なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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ヒロイン、なんて柄じゃないけど

 

 

 その晩、わたしはまっすぐ家に帰らず、隣ではなく、もう一つ先の家――伊東惣一郎の家のチャイムを押した。

 

「はーい……って、彩女? どしたの、物騒な顔して」

 

 ドアを開けた惣一郎が、出会い頭に変なことを言う。

 

「物騒って何よ。普通の顔でしょ」

 

「いやいや、目が“人を埋める場所を検討してるモード”なんだが」

 

「ちょうどいいわ。反省会よ」

 

「やっぱ物騒じゃねぇか」

 

 玄関まで聞こえていたらしい声に続いて、

 

「入っていいよー、彩女ちゃん」

 

 と、奥から愛香の声がした。

 部屋に入ると、ローテーブルの上には参考書とノートが広がっていて、その向こう側に愛香が座っている。どうやらテスト前の勉強会の真っ最中だったらしい。

 

「ちょうどいいところに来たわね。お茶いれるから座って」

 

「……ちょうどよくはないけど、座る」

 

 鞄をおろしてどさっと座ると、惣一郎がじとっとした目を向けてきた。

 

「で、反省会って俺が反省する会?」

 

「当たり前でしょ」

 

「心当たりが多すぎてどこから土下座すればいいか分かんねぇんだけど」

 

「まず一つ。貴也さんから“友達が心配してるだろうから、東くんのこと伝えてね”って頼まれてた件」

 

「あ」

 

 惣一郎の顔に、見事なくらい分かりやすい「あ」が浮かんだ。

 

「“あ”じゃないわよ、“あ”じゃ。忘れてたでしょ」

 

「いや、その……正確には、“うんうん”って聞いてたけど、脳内のメモ帳に書き込む前に別の話題が……」

 

「つまり忘れてたのよね?」

 

「はい」

 

「正直でよろしい。減刑の余地はないけど」

 

「ないの!?」

 

 惣一郎が頭を抱える横で、愛香が湯呑みを三つ並べながらくすっと笑った。

 

「でもさ、結果的には自力で病院行ったんでしょ? 彩女ちゃん」

 

「……まあね」

 

「ならセーフじゃない? ノーアウト満塁から、なんとか一点で抑えたくらいの感じ」

 

「それ、ほぼ炎上寸前なんだけど?」

 

 惣一郎の抗議はスルーして、わたしは湯呑みに口をつけた。ほっとする温度が、ちょっとだけ苛立ちを薄めてくれる。

 

「でもさぁ」

 

 と、愛香がこちらを見てニヤニヤする。

 

「“友達が心配してるから伝えてあげて”って言われるくらい、青見くんのことで心配そうに見えてた、ってことでしょ? 彩女ちゃん」

 

「……まあ、心配はしてたわよ」

 

「“まあ”じゃないよね?」

 

「うるさい」

 

 勢いで返してから、わたしは本題を叩きつけることにした。

 

「でね。今日、病院で」

 

「うん」

 

「――三森玲子が来たわ」

 

 その名前を出した途端、部屋の空気がぴたりと止まった。

 

「……ああ、カモノハシちゃんか」

 

 最初に反応したのは惣一郎だった。

 

「“ちゃん”付けやめてくれる?」

 

「え、なんで?」

 

「なんとなくムカつく」

 

「理不尽だなぁ!?」

 

 惣一郎が悲鳴を上げるのを横目に、愛香の方を見る。

 

「彩女ちゃん、直接会ったんだ」

 

「うん。中学の制服で、髪おさげの、小さい子。利発そうな目してて……」

 

 説明しながら、さっきの光景が頭に浮かぶ。

 おさげが揺れて、制服の袖口をきゅっとつまむ手。

 “覚悟決めて来た”顔。

 

「命、助けられたからお礼がしたくて、って。丁寧に頭下げて。東さん東さんって、“恩人”を見る目で」

 

「ふむふむ」

 

 愛香が相槌を打つ。惣一郎は腕を組んでうんうん頷いている。

 

「で、安達さんにもご挨拶しなさいって貴也さんに言われたらしくて、こっちにも“いつもお世話になってます”って」

 

「ふむふむ」

 

「わたし、“勝手に怪我して勝手に入院してるだけだから”って返した」

 

「ふむふ……って、それはそれでどうかと思う」

 

 惣一郎がツッコむ。

 

「で、問題はここからよ」

 

