/*/ 放課後・カフェテリアで愚痴る剣士 /*/
図書室を出た斎藤一郎は、剣道着の袖をいじりながら、なんとなく足をカフェテリアの方へ向けていた。
(部長、ねぇ……)
考えたくない言葉ほど、脳内でエコーがかかる。
扉をくぐると、夕方のカフェテリアは、ちょうど“放課後モード”に切り替わりつつあるところだった。
授業帰りの生徒がまばらに座り、カウンターの奥では、安生4姉妹が手際よく動いている。
「いらっしゃいませー」
トレーを抱えてくるりと振り向いたのは、シルバーブロンドのポニーテール――ユイリィだ。
今日もカフェテリア専用のウェイトレス制服姿。白いブラウスに黒いエプロン、それだけでちょっとした洋食屋の広告みたいに見える。
「あら、斎藤くん」
「あ、ども」
道着のまま、カウンター席の端に腰を下ろす。
「今日も稽古終わり?」
「まあ、そんな感じです」
ユイリィは、慣れた手つきで水を出してから、少しだけ首をかしげた。
「顔が“防具越しに貰った一撃より重そう”なんだけど、どうかした?」
「それ、だいぶ限定的な表現ですね……」
苦笑しながらも、言われてみればそのとおりだと思う。
――以前、安生家が“部活見学ツアー”と称して剣道部を覗きに来た時。
東が「見本見せる」とか言って斎藤を相手に打ち込み稽古を始め、結果として“シバかれ役”を全力で披露する形になった。
(あのときも、この人、普通に見てたんだよな……)
ふっと視線が合う。
勢いで、口が動いた。
「ユイリィさん、ちょっと聞いてもいいですか」
「なにかしら」
「――部長になれって言われたんだけど、どう思う?」
ユイリィは、一拍置いて、斎藤の道着姿を上から下まで見た。
「高山先輩に?」
「そうです」
「“次の部長、お前な”って?」
「そのまんまです」
即答すると、ユイリィは「ふふ」と小さく笑った。
「それで、ここに流れてきたのね。
剣道着のまま」
「まあ、はい」
ユイリィはオーダー票を確認しつつ、斎藤の方を見た。
「……“どう思う?”っていうのは、“こんな弱い俺が部長で良いのか”ってことでしょ?」
「……」
図星すぎて、言葉が出ない。
斎藤は、水の入った紙コップを指で回しながら、小さく息を吐いた。
「俺もさ、部活やめて安生道場に行こうかなとか、ちょっと思っちゃって」
「ほう?」
「正直、試合とかどうでも良いし。
俺の強さは俺が知ってれば良いから、他人と競うのって苦手なんだよな。
ギラギラしてる奴らをまとめられる自信がないっつーか」
口に出してみて、改めて自覚する。
それは、甘えなのか、性格なのか――自分でも分からない。
ユイリィは、しばらく黙って斎藤を見ていた。
カウンターの奥で、ルテアが「オムライス入りまーす」とか言っている声が遠くに聞える。
「……ひとつ、いい?」
「なんすか」
「“道場に逃げようとしている人間”に、安生道場はけっこう厳しいわよ?」
「うっ」
痛いところを突かれた。
「別に、“部活より道場が上”とか、“競技が下”とか、そういう話じゃなくてね」
ユイリィは、トレーを一度置いて、両手を軽く組む。
「学校の部活も、“学校という箱の中の場所”でしょ。
安生道場も、“うちの家族が守ってる場所”」
「はい」
「どっちも、“人が集まる場所”なの。
“自分のためだけに鍛えたいから、誰とも関わらずに済む場所”ってわけじゃない」
「……ですよねぇ」
図書室で高山に言われたことと、どこか重なる。
ユイリィは、ふっと目を細めた。
「前に剣道部見学に行ったとき、覚えてる?」
「俺が、東にぶっ飛ばされてたやつですか」
「ぶっ飛ばされてただけじゃないわよ」
「え?」
「何回シバかれても、ちゃんと立ってたじゃない」
