なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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月明かりの境内

 

 

 翌日。

 

 放課後のカフェテリアでのシフトを終えた梨花は、その足でまた郡山市立図書館に向かっていた。

 昨日、麓山神社の境内で忽然と姿を消した男――菊池哲夫。あの消え方は、どう考えても「普通の人間」のものではない。

 

(まずは、足元から固める)

 

 安生家で叩き込まれた基本だ。

 知らない相手に殴りかかる前に、その情報を集める。素性・クセ・得手不得手。怪異相手でも、それは変わらない。

 

 自動ドアをくぐり、館内に入る。

 貸出カウンターに向かうふりをしつつ、梨花は入口近くの利用者用検索端末に目を留めた。

 

 利用者が去ったあと、タイミングを見計らって空いた端末に腰を下ろす。

 画面には図書検索のメニューが並んでいるが、画面隅の小さな「郡山市立図書館・地域情報検索」というボタンをタッチした。

 

(地域資料、新聞記事検索……あった)

 

 表示されたキーボードに指を置く。

 

「……菊池、哲夫」

 

 ひらがな入力で打ち込み、変換キーを押す。

 エンターキーを軽く叩くと、画面にいくつかの検索結果が並んだ。

 

 ――市広報紙のバックナンバー。

 ――地方紙の記事データベースの見出し。

 

 梨花は、目についたものから開いていく。

 

 一つ目。十年以上前の市広報。

 小さな「市民の声」欄に、「情報システム関連会社勤務・菊池哲夫さん(32)」という肩書きでインタビューが載っていた。

 新システム導入に携わった話や、仕事のやりがいを語る、ごく普通の記事だ。

 

(ふつうの会社員……だった、のね)

 

 二つ目。数年後の新聞記事。

 そこには、「○○町在住の男性、行方不明」と見出しがあった。

 本文には、長期の休職と自宅療養ののち、家族が「外出したまま帰ってこない」と警察に届け出たと書かれている。名前の欄には――確かに、菊池哲夫。

 

 三つ目。さらに後年の、市の防災情報マップの片隅。

 小さく、「過去5年の行方不明者一覧(未解決)」という表があり、その中にも同じ名前が残っていた。

 

「……行方不明のまま、だ」

 

 梨花は、端末の前で小さく呟く。

 クリックする指先に、力がこもった。

 

 元・会社員。

 引きこもり気味の休職。

 そして、数年前に行方不明のまま。

 

 今、図書館で本を借りて、神社で姿を消す「菊池哲夫」。

 あれが、同一人物なのか。

 もし同じだとしたら――少なくとも、「ただの人間」ではない。

 

(行方不明になってから、どこにいたのか? どうやって今ここにいるのか?)

 

 疑問は、全部「怪異」の方向にしか繋がらない。

 

 画面をログアウトし、梨花は椅子から立ち上がった。

 バッグの中のノートに、簡単なメモを書き留める。

 

 ――元会社員。

 ――行方不明。

 ――生存情報なし。

 

(疑惑、強め)

 

 ペン先で、最後の文字にぐっと丸をつけた。

 

 翌日、昼休み。

 

 梨花は、あえて太陽の高い時間帯に麓山神社を訪れた。

 昨日、菊池が消えた境内。暗闇に紛れた何かを、光の下で見直しておきたかった。

 

 石段を上る足元に、木漏れ日がまだらに落ちる。

 夜とは違い、鳥の声が近くの枝から聞こえてくる――が、それでも境内に一歩踏み入れると、空気の質がわずかに変わるのが感じられた。

 

「……やっぱり」

 

 社殿の前で立ち止まり、周囲の気配を探る。

 ひとつ大きく息を吸い込むと、喉の奥にひっかかるような、冷たい匂いが混ざっていた。

 

 参道脇。

 苔むした石灯籠の影、砂利が薄く積もった地面。

 そこから、風が吹き上がってくる。

 

