なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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最低でも三か月

 

 

 /*/ 安生道場・夕方 /*/

 

 

 号令とともに、その日の稽古が締めくくられた。

 

「礼!」

 

 一斉に頭を下げる門下生たち。

 畳に手をつく音と、汗のにおい。しばらくしてから、ざっ、と立ち上がる足音が続く。

 

「じゃあ、今日はここまで。道場の片づけして帰れよー」

 

 胆の声に、「はいっ!」と返事が揃う。

 竹刀袋を抱えた中学生たちが、名残惜しそうに雑談しながら引き上げていき、やがて道場には安生家の気配だけが残った。

 

 竹刀立てを整理していた胆の背中に、すっと影が落ちる。

 

「――バカ兄」

 

「なんだよ、いきなり物騒な呼び方すんな」

 

 振り返るより早く、腕を組んだ梨花がずい、と詰め寄ってきた。

 道着の袖をたくしあげたまま、いつもより目が鋭い。

 

「なぜNSSに就職しなかった」

 

「は?」

 

 竹刀袋を持ち上げた状態で固まる胆。

 

「うらの警備員のことか? 常駐の方な」

 

「そう。桜さんのポジション。なんでそこに収まってないのか、妹としては非常に疑問なんだけど」

 

「お前なぁ……」

 

 胆は、がしがしと頭をかきながら苦笑した。

 

「……あれな、天涯孤独か傭兵上がりとかじゃないと、選考で落とされるんだよ」

 

「え?」

 

 梨花の眉がぴくりと跳ねる。

 

「死にやすいからだよ。現場によっちゃ、それなりに。

 で、死んだ時に騒ぐ遺族がいると、あとあと色々とめんどくさいから“ダメ”とか、そういう世界」

 

 淡々とした説明のなかに、わずかな苦味がある。

 NSSの裏側の仕事が、決して“きれいごと”だけではないことを、胆もそれなりに知っているのだろう。

 

「……ち」

 

 梨花は小さく舌を打つように、視線をそらした。

 

「いまなら、あんまり騒がないのに」

 

「おいおい」

 

 さすがに兄としてツッコまずにはいられない。

 

「“あんまり”ってなんだ。“全然”でもアウトだからな?

 妹が自分の兄の死亡に無反応とか、そっちの方がホラーだわ」

 

「お線香くらいは、ちゃんとあげますよ?」

 

「フォローになってねぇ!」

 

 そこへ、雑巾をしぼっていた友香が、にゅっと顔を出す。

 

「それより査定どうだったの?」

 

「何の話だよ」

 

「桜さんの、だよ。今日お弁当持ってったんでしょ?」

 

 当然と言わんばかりに、妹たちの視線が一斉に梨花へ向く。

 道場の端でモップをかけていたユイリィとルテアまで、ぴたりと動きを止めた。

 

「――天涯孤独、倹約家、貯金と投資、酒・ギャンブルの匂いなし」

 

 梨花は、指を一本ずつ折りながら、事務的な口調で読み上げる。

 

「素晴らしい。継続的に査定する価値がある」

 

「出た、“継続的に”」

 

 友香がげんなりした顔でため息をついた。

 

「この前も言ってたよね。“一回のデータじゃ傾向が読めないから”って」

 

「当たり前でしょ。人となりは短期じゃ判断しきれないわ。

 最低でも三ヶ月は、生活パターンと金銭感覚と人間関係のデータが必要」

 

「用語が怖いんだってば!」

 

「本当にやるんですね……」

 

 ユイリィが、畳の端に正座したまま、小さく肩をすくめる。

 

「うん。あの長女、本気だからね……」

 

「うわぁ……」

 

 ルテアは、どこか楽しそうに、しかしドン引きも混ざった声を漏らした。

 

「攻城戦モードの梨花、久々に見た」

 

「失礼ね。攻城戦じゃないってば。

 双方の将来のための、まじめな査定と検討よ」

 

「言い換えても怖いからね、それ」

 

 友香のツッコミが、がらんとした道場に響く。

 

「でもま、桜さんなら、うちに混じっても違和感なさそうではあるよな」

 