あっさり言われて、斎藤は言葉に詰まる。
「形も崩れてなかった。
痛そうではあったけど」
「痛かったですよ、めちゃくちゃ」
「でしょうね」
くすっと笑ってから、続ける。
「でも、ああいうの、1年生はちゃんと見てるのよ」
「……1年?」
「“部活って、あそこまでやる場所なんだ”って。
それと同時に、“あそこまでやってる人がいるなら、自分ももうちょっと頑張ろうかな”って」
ユイリィは、トレーの上にグラスを並べながら言った。
「東くんみたいに、“圧倒的に強い人”の背中も大事だけど――
“その横で、黙ってコツコツ殴られながらも立ってる人”の背中も、同じくらい大事なの」
「……」
「だから、高山先輩が“次の部長、お前な”って言ったの、わりと分かるわよ」
「そんなもんですかね」
「そんなもんよ」
あまりに即答されたので、斎藤は逆に笑ってしまった。
ユイリィは、少し真面目な顔になる。
「ギラギラしてる子たちを“まとめる”必要、ほんとはそんなにないと思う」
「え」
「“暴走したら止める”“怪我しそうなら止める”くらいでよくて、
あとは、“自分のペースで続けようとしてる子”が居場所失わないように、
端っこを広げておいてあげるのが、部長の仕事かなって」
「端っこを……広げる」
「そう。
“真ん中で旗振る人”より、“隅で黙って立ってる人”の方が向いてる部もあるわ」
ユイリィは、斎藤の道着の袖をちらっと見た。
「少なくとも、斎藤くんは、“逃げてるだけの弱い人”には見えないけど?」
「いや、実際、逃げたいですけどね。試合とか」
「試合から逃げるかどうかは、また別の話ね」
ユイリィは肩をすくめた。
「“試合に出たくないから部長はやりません”だと、ちょっとモヤっとするけど。
“試合は苦手だけど、部の場所は守りたいから部長やります”なら、かなりカッコいいと思う」
「ハードル高くないっすか、それ」
「高いかな?」
ユイリィは、いたずらっぽく微笑んだ。
「だって、“自分の強さは自分が知ってればいい”ってさっき言ってたんでしょ?」
「言いましたけど」
「なら、“部の良さも、自分が一番知ってればいい”ってことで、
部長やってみるのも、悪くないんじゃない?」
「……理屈が綺麗すぎて、逃げ道塞がれてる気がするんだけど」
「そう?」
「そうですよ」
斎藤は頭をかきながら、ふーっと長い息を吐いた。
「でもまあ……」
カウンター越しのユイリィを見上げる。
「ユイリィさんが“逃げてるだけには見えない”って言うなら、
とりあえず、“全力で逃げる”のはやめとこうかなって気にはなりました」
「それは良かったわ」
ユイリィは、トレーを持ち上げながら、さらっと言う。
「迷う時間くらいはちゃんと取りなさい。
どうせ決めるときは、自分で決めるしかないんだから」
「……ですよね」
「もしほんとに道場来るなら、そのときは“逃げ場所”じゃなくて“選んだ場所”として来なさいね」
「それ、めちゃくちゃハードル高いことサラッと言いましたよね?」
「安生道場って、そういうところよ?」
ウインク一つ残して、ユイリィは別のテーブルへと向かっていった。
カフェテリアのざわめきの中に、一人取り残される形になった斎藤は――
「……はぁ」
もう一度、深くため息をついてから。
「逃げ先、どんどん減ってくな、俺」
ぼやきながらも、水を飲み干すと、
どこか覚悟を決めたような顔で、立ち上がった。
(明日、高山先輩に、ちゃんと話すか)
“やります”と言うのか、“やりません”と言うのかは、まだ決めていない。
けれど少なくとも、
“安生道場に逃げるから部長パスで”というカードだけは、自分で捨てることにしたのだった。