 今日の風は、他よりはっきり「冷たい」。

 季節や日差しと関係なく、地下室から吹き上がるようなひんやりした気配を含んでいる。

 

 さらに、気づくことがもう一つあった。

 

 鳥の声が、さっきより遠くなっている。

 さっきまで石段の途中でうるさく鳴いていたスズメたちの気配が、この一角だけ、妙に薄い。

 

(ここだけ、避けて飛んでる)

 

 梨花はゆっくりと、その場所に膝をついた。

 人目がないことを確認してから、地面に手を触れる。

 

 土の感触は乾いていて、踏み固められている。

 けれど、爪先で少しだけ砂利を払うと、そこに硬い石の感触が現れた。

 

 普通の敷石とは違う、なめらかな縁取り。

 四角い枠のような線が、かすかに指先に伝わる。

 

(……扉?)

 

 直感が告げる。

 ここに何か、「下へ続く」ものがある。

 

 しかし、いくら力を込めても、その石はびくともしなかった。

 力の問題ではない。そもそも「今は開く状態にない」という感覚が、手のひらから伝わってくる。

 

 梨花は小さく舌打ちした。

 

(昼間は、閉じてるわけね)

 

 太陽の下では眠り、月の下で口を開く地下。

 怪談としては、むしろ王道だ。

 

「こういうの、わたし好きじゃないんだけどな……」

 

 呟きながら立ち上がったそのとき。

 

「おや、安生の嬢ちゃんじゃないか」

 

 背後から、少し間の抜けたようでいて、よく通る男の声がした。

 振り返ると、境内の入口付近で、ひとりの長身の男がこちらを見ていた。

 

 黒いジャンパーに、動きやすそうなカーゴパンツ。

 左腕には、見慣れたNSSの腕章。

 逢瀬学園でもちょくちょく見かける、常駐警備員――桜竜樹だ。

 

「……桜さん」

 

 梨花が名前を呼ぶと、竜樹はひょいと片手を上げて挨拶した。

 

「こんな昼間から神社か。熱心だな。受験祈願には、まだ早いだろ?」

 

「別に、願掛けしに来たわけじゃありません」

 

 梨花は、さっきまで膝をついていた場所から、さりげなく半歩離れた。

 竜樹の視線がそこに落ちたかどうかは、表情からは読み取れない。

 

 ただ、彼は境内をざっと見回し、そして梨花に戻ってきた。

 

「……あんまり、夜にここへ一人で来るなよ」

 

 そう言って、軽い口調のまま、しかし妙に真っ直ぐな目で忠告してくる。

 

「ここらは、足を滑らせたら洒落にならん崖も多いしな。安生家でも、崖下行きは想定してないだろ?」

 

「崖から落ちる趣味はないので、大丈夫です」

 

「そうか。ならいいけどな」

 

 言いながらも、その目はほんの一瞬、参道脇の「扉の気配がする場所」に向いた気がした。

 梨花は、その視線の動きを見逃さない。

 

(……やっぱり、何か知ってる)

 

 喉まで出かかった「ここに何があるんですか」という問いを、梨花は飲み込んだ。

 問い詰めたところで、素直に教えてくれる相手ではない。

 逢瀬学園でも、NSSでも。桜竜樹はいつも「必要なことだけ」を選んでしゃべる男だ。

 

「じゃ、見回り続きやるわ。嬢ちゃんも、気をつけてな」

 

 ひらひらと手を振りながら、竜樹は境内を出ていった。

 背中に揺れる腕章が、いやに目立つ。

 

 梨花は彼の背を見送りながら、眉をひそめる。

 

(あの言い方、完全に“夜は来るな”って意味じゃん)

 

 怪異の匂いがある場所に、NSSの警備員。

 そして曖昧な忠告。

 

 全部を総合しても、言えることはひとつしかない。

 

(――やっぱり、ろくでもないものがいる)

 

 その夜。

 

 カフェテリアのシフトを終え、制服の上からジャージを羽織った梨花は、街灯の下を早歩きで進んでいた。

 髪は後ろでひとつにまとめ、動きやすいスニーカー。

 完全に「走る気満々」の格好だ。

 

