◆ 夜の湖畔・浴衣と花火 ◆
BBQの片づけが一段落したころには、空はすっかり群青色になっていた。
「じゃ、そろそろ――例のアレ、着ますか」
英が、クーラーボックスの横に置いてあった衣装ケースをぽん、と叩く。
ケースの中には、昼間買った浴衣セットと、男子用の甚平がきれいに畳まれて入っていた。
「女子テント、更衣室に再転用しまーす」
「はーい!」
彩女たち女子組は、タオルと着替えを抱えて、さっそくテントへなだれ込む。
◇
テントの中は、さっきの水着タイムとは違う意味での戦場だった。
「帯むずっ!!」
友香の叫びが響く。
「ほら言わんこっちゃない」
梨花が、手際よく自身の帯を締めながらため息をついた。
「先に練習しときなさいって言ったのに」
「その場のノリでなんとかなると思ってた!」
「なんとかならないからこれなんだよ」
ユイリィはすでに、淡い藍色に白い花模様の浴衣を綺麗に着こなし、帯もきちんと締め終えている。
「こっち来て。友香、ルテア。順番に締めてあげるから」
「はーいユイリィ先生~」
ルテアは、ピンクがかった朝顔柄の浴衣。
肩と腕のラインだけでも元気さが滲み出ている。
愛香は、落ち着いたエンジ色に小花の模様。
玲子は、紺地に小さな金魚柄の浴衣に袖を通して、そわそわと鏡の前で裾を気にしている。
「似合ってるよ、玲子ちゃん」
「そ、そうですか……?」
「カーと一緒に歩いたら、絶対“夏祭りのポスター”だよ」
「えっ、そ、そんな……」
玲子の耳まで赤くなった。
一方、彩女も鏡の前で帯と格闘中だ。
浴衣は、白地に紺と薄紅の大柄な朝顔模様。
背が高くて手足の長い体躯に、想像以上にしっくりきていた。
「彩女、その色いいね」
愛香が、帯を手伝いながら言う。
「青見くん、絶対好きなやつだよ」
「……あんたさぁ」
彩女はむっとしつつも、否定しきれない。
(夏祭りっていえば、あいつと並んで歩くなら――って考えて選んだんだからさ)
帯をぎゅっと締め直し、鏡の中の自分を見据える。
「……よし」
小さくつぶやいて、前髪を整えた。
◇
その頃、男子テント。
「甚平って、こう……」
惣一郎は、濃紺の甚平の紐を結びながら首をかしげる。
「部屋着感すごいよな」
「分かる」
青見は、黒に近い紺の甚平。
186センチマッチョが着ると、どう見ても“くつろいでいる武闘派”にしか見えない。
勇吾は、灰色の甚平に袖を通して腕を曲げ伸ばししていた。
「袖の可動域、良好。通気性も申し分ないですね」
「お前は何を評価してるんだ」
英の甚平は薄い藍色で、華奢な体つきと妙に合っている。
「僕はこれくらい“普通”でいいです。ブーメランに比べれば、文明です」
「それはそう」
桜と胆も、上はTシャツから甚平に着替えていた。
196センチと199センチの甚平姿は、どう見ても“縁日の露店の人”か“裏方の兄ちゃん”である。
「じゃ、そろそろ合流するか」
桜がそう言ってテントのファスナーを開けると、ちょうど女子テントの方からも、ざわざわと気配が近づいてきた。
◇
湖畔、タープの下。
「おまたせ――」
最初に姿を見せたのはユイリィだった。
淡い藍の浴衣に、涼しげな表情。
続いて、朝顔柄のルテア、花模様の梨花、元気な友香、小花の愛香、金魚柄の玲子――そして、朝顔の彩女。
ふわり、と浴衣の裾が風に揺れる。
その姿を見て、男子陣は一瞬言葉を失った。
「……」
「……」
「……おお」
最初に声を出したのは、桜だった。
「これは……レベル高いな」
「うちの娘たち(安生4姉妹)もそうだが、全体的に平均身長がおかしい」
胆が真顔で言う。
「いや、そこは今はいいから」
英が苦笑しながら、そっと青見の肘を突いた。
「ほら、ちゃんと見てあげて」
「言われなくても見てる」
青見は、彩女の方から目を離せない。
白地に朝顔の浴衣。
いつものジャージ姿やTシャツとは違う、落ち着いた雰囲気。
それなのに、芯の強さみたいなものはちゃんと滲み出ている。
「……似合ってる」
正直な感想が、そのまま口からこぼれた。
「……っ」
彩女の耳が、見る間に赤くなる。