 竹刀袋を肩に担ぎながら、胆がぽつりとこぼした。

 

「真面目で、無駄遣いしなくて、仕事はきっちりやって……。

 お前らみたいな騒がしいのにも、わりと耐性ありそうだし」

 

「そこ、大事な加点ポイントですね」

 

 梨花が真顔でうなずく。

 

「あとで、おじいちゃんの評価も聞いておかないと。現場指導者からのフィードバックは重要だわ」

 

「じいさんまで巻き込むのかよ……」

 

 胆が頭を抱える横で、ユイリィとルテアがひそひそと囁きあう。

 

「これ、近い将来、“家族会議”コースありますね」

 

「あるね。議題《桜竜樹さんをどう扱うか》」

 

「タイトルやめろ、ホラー感増すから!」

 

 そのタイミングで、道場の入り口から李の咳払いが聞こえた。

 

「お前たち、人の評価をする前に、自分の立ち居振る舞いも見直さんかのう」

 

「「「「はい(……はい)」」」」

 

 一斉に背筋を伸ばす四姉妹と胆。

 しかし、その目の奥では――長女による“継続的査定プロジェクト”のチェックリストが、静かに、しかし確実に増えていくのだった。

 

 

 

 /*/ 常駐警備員詰所・放課後 /*/

 

 

 夕方の見回りを終え、校内が少しずつ静かになっていく時間帯。

 詰所の窓から見えるグラウンドには、部活の生徒がぱらぱらと残っているだけで、さっきまでの喧騒は嘘のようだ。

 

 桜竜樹は、制服姿の生徒たちが校門を抜けていくのを確認しながら、マグカップのコーヒーをひと口あおる。

 インスタントだが、飲み慣れた苦みが、ようやく一息つける時間だと知らせてくれる。

 

「よっす」

 

 ノックもそこそこに、がっしりした影が詰所に入ってきた。

 安生胆。道場帰りらしく、ジャージ姿に汗の名残りを引きずっている。

 

「おう、胆か。どうした」

 

 竜樹が椅子を回転させて向き直ると、胆は頭をかきながら、なんとも言えない顔で口を開いた。

 

「……うちの妹が査定とか言ってすまねぇな」

 

「ああ?」

 

 一瞬きょとんとしたあと、「やっぱりか」とでも言うように、竜樹は苦笑した。

 

「なんか様子が変だと思ったら、そういうことか。

 兄として釘を刺しに来たのか」

 

「ん、まあ、な」

 

 どうにも歯切れが悪い返事に、竜樹が片眉を上げる。

 

「歯切れが悪いな」

 

「なんか妙な感じでな」

 

 胆は詰所の壁にもたれ、腕を組んだ。

 いつもなら道場での技術論か、最近の物騒な噂話をするテンションの男が、今日はどこか落ち着かない。

 

「家族仲が悪いわけじゃねぇんだ。ただ……“査定”とか“将来設計”とか言い出すとさ」

 

 胆は、視線を天井に泳がせながらため息をつく。

 

「こっちが置いてかれてる感じがしてよ。

 気付いたら、妹の方が一歩先で現実見てる、みたいな」

 

 その言い方に、竜樹は少しだけ目を細めた。

 

「はは、なるほどな」

 

 コーヒーをもう一口あおってから、軽い調子で続ける。

 

「心配しなくても、梨花ちゃんから誘惑してこない限りは大丈夫だ」

 

「そこは危ないのかよ」

 

 即ツッコミ。詰所に低い笑いが漏れる。

 

「現実問題としてな」

 

 竜樹は、窓の外をちらりと見ながら、淡々と言葉を継いだ。

 

「あのぐらいの身長で美人さんは滅多にいないんだぞ。

 顔が整ってて、身体も鍛えてて、立ち姿もきれいでさ。

 “道場主の孫娘”って肩書き抜きにしても、普通に目を引くレベルだ」

 

「……まあ、それは否定しねぇけどよ」

 

 兄としては複雑そうな顔で、胆が鼻を鳴らす。

 

「こっちは、あいつが寝癖つけてジャージでゴロゴロしてるところも知ってるからな。

 なんか、そう言われるとむず痒いわ」

 

