「それで安心するなら位置情報くらい良いけど」と青見が言った。
「ほらね?」
愛香が、勝ち誇ったみたいに指を鳴らした。
「ほらね、じゃねえよ。なんで当然の流れみたいになってんだよ」
惣一郎が眉をひそめる。
「俺のスマホ代、誰が払うんだよ。スターリンク対応の機種とか、高いんだぞ?」
「惣くんの命」
即答だった。
「……は?」
「惣くんの命がかかってるなら、スマホ代くらい安いもんでしょ?」
さらっと言いながら、愛香は自分のスマホを取り出す。
「ていうかね、昨日みたいな事がまたあったら困るの。圏外で連絡つかないとか、もうやだ」
言われて、三人とも一瞬だけ黙った。
窓の外には、遠く三森峠の稜線が薄く見える。昼下がりの光の下だと、あの夜の冷たい風も、提灯の列も、まるで嘘みたいだ。
「……束縛系彼女ってやつか?」
惣一郎が、わざとらしく肩をすくめる。
「違います。安全管理です」
愛香はむくれた顔で言った。
「彩女ちゃんだってやってるじゃない。青見くんの位置、共有してるでしょ?」
「ちょ、ちょっと待って」
彩女が慌てて身を乗り出す。
「あ、あたしは位置情報までは取ってない……連絡の頻度と、既読の速さだけ……」
「それはそれでこえーよ」
惣一郎が即ツッコミを入れる。
「位置情報か……って今ちょっと興味持った顔すんなよ」
彩女は頬をかきながら、ちらっと青見を見る。
「……そのさ。昨日みたいなことがまたあった時、すぐ行けるなら、あった方が良いのかなって」
「だからこえーって、その“すぐ行ける”って発想が」
「うるさい」
青見は、そんな二人のやりとりを聞きながら、少し息を吐いた。
「オレは別に構わないぞ」
「お、おう?」
「昨日みたいなことが二度とないって保証、誰にもできないしな。ああいう場所に首突っ込む以上、情報は多い方がいい」
そう言って、机の上に自分のスマホを置く。
「ただし、四人全員な」
「四人?」
「オレと彩女と、惣一郎と愛香」
青見は指を折って数える。
「“惣一郎監視アプリ”じゃなくて、“行方不明防止ネットワーク”な」
「名前ダサ」
惣一郎が即座に突っ込む。
「でもまあ……四人なら、まだマシか?」
「そうそう」
愛香が、ぱっと表情を明るくした。
「惣くん専用じゃなくて、みんなで位置情報を共有するの。山とか湖とか行く時だけでもいいから」
「条件付きか」
「放課後とか、勝手に安生道場まで行ってもバレるけどね?」
「なんで道場限定でバラす前提なんだよ」
そんな軽口を叩きながらも、惣一郎は自分のポケットからスマホを取り出した。
画面に映る黒い峠の写真を、無意識に親指でなぞる。
「……でもさ」
「ん?」
「昨日、峠で撮ったやつ。GPSログ、なんか変なんだよな」
惣一郎は、ログの画面を開いて三人に見せる。
そこには、街から三森峠へ向かう、普通の軌跡が記録されている。
ところが――問題はその先だった。
「……え?」
彩女が眉を寄せる。
峠の旧道のあたりから、軌跡が一度ぷつりと途切れ、その少し上空――ありえない高度の点に、ぽつりと位置情報が記録されていた。
「標高……一〇〇〇メートル超えてない?」
「え、何これ。惣くん、飛んだの?」
「飛ぶか。オレはカラスかイタチか」
愛香の声から、笑いが少しだけ抜ける。
「時間もおかしい」
青見が画面をのぞき込みながら言う。
「峠で風が止んだあたりの時刻と……この空中のログ、同じ時間になってる」
「同時刻?」
「“同じ場所じゃないのに、同じ時間”」
愛香が、ぽつりと繰り返した。
部屋の空気が、わずかに冷える。
さっきまで賑やかだった放課後の教室のざわめきが、急に遠くなったように感じられた。
「……だから言ったでしょ」
愛香が、小さく笑う。
「惣くんが、どこかに連れてかれちゃう前に。ちゃんと繋いでおかなきゃって」
その「繋ぐ」が、ただの電波以上の意味を持っていることを知っているのは、この中で彼女だけだ。
「じゃ、決まりね」
愛香は、わざと明るい声を出した。
「この後、アプリ入れて、四人でグループ作ろ。名前は――」
「“三森峠対策本部”とか?」
「それ、ガチっぽくてやめてほしいんだけど……」
笑いとため息が、少しずついつもの日常の温度を取り戻していく。
けれど、惣一郎のスマホの隅には、まだ消えない一つの記録が残っていた。
――山と湖のあいだ、空のどこか。
人が歩くには高すぎる高さに、一つだけ打たれた、小さな現在地のピン。
それは、昨夜あそこで「すれ違った何か」が、
ほんのひととき、惣一郎の世界を“上”へ引き上げていた証拠なのかもしれない。
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「おもしれぇ。愛香じゃなくて青見といると巻き込まれるのか!」
