逢瀬学園の中庭に、昼前のチャイムが鳴る少し前。
生徒たちがそわそわしはじめる時間帯に、安生梨花はトレーではなく、布の包みを片手に廊下を歩いていた。
向かう先は、カフェテリアでも購買でもなく――校門横の、小さなプレハブ。
【常駐警備員詰所】と書かれたプレートの前で一度だけ深呼吸し、コンコン、と遠慮がちにドアをノックする。
「どうぞー」
気の抜けた返事と一緒に、かすかな缶コーヒーの匂いが漏れてきた。
梨花はドアを開けて中に入る。
狭い部屋の中で、桜竜樹が回転椅子にもたれかかるように座っていた。
モニターには校内のカメラ映像。机の上には書類と、飲みかけの缶コーヒー。それから、コンビニのおにぎりが二つ。
「よ、安生。授業サボりか?」
「サボりじゃありません。先生に届け物ついでってことで許可取ってますー」
さらっと嘘と本当を混ぜながら、梨花は布包みを差し出した。
「この間は、図書館の件で迷惑かけたから。その、お礼と謝罪兼ねて。弁当、作ってきた」
「おお……」
竜樹の目が、明らかにコンビニおにぎりから弁当包みへと鞍替えした。
「わざわざすまないな。ありがとう」
「どういたしまして。うち、朝練前に自分の弁当作るのはルーティンなんで。ついでに一個増やしただけです」
「“ついで”で二段弁当が出てくる女子高生ってなんだよ……」
竜樹が呆れたように言うのを横目に、梨花は机の隅をちゃちゃっと片づけて、布包みをほどいた。
二段の弁当箱のフタを開けると、照りのいい鶏肉の照り焼きと、彩りのいい野菜、きっちり詰まった卵焼き。
白いご飯には、梅干しがひとつど真ん中。
「うわ、マジでちゃんとしたやつだ……」
「ちゃんとしたやつです。コンビニおにぎり二つなんて、お昼にしては足りませんよ?」
「別に俺の昼事情を憐れむために来たわけじゃないだろ」
「“この間、発砲された件でビビった分の慰謝料”です」
「発砲つっても、床に一発だからな……」
ぶつぶつ言いつつも、竜樹は箸を手に取る。
その様子を、梨花は腕を組んでじっと見ていた。
「ところでさ」
「ん?」
「常駐警備員ってさ、給料、良いの?」
単刀直入な質問に、竜樹は箸を持つ手をピタリと止めた。
ちらりと梨花を見て、少しだけ考える顔をする。
「女子高生の夢を壊す気もないが……現実も教えた方がいいよなあ」
「変な前置きやめてください」
「平均よりは貰ってるが、年五百弱(危険手当込み)ってトコだから、お勧めはしないぞ。
ちゃんと勉強して、もっとマシなとこに就職しな」
「ごひゃく……」
梨花は、数字を頭の中で転がした。
安生家の感覚と、自分の「本何冊買えるか換算」が一瞬で始まる。
「危険手当込みで? それで常駐でこんなとこに閉じこもってるの?」
「“こんなとこ”言うな。校内警備は割と神経使うんだぞ。いろいろ見えるし聞こえるし。見なかったことにしなきゃいけないものも多い」
「ふーん……年五百弱か」
梨花は、小さく呟きながら、竜樹の身体を上から下まで、さりげなく――いや、わりとあからさまに見回した。
身長一八六センチ。
鍛えた肩と腕。
そのくせ、どこか気の抜けた姿勢と顔つき。
(五百弱、二十四歳、身長一八六……)
頭の中で、妙なスペック表みたいなものが組み上がっていく。
「……八歳差か」
ぽろっと、心の声が漏れた。
「なにか言ったか?」
箸を止めて、竜樹が眉をひそめる。
「いや、何もー」
梨花はにこ、と意味深に笑ってごまかした。
竜樹は、まだどこか腑に落ちない表情をしていたが、結局それ以上は突っ込まなかった。
代わりに、弁当箱を持ち上げ、鶏肉を一切れ口に放り込む。
「……うまいな」
「でしょ。安生道場の長女を舐めないでください」
梨花は満足げに頷いた。
「ちゃんと勉強して、良いトコに就職しなって言ったの、さっき自分で言いましたからね。
危険手当頼りの生活は、あんまり羨ましくないです」
「お前が言うと説得力あるんだかないんだか分かんないな……」
詰所の小さな窓から、校庭が見える。
チャイムまで、あと数分。
“本の守り人”と“怪異の監視役”と“ただの高校生”。
いくつもの顔を抱えたまま、四十九囲区の昼は今日ものんびりと過ぎていく。