「それはそれ、これはこれだ」

 

 竜樹は、カップをテーブルに置いて肩をすくめた。

 

「あんまり背が小さいと、なんか悪い事してるみたいじゃないか」

 

「……ああ」

 

 胆は、変に納得したようにうなずく。

 

「まあ、学生のうちは論外だしな。

 こっちは“護る側”だ。変な目で見ること自体アウト、ってのはわかってる」

 

「そこは線引きしてる。職業柄な」

 

 竜樹の声に、ほんの少しだけ硬さが混じる。

 

「俺の事情は、こないだ梨花ちゃんにも少し話したが――天涯孤独で、行き先によっちゃ、長く続くかどうかもわからん仕事だ。

 そういう立場で、軽い気持ちで誰かの人生に踏み込むつもりはない」

 

「……そういうの、ちゃんと考えてんだな」

 

「一応な」

 

 照れくさそうに頭をかきながらも、その瞳は穏やかだ。

 

「だから、釘を刺しに来たってんなら、安心しろ。

 こっちから動くつもりは今んとこない」

 

「“今んとこ”って付け足すなよ」

 

「保険は大事だろ?」

 

 ニヤリと笑ってから、竜樹は少しだけ真面目な顔に戻った。

 

「もし、本気で口説きに行く時が――将来、もし来るとしてだぞ?」

 

「お、おう?」

 

「その時は、その前にちゃんとお前にも筋を通す。

 道場主と親父さんにも話を通して、正面から来る」

 

「……お前なぁ」

 

 胆は、思わず笑いながら、ため息をひとつ吐いた。

 

「そんなことまで言われたら、逆に何も言えねぇだろ」

 

「男同士の約束ってやつだ」

 

 竜樹が、軽く拳を突き出す。

 胆も苦笑しながら、その拳に自分の拳をこつんと合わせた。

 

「……ま、とりあえず今は、“査定されてる側”って自覚だけは持っといてくれや」

 

「そっちはそっちで怖いな。

 NSSの採用試験よりプレッシャーあるぞ」

 

「だろうな。うちの長女、本気で見極めにかかってるからな」

 

 胆が肩をすくめると、詰所の外で、部活帰りの生徒たちの笑い声がかすかに聞こえた。

 窓越しに見える夕焼けは、校舎の影を長く伸ばしている。

 

「しかし、お前が『天涯孤独の身です』って言った時さ」

 

「ん?」

 

「うちの長女、“ポイント高い……”って顔してたぞ」

 

「そこの基準がよくわからんな……」

 

「“うちの家族ごと背負ってもらう前提で見てるから、遺産トラブルの心配が少ない”とか、そういう発想だと思う」

 

「やめろ。妙にリアルな話をするな」

 

 ふたりの笑い声が、静かになりはじめた校舎の奥で、低く響く。

 

 安生家の“攻城戦”と、常駐警備員の“職業倫理”。

 そのあいだで、男たちなりのラインの引き方が、ゆっくりと、しかし確実に形になりつつあった。

 

 

 

 /*/ 安生家・夜のリビング /*/

 

 

 夕食も片づけも風呂も終わって、安生家の一番ゆるい時間がやってきていた。

 

 リビングのテレビでは、芸人が全力で変顔をしているバラエティ番組が流れている。

 ソファには、制服からジャージに着替えた梨花が、猫のように丸くなってスマホをいじっていた。膝にはクッション、足元には脱ぎっぱなしのスリッパ。

 

 そこへ、ダイニングの方から、どすどす、と大きな足音。

 

「……なにか御用ですか、バカ兄」

 

 視線だけ上げて言うと、椅子の背に腕を引っかけていた胆が、ちょっとだけ気まずそうな顔をして近づいてきた。

 

「御用とか言うなよ」

 

 そう言いつつ、テレビのリモコンを手に取って、ボリュームを一段下げる。

 その動作に、なんとなく“ちょっと真面目な話するぞ”感がにじむ。

 

「一応、話はしてきたけれど……あんまり査定とか言って困らすなよ」

 

