それぞれの“ドキドキ”が、静かに上書きされていったのだった。