/*/ 帰り際・理事長室で一言 /*/
放課後。
職員棟の、一番奥のドアの前で、惣一郎は一度だけ深呼吸した。
(……まあ、別に怒られるような話じゃないしな)
ノックを三回。
「失礼しまーす」
「どうぞ」
低く落ち着いた声が返ってくる。
ドアを開けると、書類の山と、机に開かれた○○STREETと、
それをまとめて見下ろす長身の男――伊集院貴也・理事長。
「おや、惣一郎くんか。どうしました?」
「あ、えっと。今いいです?」
「大丈夫ですよ。そこに掛けなさい」
ソファを指さされて、惣一郎は、とりあえず素直に腰を下ろした。
こうして正面から向き合うと、
理事長の“でかさ”が改めてよく分かる。
(そりゃ、女装させられたらインパクトすげぇよな……いやいやいや何考えてんだオレ)
頭の中の余計な想像を振り払いながら、本題に入る。
「あのですね。
今日、クラスでちょっと話題になってたことがあって」
「ふむ?」
「女子たちが、“うちの学校は冬にスカートの下にジャージ履いても怒られない”って盛り上がってたんですよ」
伊集院の眉が、わずかに上がる。
「ほう」
「で、それって、
“他の学校だと結構アウトなやつが、ここはOK”らしくて」
惣一郎は、言葉を選びながら続けた。
「“見た目より健康優先”っていうか……
寒さとかケガとか気にしてくれてるの、意外と好評なんですよ。女子の間で」
「意外と、ですか」
理事長は、口の端だけで笑う。
「褒め言葉として受け取っておきましょう」
「でですね」
惣一郎は、少し身を乗り出した。
「どうせなら、それ――パンフレットに書いたら良いんじゃないかって」
「パンフレットに?」
「はい。
“冬場はスカートの下にジャージ着用可(防寒のため)”って、
制服ページのどっかにちょこっと」
言いながら、自分でもおかしくなってくる。
「進学先見てる中学生とか、その親とかって、
“勉強”“部活”“偏差値”とかの数字は当然見ると思うんですけど……」
「ええ」
「でも、“実際通ったときにどういう生活になるか”って、
案外そういう細かいところで決まるじゃないですか」
惣一郎は、今日の女子たちの会話を思い出す。
『生足強制の学校は無理』
『朝練のあとにそれとか、普通に地獄なんだけど』
「特に女子は、“冬場の制服事情”わりと真剣に見てるみたいで。
“ここ寒くてもジャージOKならマジ助かる”とか、
“ちゃんとこういうの考えてくれてる学校は信用できる”とか」
「ほう……」
伊集院は、興味深そうに目を細めた。
「なので、“うちはそういう方針ですよ”って、
最初から見える形にしておくと――」
「それも一つの“魅力”になるのでは、というわけですね」
「はい。
正直、“腹筋ペアがいる学校です”より、
冬場に毎日通う生徒的にはありがたい情報だと思います」
「そこは、否定しづらいですね」
理事長は、机の上のパンフレット試作品を手に取った。
制服紹介のページ。
ブレザーに、ネクタイ、スカート、スラックス。
「たしかに、“現場の実情”はあまり書いていませんでしたね。
“規定の制服”だけでは、冬の寒さは伝わらない」
指先で、紙面の余白をとんとん、と叩く。
「スカートの下にジャージを履く写真……は、
さすがにそのまま載せると“だらしなく見える”と怒る人も出そうですが」
「ですよねぇ」
「注釈で、
“防寒目的のレギンス・ジャージ等の着用を認めています”といった文言を入れるのは、検討に値しますね」
そこで、ふと惣一郎の方を見た。
「しかし、あなたがわざわざそれを言いに来るとは、少し意外です」
「え?」
「もっと、“ゲーム部屋を作りましょう”とか、
“放課後の机上ゲーム同好会を公式にしましょう”とか、
そういう提案が先かと思っていましたが」
「それはそれで、いつか言いに来ます」
惣一郎は、即答してから、苦笑いを浮かべる。
「でも今日は、“うちの学校らしい良さ”を一個拾った気がして。
……なんていうか、“ちゃんと生徒の身体の方を見てくれてる”っていうか」
「なるほど」
伊集院は、ほんの少しだけ表情を和らげた。
「実際のところ――」
机の上に開かれた雑誌のページ。
雪のない季節の逢瀬学園が、そこには並んでいる。
「“パンフレットに映る学校”と、“実際に通う学校”が違いすぎると、
後でがっかりされますからね」
「それ、ゲームでもありますね。
パッケージと中身が違いすぎるやつ」
「ええ。そういうものを、世間では“クソゲー”と呼ぶのでしょう?」
「理事長の口からクソゲーって言葉出てくるの、まあまあレアです」
二人とも、少しだけ笑った。
「……分かりました」
伊集院は、パンフレット案のページ端に、軽くメモを書き込む。
「“冬季の防寒対応について”の一文を追加する方向で、
広報担当と相談してみます」
「おお、マジっすか」
「あなたが言う“現場の声”は、軽く扱うには惜しい。
ゲームとやらのバランス感覚で言うと、“ユーザーフィードバック”というやつでしょう?」
「そんな感じです。
“生徒レビュー☆4.8くらい”にはなると思います」
「では、☆5を目指して、もう少し工夫してみましょう」
理事長は、そこでふと真顔になった。
「――惣一郎くん」
「はい」
「時々でいいので、こういう話をまた持ってきてください。
教師や管理側からは見えない、“ちょっとした不便”や“ささやかな満足”は、
案外、あなた方の口からの方がよく分かるものですから」
「……了解です」
惣一郎は、少し照れくさくなって頭をかいた。
「じゃ、そのうち“ゲーム部屋”の件も――」
「それは、まず企画書からお願いしますね」
「やっぱそこからかぁ」
軽口を交わして、立ち上がる。
「じゃ、今日はこれで。
パンフに、“冬ジャージOK”入ったら、女子たち喜びますよ」
「期待していてください」
理事長はそう言って、いつもの落ち着いた微笑を浮かべた。
ドアを閉めて廊下に出た瞬間、惣一郎は小さく伸びをする。
(……ああいう話なら、
たまに“理事長室に呼ばれる”のも悪くないかもな)
そんなことを思いながら、
夕焼け色に染まり始めた廊下を、教室の方へと歩いていくのだった。