/*/ リビング・全国デビュー報告 /*/
その雑誌が、家に届いたのは――
彩女が「教科書の影」にこっそり隠してから、ほんの数日後のことだった。
「ただいまー」
玄関から聞こえる母の声。
買い物袋のガサガサという音と一緒に、リビングのドアが開く。
「彩女ー? あんた今日、部活軽めだって言ってなかった?」
「いるー。宿題してる」
ローテーブルにノートを広げていた彩女は、顔だけ上げて返事をした。
その視線の先で、母はスーパーの袋と――
コンビニ袋くらいの小さなビニールを、テーブルの端に置く。
「ふー。暑い暑い。アイス買ってきたから、あとで食べよ」
「やった。……で、そのちっこい袋は?」
何気なく聞いた、その瞬間。
母はにやり、と口元だけで笑って。
ビニールから、一冊の雑誌を取り出した。
「――はい、説明して?」
パタン、と開かれたページ。
ど真ん中に――見覚えのありすぎる、あの日の自分と青見。
「……」
時間が、一瞬止まった。
「……あ」
間の抜けた声が、勝手に漏れる。
母はそのまま、記事のコピーを読み上げた。
「『夏休みの冒険、腹筋ペアルック』」
「よ、読まなくていいから!!」
彩女は慌てて立ち上がり、雑誌をひったくろうと手を伸ばす。
しかし、母の腕は年季の入った主婦スキルでひらりとかわした。
「はいはい、逃げるー。あら、コメントもあるわねえ」
「ほんっっっとやめて!」
「えーと……『体操部で鍛えたシンクロボディが自慢の二人』」
「作者出てこい……!!」
床に崩れ落ちながら、彩女は頭を抱える。
「で。これは、どういう経緯なのかしら、娘さん?」
わざとらしく咳払いして、母がソファに腰を下ろす。
雑誌を広げたまま、じっと視線を向けてきた。
「……ストリートスナップ、声かけられて」
「ほうほう」
「断ろうとしたけど、あいつらがノリノリでさ……」
「あいつら、って」
「惣一郎と愛香」
「あー、あの子たちねぇ。やりそう」
母はすべてを理解した顔で、大きく頷いた。
「でもさ、これ。あんた、ちゃんと笑ってるじゃない」
「……その場のノリで、頑張った結果がそれだよ」
しゅんとしながら、彩女はテーブルの向こう側に回り込む。
自分たちの写真を、斜め上から覗き込む形になった。
改めて見ると、やっぱり照れる。
でも、カメラマンに言われて少しだけ身体を寄せたおかげで――
二人の距離は、写真の中でも自然に近かった。
「へぇ……」
母の声が、いつものからかいとは違うトーンになった。
「何よ」
「いや。いいじゃないの。ちゃんと“彼氏と原宿デートしてきました”って顔してるわよ、これ」
「してないから! ……してたけど!」
途中で自爆して、さらに顔が熱くなる。
そこへ、廊下から足音。
「ただいま」
会社帰りの父が、ネクタイを緩めながらリビングに入ってきた。
「おかえりー。ちょうど良かったわ、お父さん」
母が、嬉々として雑誌を持ち上げる。
「うちの娘がですね、ついに全国紙デビューしました」
「は?」
父は一瞬きょとんとしてから、差し出されたページを覗き込む。
視線が、写真の中の腹筋で止まった。
数秒の沈黙。
「……ほう」
それだけ言って、ページを持ち替える。
落ち着いた声のまま、もう一度写真をじっくり見た。
「な、なにその反応」
「いや。……ちゃんとした雑誌だなと思って」
「そこ?」
「変な格好させられてるわけでもないし。……まあ、短いなとは思うが」
ホットパンツの裾を指で示しながら、父がぼそっと付け足す。
「そこは……あたしも、ちょっと思ったよ……」
「でもほら、足も綺麗に写ってるし。鍛えた甲斐あったわねぇ」
母は楽しそうに、記事の文章を指でなぞる。
「『付き合い歴はまだ短いという二人』」
「だからそれ勝手に盛られてんの!!」
テレビよりうるさい音量で、彩女の叫びがリビングに響く。
「でもさ」
母がふっと目を細める。
「写真だけ見たら、そうとしか見えないわよ? 青見くんも、すっかり“彼氏顔”だし」
「……そう、かな」
写真の中で、青見は少し照れたように笑っている。