 ぽん、と軽く爆弾を置くように言われて、梨花の指がぴたりと止まった。

 

「バカ兄にしては行動が早いですね」

 

 ゆっくりと上体を起こし、ソファの背にもたれて、じとっと兄を見上げる。

 

「言ってしまったんですか。そうですか」

 

「“しまった”って言い方やめろ」

 

 胆は額を押さえながら、ソファの肘掛けにどかっと腰を下ろした。

 

「向こう、ちょっと苦笑いしてたぞ。“ああ、そういうことか”って顔してた」

 

「隠すつもりもありませんし、別にやましいこともしてません」

 

「“査定”って言われて平然としてられるやつ、そうそういねぇからな?」

 

 梨花は、ふふんと肩をすくめる。

 

「で、桜さんはなんと?」

 

「“梨花ちゃんから誘惑してこない限りは大丈夫だ”ってさ」

 

「……なるほど。では、こちら側の問題ですね」

 

「違う違う違う、なんでそこを前向きに捉えるんだよ!」

 

 慌てて手を振る胆を見て、梨花は少しだけ目を細めた。

 

「冗談ですよ。――半分くらいは」

 

「半分が本気ってのが一番怖ぇんだよ、お前は」

 

 テレビの中で笑い声が爆発するのと、胆のため息が重なる。

 

「……困らせるつもりは、ないですよ」

 

 梨花が、ふっと視線を落とした。

 

「ただ、真面目に決めたいだけです。

 こっち、“天涯孤独”どころか、巻き込まれる人間、多いですから」

 

 道場、祖父、両親、妹たち。

 そして、逢瀬学園とNSS。それら全部を背負って生きている自覚は、長女なりにある。

 

「こっちが適当に選んだ結果で、家族ごと巻き込むのは嫌なんです。

 だから、“査定”は必要です」

 

「……理屈は、わかる」

 

 胆は頭をかきながら、ぽつりと言った。

 

「でもな。条件ばっか先に積み上げてくとよ、肝心なとこ見落とすぞ」

 

「肝心なところ?」

 

「お前、自分でちゃんと言葉にしてねぇだろ。“好きかどうか”ってやつ」

 

 梨花の喉が、かすかに鳴った。

 

「査定項目に、感情も含まれてますから」

 

 そっけない返事をしつつも、耳たぶがほんのり赤くなっている。

 

「そこを一番重くするかどうかは、まだ検討中ですけど」

 

「重くしとけ。絶対だ」

 

 胆は即答した。

 

「天涯孤独だの貯金だの投資だの、酒ギャンブルなしだの――

 そういうのは“結婚したあとに感謝するポイント”であって、“好きになる理由”のメインじゃねぇからな」

 

「……バカ兄のくせに、いいこと言いますね」

 

「誰がバカ兄だ」

 

「バカ兄です」

 

 いつものやり取りに戻りかけて、ふと、梨花が小さく笑う。

 

「――でも、そうですね。

 “うちの胃袋を預けてもいいかどうか”だけじゃなくて」

 

 ポン、と自分の胸に手を当てる。

 

「“ここ”を預けてもいいかどうかも、ちゃんと見ないといけませんね」

 

「最初からそう言え」

 

 胆が、どこかほっとしたように息を吐いた、そのとき。

 

 ダイニングテーブルの向こうから、紙のこすれる音と、妙な気配。

 

「……あのさ」

 

 胆が目だけそちらに向ける。

 

 宿題をしていたはずの三人の妹――友香、ユイリィ、ルテアが、ノートの影から半分だけ顔を出していた。

 

「聞いてないフリしてたけど、けっこう丸聞こえなんだよね、この距離」

 

「恋バナだ恋バナだ~」

 

「“査定項目に感情を含めるか検討中”ってセリフ、名言としてメモしました」

 

「やめろ三人ともぉ!」

 

 顔を真っ赤にして立ち上がる梨花と、頭を抱える胆。

 

 安生家の夜は、今日も平和で、そして少しだけ騒がしい。

 長女の“攻城戦”も、兄のささやかな心配も、全部ひっくるめて――ここが、彼らの「生活圏」なのだった。

 

 

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