郡山市立図書館。
放課後の少し曖昧な時間、梨花はカフェテリアのシフト前に、いつものようにカバンだけ肩にかけて静かな館内を歩いていた。
(……さて、と)
目的地は決まっている。
一般書コーナー、文庫棚の「ハ行」と「マ行」の境目あたり。
この前、地下のあの書庫で決めた“ひみつの交換場所”だ。
「えーっと……」
人の気配がないのを確かめてから、梨花は棚の前に立つ。
背表紙がずらりと並ぶ中、一冊抜いては戻し、指先で本と本のあいだの隙間をなぞる。
想像以上に、何もない。
(やってない……? サボった?)
ほんの少しだけ、眉間にしわが寄る。
地下の読書家の顔を思い出して、無言で評価ポイントを減らしかけた、その時――
「あ、いた」
文庫を二冊抜いた、その奥。
棚板と本の間、ぺたりと張りつくように、一枚のメモ用紙が挟まっていた。
白い紙に、几帳面な字。
角はきちんと揃えられ、無駄な折り目ひとつない。
梨花は、それをそっと引き抜いて、近くのテーブルまで歩いていく。
椅子に腰を下ろし、机の上にメモを広げた。
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【おすすめリスト1】
※郡山市立図書館 文庫棚/作成者:B
1.『深夜零時の図書室』
──人と本のあいだにある「沈黙」が、きれいに描かれています。
静かな話が好きなら、おすすめです。
2.『働きすぎた君へ』
──タイトルは軽いですが、中身はだいぶ痛いです。
読みながら、「もっと早くこれを読めていれば」と思いました。
3.『地下室の手記(新訳版)』
──“地下に引きこもった人間”の話です。
他人事として読めるなら、きっと楽しめます。
他人事にできない人は、ほどほどに。
4.『筋肉で世界は救えるか?』
──タイトルに反して、わりと真面目な科学解説です。
安生さん向け。
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「……最後」
読み終わったところで、梨花は思わず吹き出しそうになった。
唇を押さえて、なんとか笑いを飲み込む。
(“安生さん向け”って何よ)
けれど、頬のあたりが勝手にゆるむのは止められない。
字はやっぱり大人の男の字だ。
変にクセはなく、丁寧で、欄外の余白まできっちり揃っている。
地下の机で本を撫でていた灰色の指が、今度はこうしてペンを握っているのかと思うと、変な感覚になる。
(ちゃんと約束、守ってるじゃん)
梨花は、メモの端を指でトントンと叩いた。
1の『深夜零時の図書室』。
さすがに“図書室もの”から入るあたり、趣味が露骨すぎて笑えてくる。
2の『働きすぎた君へ』。
“もっと早くこれを読めていれば”というコメントに、うっすら苦みが滲んでいる。
3は……あえて今は見なかったことにする。
タイトルだけで胃が重くなりそうだからだ。
「で、4番目が、筋肉」
「……」
しばらく黙って紙を見つめたあと、梨花はカバンから自分の筆箱を取り出した。
中身を漁り、出てきたボールペンを手に取る。
「よし」
メモ用紙の裏側、まだ真っ白なスペースに、彼女はさらさらと書き始めた。
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【安生梨花 レビュー】
1.『深夜零時の図書室』
──雰囲気◎ 静かでよかった。
登場人物が誰も“超人”じゃないところが好き。
4.『筋肉で世界は救えるか?』
──救えるかどうかはともかく、
“鍛えた身体を持つ人間のリスク”の話が面白かった。
うちの父と兄にも読ませたい。
※次は「走る」の本、お願い。
筋トレだけじゃなくて、ランニングのやつ。
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書き終えて、ペン先をじっと見つめる。
どこかくすぐったいような気持ちが胸の奥に広がっていた。
(……交換ノート、ってこういう感じなのかな)
誰に見せるでもない会話。
でも、確実に誰かに届く言葉。
文字を読み慣れた地下の怪異が、この紙を拾い上げて「ふむ」とか言ってる姿が、ありありと想像できてしまう。
「さて」
梨花はメモを半分に折り、もとの棚へ戻った。
さっきよりも、少しだけ奥に挟み込む。
次にここへ来るのは、きっと“B”の番だ。
ついでに、リストの1番にあった『深夜零時の図書室』を探して、棚から抜き取る。
指先が背表紙をなぞり、貸出カードのバーコードを軽く弾いた。
(本当に、読書仲間になっちゃったな)
ちょっとだけ頬を掻きながら、梨花は借りたばかりの文庫を胸に抱える。
この図書館のどこかで。
そして、そのずっと下の、冷たい土の向こうで。
同じ本のページをめくる音が、時間差で重なるかもしれない。
「……ま、いっか」
自動貸出機に本を読み込ませながら、梨花は小さく笑った。
レシートに印字されたタイトルの下――
彼女のカード番号と同じくらい、棚に挟まれた小さなメモ一枚が、今はなんだか大事な“貸出記録”のように思えた。