ライダースの前を開けて、タンクトップのすぐ上あたりで腕を組むポーズ。
隣の自分は――
チューブトップの裾をつまんで、半歩だけ彼の方に寄っていた。
「まあ、親としてはね」
母がページを閉じかけて、また開いた。
「こんなに笑ってる顔、なかなか見れないから、嬉しいわよ」
「……」
からかうだけじゃなく、ほんの少しだけ誇らしげな口調。
その一言に、彩女は何も返せなくなる。
「というわけで」
母は急に、ぱんっと手を打った。
「これは保存版決定。おばあちゃんにも見せてあげなきゃ」
「待って待って待って!!?」
即座に食いつく彩女。
「なんでそうなるの!?」
「だって、孫が雑誌デビューよ? 絶対喜ぶって」
「喜ぶかもしれないけど! 近所に配るって! 絶対配るって!!」
容易に想像できる。
おばあちゃんが嬉々として、近所のおばちゃんたちに見せびらかす未来が。
〈うちの孫ねぇ、腹筋がすごいのよ〉とか言い出しかねない。
「それはそれで、地域に“腹筋孫”として名が轟くわねぇ」
「なんの称号よそれ!!」
頭を抱える彩女の横で、父が小さく咳払いをした。
「まあまあ。……送るなら、一部だけな」
「一部は送るんだ……」
「お母さんの分と、おばあちゃんの分と、うち保存用と……」
「増えてる増えてる!!」
いつの間にかテーブルの上には、母が買い占めてきたらしい同じ雑誌が三冊積み上がっていた。
「なんでそんなに買ってきてんの!?」
「売り切れたら困るでしょ?」
「いや、困るのあたしじゃなくて、お母さんじゃんそれ!!」
「ま、本人が嫌がるなら、おばあちゃんには“見せに行くとき一緒に持ってく”ってことで」
父が、少しだけ折衷案を出す。
「送るんじゃなくて、持ってくの?」
「そうそう。正月とかにね。直接見せた方が反応面白いし」
「だからそこで“面白い”って言わないでくれる!? あたしの羞恥心はどこ行ったの!」
彩女の抗議もむなしく、母は嬉々としてビニールカバーをかけ始めた。
どうやら本当に保存するつもりらしい。
「……でもさ」
ひとしきり騒ぎ終わったあと。
アイスを食べながら、ソファにだらっと座り込んだ彩女は、ぽつりと呟いた。
「お母さん的には、その……変じゃなかった? あたしの、その……」
視線が、テーブルの上の雑誌の腹筋あたりをふらふらさまよう。
「この格好」
母はスプーンを口から抜きながら、少しだけ考えるような顔をした。
「んー……まあ、親心としてはね? “もうちょっと布があってもいいんじゃない?”とは思うけど」
「だよね……」
「でも、あんた、自分で選んで着たんでしょ?」
「……まあ」
「だったら、それでいいのよ。変な流され方したわけじゃないんだし。自分で“これで行く”って決めたんでしょ」
「うん」
「その上で、ちゃんと鍛えた身体でカッコよく写ってるなら――親としては、ちょっとくらい自慢させてもらうわよ?」
さらっと言われたその台詞に、
彩女はアイスのスプーンを咥えたまま、固まった。
「……自慢、ねぇ」
「そりゃそうよ。受験の合格証と同じくらい、こういう“若いうちの勢いの記念”って大事なんだから」
「なんか例えが妙にリアルなんだけど」
でも、胸のあたりに、じんわりと温かいものが広がる。
「ま、覚悟しときなさいよ」
母が立ち上がりながら言った。
「今年の年末、実家帰ったら――絶対おばあちゃんに見せるから」
「うわあああああ」
「“うちの彩女ちゃんね、腹筋で雑誌に載ったのよ~”って」
「やめてぇぇぇぇぇ!!」
叫びながらクッションに顔を埋める彩女を見て、
母は満足そうに笑った。
その夜。
彩女は自室に戻ると、そっと自分の本棚を覗き込んだ。
教科書の影に隠した“第一号”の雑誌と、
リビングに置かれた“親公認保存版”。
どちらも、同じページでぴんと開く。
「……全国デビュー、ねぇ」
照れくさくて、でもちょっとだけ誇らしい。
お盆にどんな騒ぎになるかは、今は考えないことにして――
「……ま、悪くないかも」
小さくそう呟いて、
彩女はそっとページを閉じた。