なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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夜の湖畔

 

 

◆ 夜の湖畔・浴衣と花火 ◆

 

 

 BBQの片づけが一段落したころには、空はすっかり群青色になっていた。

 

「じゃ、そろそろ――例のアレ、着ますか」

 

 英が、クーラーボックスの横に置いてあった衣装ケースをぽん、と叩く。

 

 ケースの中には、昼間買った浴衣セットと、男子用の甚平がきれいに畳まれて入っていた。

 

「女子テント、更衣室に再転用しまーす」

「はーい!」

 

 彩女たち女子組は、タオルと着替えを抱えて、さっそくテントへなだれ込む。

 

 

 

 

 テントの中は、さっきの水着タイムとは違う意味での戦場だった。

 

「帯むずっ!!」

 

 友香の叫びが響く。

 

「ほら言わんこっちゃない」

 

 梨花が、手際よく自身の帯を締めながらため息をついた。

 

「先に練習しときなさいって言ったのに」

「その場のノリでなんとかなると思ってた!」

 

「なんとかならないからこれなんだよ」

 

 ユイリィはすでに、淡い藍色に白い花模様の浴衣を綺麗に着こなし、帯もきちんと締め終えている。

 

「こっち来て。友香、ルテア。順番に締めてあげるから」

 

「はーいユイリィ先生~」

 

 ルテアは、ピンクがかった朝顔柄の浴衣。

 肩と腕のラインだけでも元気さが滲み出ている。

 

 愛香は、落ち着いたエンジ色に小花の模様。

 玲子は、紺地に小さな金魚柄の浴衣に袖を通して、そわそわと鏡の前で裾を気にしている。

 

「似合ってるよ、玲子ちゃん」

 

「そ、そうですか……?」

 

「カーと一緒に歩いたら、絶対“夏祭りのポスター”だよ」

 

「えっ、そ、そんな……」

 

 玲子の耳まで赤くなった。

 

 一方、彩女も鏡の前で帯と格闘中だ。

 

 浴衣は、白地に紺と薄紅の大柄な朝顔模様。

 背が高くて手足の長い体躯に、想像以上にしっくりきていた。

 

「彩女、その色いいね」

 

 愛香が、帯を手伝いながら言う。

 

「青見くん、絶対好きなやつだよ」

「……あんたさぁ」

 

 彩女はむっとしつつも、否定しきれない。

 

(夏祭りっていえば、あいつと並んで歩くなら――って考えて選んだんだからさ)

 

 帯をぎゅっと締め直し、鏡の中の自分を見据える。

 

「……よし」

 

 小さくつぶやいて、前髪を整えた。

 

 

 

 

 その頃、男子テント。

 

「甚平って、こう……」

 

 惣一郎は、濃紺の甚平の紐を結びながら首をかしげる。

 

「部屋着感すごいよな」

「分かる」

 

 青見は、黒に近い紺の甚平。

 186センチマッチョが着ると、どう見ても“くつろいでいる武闘派”にしか見えない。

 

 勇吾は、灰色の甚平に袖を通して腕を曲げ伸ばししていた。

 

「袖の可動域、良好。通気性も申し分ないですね」

「お前は何を評価してるんだ」

 

 英の甚平は薄い藍色で、華奢な体つきと妙に合っている。

 

「僕はこれくらい“普通”でいいです。ブーメランに比べれば、文明です」

「それはそう」

 

 桜と胆も、上はTシャツから甚平に着替えていた。

 196センチと199センチの甚平姿は、どう見ても“縁日の露店の人”か“裏方の兄ちゃん”である。

 

「じゃ、そろそろ合流するか」

 

 桜がそう言ってテントのファスナーを開けると、ちょうど女子テントの方からも、ざわざわと気配が近づいてきた。

 

 

 

 

 湖畔、タープの下。

 

「おまたせ――」

 

 最初に姿を見せたのはユイリィだった。

 

 淡い藍の浴衣に、涼しげな表情。

 続いて、朝顔柄のルテア、花模様の梨花、元気な友香、小花の愛香、金魚柄の玲子――そして、朝顔の彩女。

 

 ふわり、と浴衣の裾が風に揺れる。

 

 その姿を見て、男子陣は一瞬言葉を失った。

 

「……」

 

「……」

 

「……おお」

 

 最初に声を出したのは、桜だった。

 

「これは……レベル高いな」

 

「うちの娘たち(安生4姉妹)もそうだが、全体的に平均身長がおかしい」

 

 胆が真顔で言う。

 

「いや、そこは今はいいから」

 

 英が苦笑しながら、そっと青見の肘を突いた。

 

「ほら、ちゃんと見てあげて」

 

「言われなくても見てる」

 

 青見は、彩女の方から目を離せない。

 

 白地に朝顔の浴衣。

 いつものジャージ姿やTシャツとは違う、落ち着いた雰囲気。

 それなのに、芯の強さみたいなものはちゃんと滲み出ている。

 

「……似合ってる」

 

 正直な感想が、そのまま口からこぼれた。

 

「……っ」

 

 彩女の耳が、見る間に赤くなる。

 

