◆ 三森峠・縄文住居の夜 ◆
準備を終える頃には、外の森はすっかり夜に沈んでいた。
住居の入口から首を出すと、樹冠の隙間に、ところどころ星が瞬いている。
「まずは記録だな」
青見はスマホと、コンデジを取り出した。
天井の星図に向けて、角度を変えながら何枚もシャッターを切る。
歪みを減らすため、真下から、少しずつ位置をずらして。
「天井を真上から撮れれば一番いいんだけどな」
「ドローンでも飛ばすか?」
「縄文住居の中で飛ばしたら即クラッシュだろ」
惣一郎が笑いながら、その横でメモ帳を広げる。
「じゃ、オレは“人力ドローン”でメモ担当な。
この星の並びを、ざっくりスケッチしとく」
「データと手書き両方残すのは、まあ悪くない」
ライトを天井に向けると、白い星の点が、梁の間から浮かび上がる。
ぐにゃりと曲がった多角形、直線で結ばれた三つの星の列、
そして、その間を埋めるような細かい点々。
(やっぱり、“何か”を写したって感じの配置だな)
青見は、カメラの画面で拡大し、星と星の間隔を目で追った。
適当に描いた落書きにありがちな「バランスの悪さ」がない。
どの角度から見ても、どこかで見たことのある“空”に見えるのに――
完全には一致しない。
「よし、ひとまず天井はこんなもんでいいか」
コンデジを片づけ、今度は外に出る。
住居のすぐそばには、小さな空き地のようなスペースがあった。
木々の間から、さっきよりは広い空が見える。
「じゃ、本番」
惣一郎が、スマホの星座アプリを立ち上げる。
画面を空に向けると、センサーが働いて、現在の星空と星座線が表示された。
こと座、わし座、はくちょう座。
夏の大三角が、ちょうど南中に差しかかっている。
「こうやって見ると、やっぱ天井のやつ、夏の星図っぽいよな」
「“っぽい”けど、“そのまんま”じゃない」
青見も、自分のスマホで天井の写真を呼び出し、
現実の星空と見比べる。
明るい星の位置関係だけなら、確かに似ている。
けれど――
「角度が、やっぱり変だな」
大三角の一角とおぼしき三つの星。
本来なら、頭上でこういう配置になる時間帯なのに、
天井の図では、もう少し“横倒し”になっている。
「歳差込みで、数百年前の空って線もあるけどな」
「それなら、先輩たちがとっくに検証してるだろ」
惣一郎が、住居の入口にもたれながら、スマホを操作する。
星座アプリの設定を切り替え、過去の年代へ、スライダーをぐいぐい巻き戻す。
「……ほら、紀元前とかに飛ばしても、微妙に合わない」
「そもそも、この峠の緯度・経度で計算してるからな」
青見は、空を見上げた。
星の数は、街で見るより多いが、
それでも“ここ”の空であることに変わりはない。
「やっぱり、“どこか別の場所”の空か」
「この星図を描いた連中が、別の土地から来たか、
ここが今とは違う“場所”だったか、だな」
「もしくは、天井に描いたやつが、バカみたいな想像力の持ち主だったか」
冗談めかして言ってみるが、どちらの声も、少しだけ真剣だった。
やがて、山の夜気がじわじわと体温を奪い始める。
「一回、中で温まるか」
住居の中に戻ると、外に比べて風がないぶん、まだマシだった。
レジャーシートの上に胡坐をかいて、青見が保温ボトルを取り出す。
「言っとくけど、コーヒーしかないぞ」
「望むところだ。徹夜観測のお供はカフェインでしょ」
湯気の立つブラックを、紙コップに注ぐ。
土と木の匂いに、コーヒーの香りが混ざるのは、なんとも妙な組み合わせだった。
「しかしさ」
一口すすってから、惣一郎が天井を指さす。
「オカルト研究会的には、“ここで何か起きてほしい”わけよ」
「そういうことを言うから、ろくなことにならないんだ」
「だってさ、この下、トンネル埋まってんだろ?