「そっちこそ」
少し視線をそらしながら、反撃する。
「あんた、その甚平……意外と似合ってるじゃん。
ゴリラ度はそのままなのに、なんか“夏祭り仕様”って感じで」
「褒めてるのか貶してるのかはっきりしてくれ」
青見は、ちょっとだけ照れくさそうに後頭部をかいた。
「惣くんも、甚平似合うね」
愛香は、惣一郎の袖をつまむ。
「いつもより“お兄ちゃん感”ある」
「マジで!? やった!!」
惣一郎のテンションが一気に上がった。
「玲子ちゃんも、すっごくかわいいよ。カーもそう思うでしょ?」
「わふっ!」
カーがしっぽを全力で振ると、玲子の顔はもう真っ赤だった。
「勇吾は……」
梨花が、少しだけ真面目な目で勇吾を見る。
灰色の甚平から覗く腕と脚は、内弟子生活で鍛えられた“本物の”筋肉で満ちている。
「一か月でここまで“ちゃんとした男の子”になるとはね」
「評価として、ポジティブでいいんですよね、それは」
「もちろん」
梨花が、ふっと笑う。
「――さて」
英が、両手を打ち鳴らした。
「感想戦はそのくらいにして。
今日のメインイベント、その2。花火、やりますよ」
ルテアが「待ってました!」と叫び、惣一郎とカーが同時に跳ねた。
◇
湖岸の少し開けた場所に、バケツに水をたっぷり汲んで置く。
「まず安全講習からね」
英が、線香花火と手持ち花火の箱を前にして言う。
「人に向けない。湖に向けない。カーに向けない。
終わったら必ずバケツに入れる。いいですね?」
「「「はーい」」」
安生家+逢瀬学園組は、そのへんの危機管理だけは妙に素直だった。
「じゃ、最初はススキ花火からいきましょうか」
桜がチャッカマンで一本に火をつけ、そこから順々に火を分けていく。
ヒュッ、と細い火花が走り、オレンジ色の光が夜気を照らす。
「わぁ……」
玲子が、思わず声を漏らした。
湖面に映る光が、また小さな線となって揺れる。
「彩女」
「ん?」
「これ、“ずるい”の内側に入ってる?」
愛香が、意味ありげに笑いながら尋ねる。
「浴衣着て湖見ながら花火、ってやつ」
「……うん」
彩女は、線香花火の箱を手に取りながら頷いた。
「認める。ずるいくらい、ちゃんと夏休みしてる」
少し離れたところで、勇吾が花火の火をじっと見つめている。
「……きれいですね」
「うん」
梨花が、その隣で同じ方向を見ていた。
「火は危ない。だけど、ちゃんと管理して、こうやって楽しむなら――
人を守る力にも、心を温める道具にもなる」
「安生先生っぽい発言ですね、それ」
「祖父と父の受け売りだから」
梨花は、少し照れくさそうに笑った。
◇
ひとしきり手持ち花火で遊んだあと、最後は線香花火で締めることになった。
「じゃあ、ペアで一本ずつね」
英が、花火を配っていく。
「青見くんと彩女さん」
「はい」
自然な流れで、その二人が並ぶ。
火を分け合って、線香花火の先に小さな玉が灯る。
「落とした方が負けね」
「急に勝負にするな」
青見が苦笑する。
静かに、静かに火の玉が大きくなっていく。
「……なんかさ」
火の粉を見つめたまま、彩女がぽつりと言った。
「こういうの、一年前じゃ絶対想像できなかった」
「浴衣で花火?」
「それもそうだけど」
彩女は、ほんの少しだけ青見の方を見る。
「“彼氏が隣にいて、甚平で線香花火してる未来”なんてさ」
「……」
青見は、線香花火から目を離さないまま、短く笑った。
「オレも」
「え?」
「オレも、去年の夏に“彩女と並んで花火してんだろうな”なんて想像できてなかったよ」
火の玉が、ふるふると揺れる。
「……でも、今は?」
「今は――」
青見は、線香花火の先端をそっと持ち直した。
「“この先も、こういうのいっぱいあるといいな”って、普通に思ってる」
その瞬間、ぽとり、と火の玉が落ちた。
「あー」
「負けた」
同時に二人が言って、顔を見合わせる。
次の瞬間、声を揃えて笑った。
その笑い声と、他の皆の笑い声と、
湖畔に上がる花火の小さな音が、夏の夜に溶けていく。
安生梨花が願った「普通の高校生っぽい夏休み」は、
このとき、たしかにそこにあった。