/*/ 翌日・剣道場 新キャプテン宣言 /*/
放課後の剣道場は、まだ竹刀の音が響き始める前の静けさに包まれていた。
3年の高山と、2年の東青見、斎藤一郎。
それから、道着に着替え終えた1年が数人、壁際に正座して様子を窺っている。
いつもより、ちょっとだけ空気が固い。
「――で、返事は」
高山が、腕を組んだまま問いかける。
斎藤は、一度だけ深呼吸してから、ちゃんと顔を上げた。
「仕方ない。面倒だけど、やります」
言葉自体はやる気なさげなのに、声は意外と真っ直ぐだった。
「1年にやらせるわけにもいかないし」
そこで、横に立っている青見の方をちらっと見る。
「……だけど、東。試合の時は来てくれよな」
「それは最初からそのつもりだって」
青見は、あっさりと頷いた。
「別に、斎藤なら結構いいとこ行けると思うけど」
「そういうことじゃなくてさ」
斎藤は苦笑して、竹刀袋を指でつつく。
「俺は勝ちたいわけじゃないからな。
“あー、こいつ、俺より勝ちたいんだろうな”って思ったら、
“じゃあいいや、勝てよ”って、心のどっかで譲っちまうんだよ」
1年たちが、目を丸くしている。
「そんなだから、試合には向いてないんだ。
いつか“譲れない戦い”があったら、その時は全霊で戦うんだろうなって思ってるけど」
青見は、少しだけ目を細めた。
「……なんとなく分かるよ」
それは否定でも肯定でもなく、
“そういう奴だって知ってる”という声だった。
そこで、高山が口を開いた。
「いいじゃないか、それで」
三年の主将は、どこかすっきりした顔をしている。
「“何が何でも勝ちたい”ってやつは、
もうこの学校には、十分すぎるほどいる」
視線が、無言で青見に流れる。
「オレ?」
「お前以外にもな」
苦笑しつつも、続ける。
「でも、“譲ってもいい試合”と“譲れない試合”の区別をつけられるやつは、
実はそんなに多くない」
高山は、畳の上に正座している1年たちの方を顎で示した。
「こいつらが初めて大会に出て、
勝っても負けても、ちゃんとここに戻ってこられるようにしてやるのが、部長の仕事だ」
斎藤は、無意識に1年たちを見た。
緊張している顔。
期待半分、不安半分ってところだ。
「お前は、“自分だけ勝てればいい”ってタイプじゃない。
“続けたいからコツコツやる”のも、お前の強さだ」
高山の声は、図書室のときと同じだった。
「だから、“譲れない戦い”が来たときだけ全霊を出せばいい。
それまでは、“みんながここにいられる場所を整える”ってことで、部長をやれ」
「場所、ねぇ……」
図書室とカフェテリアで言われたことが、頭の中でつながる。
ユイリィの言葉。
“端っこを広げておいてあげるのが部長の仕事かなって”
(……そういうことかよ)
斎藤は、軽く息を吐いた。
「分かりましたよ。
とりあえず、俺の代の一年が卒業するまでは、“場所守る部長”くらいはやってみます」
「それで十分だ」
高山は満足そうに頷くと、くるりと振り返って声を張った。
「――聞いたか、一年!」
ビクッ、と数人の肩が揺れる。
「今日から、この斎藤が、お前らの部長だ。
文句があるやつは、まず素振り一万本終わらせてから来い」
「いや、それ誰も来ないやつじゃないですか」
「来ないほうが平和だろ」
さらっと返されて、斎藤は肩を落とした。
その横で、青見がぽん、と斎藤の背中を叩く。
「まあ、なんだ。
部長だろうがなんだろうが、俺がシバくのは変わんねぇから」
「フォローになってねぇよ、それ」
「でも、試合の時はちゃんと出るからさ」
青見は、まっすぐな目で言った。
「“譲れない戦い”が来たら、俺も隣で全霊でやるよ」
「……それ、実は一番心強いかもしれねぇな」
斎藤は、なんとなく笑ってしまう。
高山が、竹刀袋を肩に担ぎながら、ぽつりと言った。
「じゃあ――最後に、主将から命令だ」
「まだあるんですか」
「部長になっても、“図書室通い”はやめるなよ」
「……は?」
「剣道場だけ見てると、視野が狭くなる。
お前は、“道場と本棚の両方見てるやつ”だからこそ、任せられるんだ」
それを聞いて、青見も「確かにな」と頷いた。
「図書室で本抱えてる斎藤見てると、“ああ、今日も剣道部やってんだな”って思うしな」
「なんだその確認方法」
1年たちから、くすっと笑いが漏れる。
斎藤は、頭をかきながらも、結局こう締めくくった。
「……分かりましたよ。
道場と図書室、両方守る部長ってことで」
「よし、それでいい」
高山は、どこか晴れやかな顔で頷き、
「じゃ、最後の追い込み、付き合ってやるか。
“部長”の初仕事は、ランニングメニューの先頭な」
「いきなりそこからかよ!!」
悲鳴まじりの声が、夕方の剣道場に響いた。
その日から――
闘争心の薄い“シバかれ役”の2年は、
剣道部の「場所」と「本棚」を、
同時に守る新しい部長として、動き出すことになったのだった。