なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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娘さんをうちに下さい!

 

 

 放課後、体育館の通路。

 

 まだ器具を片付け終えていない体操部の面々がマットを運んでいる横で──ひときわ目立つ土下座が一つ。

 

「片桐先生! この通りだ! 安達を陸上部に移籍させてくれ!」

 

 ジャージ姿の四十二歳・森下先生(陸上部顧問)が、ピカピカに磨かれた床に額を押しつけている。

 

「うわ、またやってる……」

 

 マットを抱えていた彩女が、額に手を当てる。

 少し離れたところで様子をうかがっていた真琴が、小声で「先生、土下座のフォームだけは完璧っすね」と感心している。

 

 その土下座を見下ろすように立っているのは、体操部顧問・片桐先生(三十八歳)。

 ジャージの上からでも分かる引き締まった体つきと、キリッとした目元。話し方は穏やかだが、芯は絶対に曲がらないタイプだ。

 

「またですか?」

 片桐先生は、ため息まじりに言った。

 

「この前も言いましたよね。本人が体操部でって言ってるんですよ」

 

「しかしだな、片桐先生!」

 

 ガバッと上体を起こした森下先生の目は、どこか血走っている。

 

「安達なら世界を書き換えられる! 五千も百も四百も、男子全国レベル“超え”なんですよ!? 陸上に来れば──」

 

「駄目ですよ」

 

 ばっさり。

 

「……今、いいところだったんですが」

 

「駄目です。安達さんは来年の四月の全日本個人総合選手権、五月のNHK杯(個人総合)、六月の全日本種目別選手権を通過しての──」

 

 そこまで一気に言ってから、片桐先生はキッと森下先生を見た。

 

「ナショナル強化指定選手を目指すんですから」

 

「な、ナショナル……!」

 

 森下先生が、ぐらりとよろめいた。

 陸上部顧問として、決して軽く扱えない単語である。

 

「でも、そんなハードスケジュールで、陸上との二刀流は──」

 

「二刀流させる気、そもそもありません」

 

 片桐先生は、さらりと言い切る。

 

「安達さんは体操部の選手です。体操で世界に挑む選手です。そちらの“走る神様”は、田村さんたちでなんとかしてください」

 

「いや、田村は田村で大事なエースなんだがな……そういう話ではなくてだな……」

 

 森下先生が言葉に詰まっていると、当の本人が、そろそろと会話の輪に入ってきた。

 

「あのー、先生方」

 

 彩女が遠慮がちに手を挙げる。

 

「なんでしょう、安達さん」

 

「……来年は受験なので、私としてはですね」

 

 彩女は、二人の顧問を交互に見ながら、ものすごく言いにくそうに続けた。

 

「むしろ、練習減らしたいんですけど」

 

 沈黙。

 

 体育館の隅で、ボールを片付けていた一年生たちが、ピタッと動きを止める。

 

 そこへ、通路の奥から、紙のファイルを抱えた女性教師が歩いてきた。

 

「あれ、安達たち。まだ残ってたの?」

 

 ホームルーム担任の結先生だ。

 天文部とキャンプの引率で鍛えられた、線の細い見た目に反してタフな先生である。

 

「結先生、ちょうどいいところに」

 

 片桐先生が、助け舟を見つけたように手を挙げた。

 

「いまですね、森下先生が安達さんを陸上部に、ってまた土下座なさってて」

 

「“また”って言った!?」

 

「で、安達さんは『受験だから練習減らしたい』って言ってるんですけど、どうお考えです?」

 

 結先生は「ふむ」と一つうなずくと、手元のファイルをぱらぱらとめくった。

 

「……模試の判定、こないだ見せてもらいましたけど、安達さん。今のままだと“ちょっと厳しい”んですよね?」

 

「うっ」

 

 彩女の肩がびくっと跳ねる。

 

「担任としては、本人の希望進路のために、これ以上部活のハードスケジュールは認められません」

 

「ほら見ろ!」

 

 森下先生が、思わず乗った。

 

「ほら見ろ、じゃないですよ、森下先生」

 

 結先生がじろりと睨む。

 

「まず確認しますけど──安達さんの進路希望。どこの体育大学ですか?」

 

「体育大学! やっぱりそうですよね!? ですよね!?」

 

 森下先生が食いつく。

 しかし、結先生は淡々とファイルから一枚を取り出した。

 

「東くんの希望進路と同じですよ」

 

「お、東と同じ大学か。じゃあやっぱりスポーツ系──」

 

「安達さんの希望は、東くんのお嫁さんですから」

 

 きっぱり。

 

 通路の空気が、一瞬止まった。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 彩女の顔が、みるみる真っ赤になる。

 

「ちょ、ちょちょちょ、なんでそれここで言うんですか結先生!!」

 

「だって“進路希望調査票”に、はっきり書いてありましたからね」

 

 結先生は、さらっと続けた。

 

「『第一志望:東青見くんのお嫁さん ※彼の行くところについて行きます』って」

 

「書いたねぇ……」

 

 真琴が、素で感心した声を漏らす。

 

「それは進路希望じゃない!!」

 

 彩女が顔を覆って叫ぶ。

 

「いえ、本人が真面目な顔で出してきたんですよ。担任としては、軽視できません」

 

 結先生は、まるで定期テストの点数でも読み上げるかのように冷静だ。

 

「とはいえ、“東くんのお嫁さん”になるにもですね」

 

「はい??」

 

「最低限の学力と生活力は必要です。共働きになる可能性もありますし、義両親とのコミュニケーションもありますし」

 

「なんかリアルな話になってきた!?」

 

「なので──」

 

 結先生は、ぴしっと指を立てた。

 

「安達さんの希望進路を尊重するためにも、これ以上練習を増やすのはNGです。体操部の強化メニューも、受験勉強と両立できる範囲で。陸上部への正式な移籍なんてもってのほか」

 

「……担任として正しいけど、なんかすごく納得いかない理由で止められた気がする」

 

 森下先生が、膝立ちのまま天井を仰ぐ。

 

「というわけで、森下先生」

 

 結先生は、にこりと微笑んだ。

 

「安達さんを陸上部に“正式移籍”させる件は、担任として許可できません。走らせるにしても、あくまで体操部の調整と、東くんのお嫁さんになるための健康維持の範囲でお願いします」

 

「最後の一文いります!?」

 

 彩女が全力でツッコむ。

 

 そんな二人を見て、真琴がぽつりとつぶやいた。

 

「……なんか結局、一番過酷なスケジュールになってません? 安達」

 

「なってるよ!!」

 

 叫びながらも、彩女は内心で、少しだけ笑っていた。

 

(進路希望が“青見のお嫁さん”って、冷静に考えると相当アホだけど……

 それでも先生たちが真剣に扱ってくれるの、ちょっとズルい)

 

(……ま、どうせ走るなら。

 青見と一緒にいられるところまで、ちゃんとゴールしてやる)

 

 そんな風に思いながら、彩女は赤い顔のまま、マット運びに戻っていった。

 

 

 

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