そのまた下に、何十年分もの“通り抜けたもの”の名残が溜まってるとしたら――」
「やめろ」
青見が、ほんの少し強めの声で遮った。
「クマより厄介な“何か”の話は、帰ってからにしろ」
「お、ビビってる?」
「安全確認もしてない場所で、変な想像して自分の足すくうのは、ただのバカだ」
「……はい」
惣一郎は肩をすくめ、それ以上の悪ノリはやめた。
代わりに、メモ帳を引き寄せ、さっきのスケッチに書き足しを始める。
「じゃ、真面目モードで。
外の星図のスクショと、天井の写真、
あとで天文部のPCで重ねてみようぜ。
単に角度の問題なのか、それとも――」
「向こう側の“空”なのか、だろ」
「言ってるじゃん、ちゃんとビビらせない方向でさ」
二人の声が、低い天井に反響して、少しかしこまったように聞こえる。
外では、風が梢を撫で、
下のトンネル跡からは、目に見えない空気が、
細いパイプを通って、ゆっくりと出入りしている。
時間が経つにつれて、
天井の白い星々と、外の本物の星が、
だんだんと区別のつかない“模様”に思えてきた頃――
ふいに。
住居のどこかで、「コトン」と、小さな音がした。
「……今の、聞こえたか?」
「風か、枝が落ちただけだろ」
そう言いながらも、
二人とも、同時に天井を見上げていた。
描かれた星の一つが、
ほんの一瞬、
外の星明かりに呼応するみたいに、
わずかに“にじんで”見えた気がした――が。
「……気のせいだな」
「コーヒー、もう一杯いくか」
妙な感覚を、
とりあえずカフェインで上書きすることにして、
二人は再びマグを手に取った。
オカルト研究会兼天文部の夜は、
まだ、始まったばかりだった。
/*/
「……さっきの音、やっぱ気のせいかね」
コーヒーをもう一杯注ぎ足しながら、惣一郎がぼそっと言う。
それきり変な物音もしない。
住居の中も外も、相変わらず虫と風の音だけだ。
「気にするなら、まずクマを気にしろ」
「クマは嫌だなぁ……」
そこでふと思い出したように、惣一郎がポケットからスマホを取り出した。
「そういや時間……って、圏外かよ」
画面左上には「サービスなし」。
アンテナマークには×印。
「マジか。ここ山んなか過ぎるだろ」
「峠の旧道のさらに上だからな。普通の回線はまず届かないだろ」
青見は苦笑しつつ、自分のスマホを取り出す。
掌にずしりと重い、防水・防爆仕様のゴツいタフネススマホ。
画面を点けると、アンテナマークの横に小さく「Starlink」の文字と、数本のバーが立っていた。
――以前、山で電波が完全に途切れ、
スマホも転倒で壊してしまって彩女を本気で心配させたことがある。
あのときの「何処にも繋がらない」感覚と、
家に戻ったときの彩女の顔は、さすがに堪えた。
だからこそ、機種変更のときに、
「空さえ見えればどこでも繋がる」衛星対応のプランと、
多少ぶっ壊しても平気なタフネス機を選んだのだ。
ちょうどその時、軽い通知音が鳴る。
画面上部にメッセージアプリのポップアップ。
――『家にいないけど、どこで何してるの? 惣一郎は一緒?』
差出人:彩女。
「あ」
「どした?」
惣一郎が首をかしげる。
「彩女から。『家にいないけどどこで何してるの? 惣一郎は一緒?』だって」
「早っ!? 別にサボりじゃないし、ちゃんとオカ研活動だし……」
青見は、少し考えてから送信履歴をさかのぼる。
夕方、「オカ研の方でちょっと出る」とだけ送っていた、自分のメッセージ。
目的地はぼかしたままだった。
そこへ、続けざまに別の通知。
彩女の吹き出しの上に、もうひとつ小さなポップアップが重なる。
――『惣一郎くん、連絡つかないんだけど知らない?』
差出人:愛香。
「……なるほどな」
「なにが?」
「愛香から彩女に、"惣一郎知らない?"って連絡行って、
それで彩女からオレに飛んできたパターンだな」
「あー……」
惣一郎は、ちょっとだけ気まずそうに頭を掻いた。
「まあ、圏外だしな。
門限までには戻るつもりだけど、場所が場所だし、
心配されても文句言えねぇか」
「前みたいに"連絡不能で行方不明"になるのは、さすがに二度とやりたくないしな」
青見は、小さく息を吐いてから、彩女への返信を打ち始める。
『三森峠。オカ研兼天文部で張り込み中。
旧道の上の縄文住居のところ。
惣一郎も一緒』
送信ボタンを押すと、少しのタイムラグのあと、ちゃんと「送信済み」と表示が変わる。
衛星回線越しでも、やりとりには十分な速さだ。
続けて、先ほどの愛香からの文面を確認し、
彩女宛てに一行付け足す。
『惣一郎、電波圏外でスマホ死んでるだけ。
こっちは大丈夫だから、心配してたら愛香にもそう伝えといて』
数秒後、返事が来た。
『は? 三森??
帰ってきたら説明してもらうからね。
とりあえず愛香には伝えとく』
文字だけなのに、
若干怒りながらも、ちゃんと心配している彩女の声色が、そのまま聞こえてくるようだった。
「……怒ってる?」
「"ちゃんと帰って来い"ってトーンだな。
まあ、前みたいに本気で行方不明扱いにはなってない」
「なら、よし」
惣一郎は、ほっと胸をなで下ろす。
「戻ったら、愛香にも一応謝っとけよ」
「わかってるって。
"電波入らない山奥でまた失踪しかけたけど、青見のタフネス衛星スマホに救われました"って素直に言うわ」
「変な脚色すんなよ。余計ややこしくなる」
二人は顔を見合わせて、同時に小さく笑った。
外では相変わらず風が木々を揺らし、
星は何事もなくまたたいている。
山の上の縄文住居と、
街中の部屋の灯りと、
頭上の衛星を経由した短い文字列だけが、細い線で繋がっていた。
「よし。
人間関係の方は、とりあえず火消し完了だ」
青見がマグカップを持ち直す。
「じゃあ、オカルトと星の方に集中するか」
「了解。
"クマと圏外よりタチの悪い何か"が出てこない程度にな」
惣一郎の冗談に、
天井の白い星々が、遠いどこかの空から、静かに見下ろしていた。