なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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長女の市場調査

 

 

 安生家の朝は、今日もにぎやかだった。

 

 キッチンカウンターには、いつもの四つの弁当箱に加えて――ひときわ大きな、黒い二段弁当箱がドンと鎮座している。

 味噌汁の湯気と、焼き魚と卵焼きの匂いが混ざって、いかにも「大所帯の朝」という空気だ。

 

「……でか」

 

 寝ぐせも直しきれてない友香が、それをじーっと見つめてつぶやいた。

 エプロン姿で卵焼きを切っていた梨花が、ちらりと視線だけ向ける。

 

「梨花姉、こないだから大きな弁当つくってるけど、どうしたの?」

 

「ん?」

 

 梨花はフライパンを火から下ろし、何でもない顔で答えた。

 

「とりあえず胃袋掴んでみようかと思って」

 

「ふーん……え!?」

 

 ワンテンポ遅れて理解が追いついた友香の声が、ダイニングにひびいた。

 テーブルでパンをかじっていたユイリィとルテアも、同時に顔を上げる。

 

「ちょ、ちょっと待って。誰の胃袋?」

 

「警備の桜さん」

 

 梨花はさらっと言いながら、大きな弁当箱の片方に、ごはんをこんもりよそい始めた。

 梅干しをど真ん中にぽすん、と置いて、いつもの安生家クオリティの彩りおかずを詰めていく。

 

 揚げたての唐揚げ、きんぴら、ほうれん草のおひたし、卵焼き。どれも安定の家庭の味だが、量だけはどう見ても「育ち盛り+格闘家仕様」である。

 

「定職についてるし、卒業するまで何事もなければ、七歳差なら社会人同士なら普通なんでしょ」

 

「ちょっと待て落ち着け長女!」

 

 ガタン、と椅子を引いて立ち上がる友香。

 

「それキープする気!? うちの常駐警備員さん“キープ”枠なの!?」

 

「失礼ね。ちゃんと本人の意思を尊重したうえでの、将来設計よ」

 

「将来設計って言ったぁ!!」

 

 友香が頭を抱える横で、ルテアが目を輝かせる。

 

「でもさ、梨花が本気出したら、竜樹さん逃げ切れなくない? 道場主の孫で、カフェテリアの看板で、弁当までこれってさ……」

 

「うん……これは、かなりの攻城戦ですね……」

 

 ユイリィは、芸術品のように詰められていく唐揚げと彩り野菜を、感心したように見つめながらつぶやく。

 

「攻城戦とか言わないで。まじめな交際前の市場調査よ」

 

「もう用語が怖いんだけど!? “市場調査”って何よ!」

 

「だって、結婚前提の相手候補として、家族との相性、仕事との両立、将来の収入見込み……色々あるじゃない」

 

「さらっと条件出すな!」

 

 わあわあと騒ぐ妹たちをよそに、梨花は最後に小さな仕切りを一つ空けて、そっとデザート用のフルーツを詰めた。

 一口サイズに切ったオレンジとキウイ。つまようじを二本、クロスするように刺しておく。

 

「ま、とりあえず。

 ――うちの胃袋を預けてもいいかどうか、査定してくるわ」

 

「査定されるの竜樹さんの方なんだ……」

 

「当たり前でしょ? うちの家族と、おじいちゃんと道場と、全部まとめて面倒見てもらう“かもしれない”人なんだから」

 

 梨花は満足げにふふんと笑い、大きな弁当箱の蓋をカチリと閉めた。

 カウンターの上で、それは他の弁当箱より一段と存在感を放っている。

 

 安生家の朝に、新しい“攻城戦”の火ぶたが、静かに――でも確実に切って落とされた瞬間だった。

 

 

 

 /*/ 常駐警備員詰所・昼前 /*/

 

 

「ごちそうさん。……いや、本当にうまかったよ」

 

 詰所の小さなテーブル。

 桜竜樹は、黒い二段弁当箱をきっちり空にして、ぱちんと箸を揃えた。

 

「口に合って良かったです」

 