惣一郎が、ケラケラ笑いながら言った。
「惣くん!」
名前を呼ぶ声が、思った以上に鋭くて、自分でもびくっとするくらいだった。
教室の空気が、一瞬だけ止まる。
「……なに、その楽しそうな言い方」
愛香は、ぎゅっと自分のスマホを握りしめる。
「"巻き込まれるのか!"じゃないよ。ホントに危なかったんだよ、昨日」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
惣一郎が、頭をかきながら笑う。
「でもさ、オレさ、これまで"見る側"だったんだよ。オカ研でも、怖い話集めてニヤニヤしてる側」
「うん」
「それがさ、青見と一緒にいると、なんか"本編"にいる感すんだよな。画面の向こうじゃなくて、現場。……ちょっとワクワクするっていうか」
「バカ」
先に口を挟んだのは彩女だった。
「命の心配してるこっちの身にもなって」
腕を組んで、じろっと睨む。
「"ワクワクする"とか言ってるうちは、まだ観客なんだって自覚しなよ。あんたが"本編側"になったら、普通に死ぬこともあるんだから」
「うっ」
惣一郎が言葉に詰まる。
「オレも別に、巻き込みたくて巻き込んでるわけじゃないんだけどな」
青見が、苦笑しながらぼそっと言う。
「……でも、あの峠でオレ一人だったら、途中で折れてたと思うし。惣一郎がいてくれて助かったのは本当だ」
「そ、そう?」
惣一郎が少し照れたように笑う。
「ほら愛香、主役がそう言ってんだから、相棒ポジションとしては――」
「――だからって、死にそうになっていい理由にはならないよ」
愛香が、ぴしゃりと遮る。
さっきより低い声だった。
「惣くんはさ」
ことり、と机の端に自分のスマホを置いて、その隣に惣一郎のスマホも引き寄せる。
「"本編"にいるとか、いないとかじゃなくて……わたしの"日常"にいてくれればそれでいいの」
「……」
「オカ研で怖い動画見てビビって、ラーメン食べて、宿題サボって……そういうの、ずっと続く方がいい」
愛香は、視線をスマホから上げないまま続ける。
「だから、位置情報とか、コース変更とか、スターリンクとかで"繋ぐ"の。巻き込まれるんだったら、せめて見失わないように」
惣一郎が、口を半開きにしたまま黙った。
「……え、なに今の、ちょっと良いこと言った?」
彩女が、気恥ずかしさをごまかすみたいに口を挟む。
「なんかラブコメっぽかったんだけど」
「うるさい」
愛香が、彩女にだけは即ツッコミを入れる。
そのやりとりを見て、青見はふっと息を吐いた。
「じゃあ、決まりだな」
「……なにが?」
「惣一郎、"巻き込まれる楽しさ"は否定しないけどさ」
青見は、指で机をこん、と軽く叩く。
「それを味わいたいなら、"死なない準備"も一緒にやれ。位置情報共有も、装備の一つ。安全靴とかヘルメットみたいなもんだと思え」
「装備、ねぇ……」
惣一郎は、スマホの画面を見下ろす。
そこには、さっき入れたばかりの位置情報共有アプリのアイコン。
「じゃあさ」
少しだけおどけた声で続ける。
「"三森峠対策本部"の最初の任務は――」
「だからその名前はダサいって」
「――"俺が変なとこに飛んだら、即通報&全員突撃"ってことでどうよ」
「……それはそれで嫌なんだけど」
彩女が眉を寄せる。
「なんで前提が"飛ぶ"なのよ。普通に歩きなさいよ」
「普通に歩いてあれだったんだよなぁ」
惣一郎が、妙に真面目な顔で天井を見上げた。
窓の外では、夕陽が傾きはじめている。
三森峠の稜線は、さっきより濃い影になって、その向こうに何があるのか、もう目では見えなくなっていた。
「……惣くん」
愛香が、小さく呼ぶ。
「ん?」
「ワクワクするのは、止めろって言っても止めないの、知ってる」
わずかに笑って、それでも真剣な目で。
「だからせめて、"怖がるのも忘れないで"」
「……おう」
惣一郎は、少しだけ真面目な声でうなずいた。
「怖いってことは、生きて帰りたいってことだもんな」
「そうそう」
青見も、どこか納得したようにうなずく。
「だったら、これからもちゃんと怖がりながら、巻き込まれてくれ」
「ひでぇな主役の台詞」
惣一郎は笑いながら、アプリの「共有開始」のボタンをタップした。
――ピコン、と小気味いい音が鳴る。
画面上に、四つのアイコンが、ひとつの円の中で重なり合った。
それはまだ、郊外のどこにでもある高校生の"グルチャ"にしか見えない、小さな輪。
けれど、三森峠の旧道で、時代と時代のあいだをすれ違った何かは、
その輪の中に灯った四つの光に、ゆっくりと視線を向け始めていた。