「そっちこそ」

 

 少し視線をそらしながら、反撃する。

 

「あんた、その甚平……意外と似合ってるじゃん。

 ゴリラ度はそのままなのに、なんか“夏祭り仕様”って感じで」

 

「褒めてるのか貶してるのかはっきりしてくれ」

 

 青見は、ちょっとだけ照れくさそうに後頭部をかいた。

 

「惣くんも、甚平似合うね」

 

 愛香は、惣一郎の袖をつまむ。

 

「いつもより“お兄ちゃん感”ある」

「マジで!? やった!!」

 

 惣一郎のテンションが一気に上がった。

 

「玲子ちゃんも、すっごくかわいいよ。カーもそう思うでしょ?」

「わふっ!」

 

 カーがしっぽを全力で振ると、玲子の顔はもう真っ赤だった。

 

「勇吾は……」

 

 梨花が、少しだけ真面目な目で勇吾を見る。

 

 灰色の甚平から覗く腕と脚は、内弟子生活で鍛えられた“本物の”筋肉で満ちている。

 

「一か月でここまで“ちゃんとした男の子”になるとはね」

 

「評価として、ポジティブでいいんですよね、それは」

 

「もちろん」

 

 梨花が、ふっと笑う。

 

「――さて」

 

 英が、両手を打ち鳴らした。

 

「感想戦はそのくらいにして。

 今日のメインイベント、その2。花火、やりますよ」

 

 ルテアが「待ってました!」と叫び、惣一郎とカーが同時に跳ねた。

 

 

 

 

 湖岸の少し開けた場所に、バケツに水をたっぷり汲んで置く。

 

「まず安全講習からね」

 

 英が、線香花火と手持ち花火の箱を前にして言う。

 

「人に向けない。湖に向けない。カーに向けない。

 終わったら必ずバケツに入れる。いいですね?」

 

「「「はーい」」」

 

 安生家+逢瀬学園組は、そのへんの危機管理だけは妙に素直だった。

 

「じゃ、最初はススキ花火からいきましょうか」

 

 桜がチャッカマンで一本に火をつけ、そこから順々に火を分けていく。

 

 ヒュッ、と細い火花が走り、オレンジ色の光が夜気を照らす。

 

「わぁ……」

 

 玲子が、思わず声を漏らした。

 

 湖面に映る光が、また小さな線となって揺れる。

 

「彩女」

 

「ん?」

 

「これ、“ずるい”の内側に入ってる?」

 

 愛香が、意味ありげに笑いながら尋ねる。

 

「浴衣着て湖見ながら花火、ってやつ」

 

「……うん」

 

 彩女は、線香花火の箱を手に取りながら頷いた。

 

「認める。ずるいくらい、ちゃんと夏休みしてる」

 

 少し離れたところで、勇吾が花火の火をじっと見つめている。

 

「……きれいですね」

 

「うん」

 

 梨花が、その隣で同じ方向を見ていた。

 

「火は危ない。だけど、ちゃんと管理して、こうやって楽しむなら――

 人を守る力にも、心を温める道具にもなる」

 

「安生先生っぽい発言ですね、それ」

 

「祖父と父の受け売りだから」

 

 梨花は、少し照れくさそうに笑った。

 

 

 ひとしきり手持ち花火で遊んだあと、最後は線香花火で締めることになった。

 

「じゃあ、ペアで一本ずつね」

 

 英が、花火を配っていく。

 

「青見くんと彩女さん」

「はい」

 

 自然な流れで、その二人が並ぶ。

 

 火を分け合って、線香花火の先に小さな玉が灯る。

 

「落とした方が負けね」

 

「急に勝負にするな」

 

 青見が苦笑する。

 

 静かに、静かに火の玉が大きくなっていく。

 

「……なんかさ」

 

 火の粉を見つめたまま、彩女がぽつりと言った。

 

「こういうの、一年前じゃ絶対想像できなかった」

 

「浴衣で花火?」

 

「それもそうだけど」

 

 彩女は、ほんの少しだけ青見の方を見る。

 

「“彼氏が隣にいて、甚平で線香花火してる未来”なんてさ」

 

「……」

 

 青見は、線香花火から目を離さないまま、短く笑った。

 

「オレも」

 

「え?」

 

「オレも、去年の夏に“彩女と並んで花火してんだろうな”なんて想像できてなかったよ」

 

 火の玉が、ふるふると揺れる。

 

「……でも、今は?」

 

「今は――」

 

 青見は、線香花火の先端をそっと持ち直した。

 

「“この先も、こういうのいっぱいあるといいな”って、普通に思ってる」

 

 その瞬間、ぽとり、と火の玉が落ちた。

 

「あー」

 

「負けた」

 

 同時に二人が言って、顔を見合わせる。

 次の瞬間、声を揃えて笑った。

 

 その笑い声と、他の皆の笑い声と、

 湖畔に上がる花火の小さな音が、夏の夜に溶けていく。

 

 安生梨花が願った「普通の高校生っぽい夏休み」は、

 このとき、たしかにそこにあった。

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