 向かい側に座った梨花は、いつもの涼しい顔で微笑む。

 けれど膝の上では、こっそり指先が小さくガッツポーズを作っていた。

(よし。一段目・完食。二段目・完食。デザートまで完食。胃袋、第一段階クリア)

 

 そんなことを内心でメモしつつ、さりげなさを装って首をかしげる。

 

「桜さんって、給料、なにに使ってるんですか?」

 

「ん?」

 

 竜樹は一瞬きょとんとした顔をしてから、肩をすくめた。

 

「趣味がトレーニングだからな。飯は質重視でそんなに派手に使わんし……大体、貯金に回して投資してるな」

 

「……素晴らしい」

 

 即答だった。

 思わず本音が漏れて、梨花は自分で自分にツッコミを入れたくなる。

 

(貯金と投資……堅実……! ポイント高い……!)

 

「なんだ?」

 

「いえ……将来のこと、ちゃんと考えてるんだなって」

 

 少しだけ視線をそらしながら言うと、ふと思い出したように、もう一つ聞いてみる。

 

「実家に入れたりしないんですか? 仕送りとか」

 

「ああ」

 

 竜樹は、今度はあっさりした声で答えた。

 

「天涯孤独の身だからな。入れる実家がない」

 

「……っ」

 

 予想外にさらっとした重い単語に、梨花の背筋がぴしっと伸びた。

 

「す、すみません。無神経なこと聞きました」

 

「気にするな」

 

 竜樹は本当に気にしていないらしく、軽く手を振る。

 

「昔からそうだし、その分、自分でどうにかするしかないって決めてるだけだ。――それに、今はここで世話になってるからな。ありがたいのは俺の方だ」

 

「……ありがとうございます」

 

 梨花は、ぺこりと頭を下げた。

 逢瀬学園にあるこの詰所も、ある意味「家族」の生活圏の一部だ。

 そこを一人で守っている男の「天涯孤独」という言葉が、妙に胸に引っかかる。

 

(……家族、か。

 “天涯孤独”って、裏を返せば、こっちの家族構成との相性は……悪くないわよね)

 

 すぐさま、頭の中で「安生家+1」のシミュレーションが始まりかけるのを、梨花は咳払い一つで打ち消した。

 

「……うちのバカ兄は、なぜ常駐警備員にならなかったのでしょう?」

 

 ぽろっと出た本音に、竜樹が苦笑する。

 

「胆か? あいつはあいつで優秀だろ」

 

「腕は認めてます。でも、安定収入+福利厚生のありがたみを、もう少し理解していても良いと思うんです」

 

「はは。常駐になるには、幾つか試験をパスしないといけないのと……家族が多いからかな」

 

「試験……」

 

 梨花の目がすっと細くなる。

 

「おのれ、何度となくバカ兄の前に立ちはだかるか、各種試験……」

 

「いや、そんな恨みがましく言うことでもないと思うが」

 

 竜樹は苦笑しながら、空になった弁当箱の蓋をそっと閉めた。

 

「でも、こうやって道場と警備の仕事を両方見てると、胆も十分忙しいだろ。家のこともあるしな」

 

「……まあ、そこは評価してあげてもいいですけど」

 

 しぶしぶ、といった口調で言いながらも、

(“家族のことを考えて仕事を選ぶ”って価値観、桜さんも同じ方向性っぽいのよね)

と、梨花の中でまた一行、査定シートに書き込みが増える。

 

 天涯孤独、倹約家、貯金と投資、酒・ギャンブルの匂いなし。

 そして――

 

「桜さん」

 

「ん?」

 

「今日の弁当、味のバランスとか量とか、なにか気になるところありました?」

 

「いや、完璧だったと思うが……強いて言うなら」

 

 竜樹は少し考えてから、素直に答える。

 

「また、頼んでもいいか?」

 

 その一言に、梨花の口元が、わずかに綻んだ。

 

「もちろん。

 ――継続的なデータを取らないと、“査定”の精度が上がりませんから」

 

「今、なんか物騒なこと言わなかったか?」

 

「気のせいです」

 

 窓の外では、逢瀬学園のチャイムが、昼前を告げて鳴り始めていた。

 

 安生家の長女による“攻城戦”は、まだ静かに――しかし着実に、進行中だった。

 

 

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