 図書館の周囲は、昼間ほどではないがそれなりに人の出入りがある。

 夜間自習の学生、仕事帰りのサラリーマン、家族連れ。

 

 その人波から少し離れたベンチに座り、梨花はスマホをいじるふりをしながら入口を見張っていた。

 

(昨日と同じ時間に来るなら、そろそろ)

 

 館内から、閉館十分前を告げるアナウンスが漏れ聞こえる。

 人の流れが少し増え、貸出カウンターに行列ができるのがガラス越しに見えた。

 

 ほどなくして――

 

「あ」

 

 灰色のジャンパー。

 やせぎすの背中。

 首元までファスナーを上げ、腕の中には数冊の本。

 

 菊池哲夫が、自動ドアを抜けて夜の空気の中に出てきた。

 

 梨花は慌てて視線をスマホ画面に落とし、ほんの数秒遅れて立ち上がる。

 距離を取りすぎず、近づきすぎず。

 尾行、というほど大げさなものではないが、足音が重ならない程度に歩幅を微調整する。

 

 男は昨日と同じように、図書館の敷地を出て、麓山神社へ向かう歩道へと曲がった。

 街灯の光に照らされた横顔は無表情で、その瞳が何を見ているのか読めない。

 

 石段を登る。

 昨日、昼間に確かめたのと同じ道。

 夜の闇に沈む木々の隙間から、月が白く覗いている。

 

 菊池の背中が、境内の中に消える。

 梨花は一段だけ間をあけて、そのあとを追った。

 

 境内に足を踏み入れると、空気の冷たさが一段階変わる。

 月明かりが社殿の屋根を縁取り、砂利の上に長い影を落としていた。

 

 菊池は、社殿の前まで歩いて行くと、左側の参道脇――昼間、梨花が「扉」を感じたあたりで立ち止まった。

 

 腕の中の本を、胸の高さまで持ち上げる。

 そして、小さく、何かを呟いた。

 

 その言葉は、風にさらわれて聞き取れなかった。

 けれど、その瞬間――男の輪郭が、ゆらりと揺れた。

 

「……!」

 

 梨花の目には、菊池の体表から“人間の皮”がはがれ落ちるように見えた。

 いや、実際に剥がれたわけではない。ただ、そこにあった「人間という前提」が、ひと呼吸分だけすっぽりと抜け落ちた感覚。

 

 次の瞬間には、彼の姿そのものが、ふっと薄くなり――完全に消えた。

 

 声も、足音も、気配も残っていない。

 そこには、さっきまで「男が立っていた」という事実さえ、初めからなかったかのような静けさだけがあった。

 

 と、同時に。

 

 今まで何もなかったはずの地面に、石段の口があった。

 

 月光に照らされて、黒い四角形が浮かび上がる。

 下へ続く階段の縁が、白い線となって暗闇に溶けていく。

 

 それは数秒だけ、確かにそこに存在していた。

 古い地下室へと続く入口。

 梨花の目にも、耳にも、「ここから何かが出入りしている」という確信を刻み込むに十分な現実感を持って。

 

 ――そして、まるで見られていることに気づいたかのように、石段はすうっと闇に溶けて消えた。

 

 そこには、再び何の変哲もない砂利の地面だけが残っている。

 けれど、梨花の内側では、もう話はついていた。

 

「……やっぱり、怪異」

 

 喉の奥で呟く。

 安生道場の稽古で覚えた「間合いを測る目」が、そこを完全に「敵の出入り口」と認識していた。

 

 元・行方不明者。

 人目を避ける夜の行動。

 神社の境内で消え、地下への隠し階段。

 

 全部そろえば、答えは一つだ。

 

(放置、なし)

 

 梨花の中で、静かに何かがカチリと噛み合う。

 

 怪異は、見つけた。

 次は――どうやって叩くか、だ。

 

 

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