 湯呑みをテーブルに置いて、指でこんこんと軽く叩く。

 

「……あの子、間違いなく青見のこと好きよ」

 

 惣一郎が「ほう」と声を漏らし、愛香が「やっぱり」と笑った。

 

「やっぱり?」

 

「いや、だってさ。命救ってくれた相手でしょ? しかも、今までろくに他人との繋がりなかった子が、“初めてちゃんと助けてくれた人”ってなったら、そりゃ恋愛感情と感謝の線、簡単に混ざるよね」

 

 さらっと分析されて、胸のあたりがざわつく。

 

「で、彩女ちゃんは?」

 

「なにが」

 

「どう思ったの、その“玲子ちゃんは青見くんのこと好きだな”って気づいた瞬間」

 

「別に」

 

「別に、ねぇ」

 

 愛香の口元が、分かりやすく釣り上がる。

 

「ただ、ちょっと“気が気じゃなかった”だけ?」

 

 ドキッとした。

 

「……なんで知ってるのよ」

 

「顔に書いてある。あと、たぶん心の中では“やっぱり来たかこのパターン”って思ってたでしょ?」

 

「図星すぎてイラッとする」

 

 わたしが唸ると、惣一郎が口を挟んだ。

 

「でもまあ、あれだろ。命の恩人→好意ルートは、ある意味“仕方ないやつ”じゃね?」

 

「仕方なくてもイラッとはするんだけど?」

 

「お、出た本音」

 

「うるさい」

 

 惣一郎にクッションを投げつけると、ナイスキャッチされた。

 

「ここで確認だけどさ」

 

 愛香が、わざとらしく真面目な声を出す。

 

「彩女ちゃんは、青見くんのこと“どうでもいいクラスメイト”だと、まだ本気で思ってる?」

 

「“まだ”って何よ、“まだ”って」

 

「だってさ。どうでもいい相手のために、一週間毎日病院通って、部屋の鍵預かって、ノートPCだの着替えだの持ってって、ナースステーションで“彼氏さん喜ぶわよ?”って言われながら通ってるんだよ?」

 

「……それは、その」

 

「それは?」

 

「放っておけないからで」

 

「放っておけない、ね」

 

 言い直されるたびに、胸の奥をくすぐられているみたいで落ち着かない。

 

「それに、あの子――玲子。あの子も放っておけない感じだったし」

 

「ほう?」

 

「なんか、“ここに来るまで相当勇気振り絞ってきたんだろうな”って顔してて」

 

 思い出す。

 袖をぎゅっと握ってた指先。

 でも、目だけは前を向いていたこと。

 

「だからこそ、余計にモヤモヤするのよ」

 

「自分も放っておけない。玲子ちゃんも放っておけない。で、その真ん中にいるのが青見くん」

 

 愛香が、テーブルの上でペンを三本並べる。

 一本目に「玲子」、二本目に「彩女」、真ん中のキャップを少しずらしたやつに「青見」と落書きして。

 

「はい、ここに見事な三角形の完成です」

 

「その図解やめてくれる!?」

 

 ペンを掴もうとして、愛香に先に避けられた。

 

「でもさ、ラブコメとしては王道進行だよねぇ」

 

 惣一郎が、のんきな声で言う。

 

「幼なじみポジション(※隣の家、鍵預かり、通院担当)がヒロインAで、命の恩人絡みで登場する年下系がヒロインB。

 で、真ん中の鈍感男は状況に気づかず日和ってる、と」

 

「解説いらない」

 

「しかもこの場合、鈍感っていうより“本当に別の怪異のことで頭いっぱいでした”だから、余計にタチ悪いんだよな」

 

「そこはちょっと同情するかな」

 

 つい口を滑らせて、慌てて言い直す。

 

「――いや、同情はしない。説教はする」

 

「ブレるなぁ、彩女ちゃん」

 

 愛香が楽しそうに笑う。

 

「で、どうするの?」

 

「何を」

 

「玲子ちゃん。あの子、これからもお見舞い来るよ。たぶん。

 その度に彩女ちゃん、ナースステーションの話題ランキング1位に“セット”で載るけど?」

 

「マジでやめてほしい、そのランキング」

 

 頭を抱えたくなる。

 看護師さんたちの「三角関係かしら?」の声が、脳内でリピート再生される。

 

「……別に、戦うとかそういうのは考えてないわよ」

 

 しばらく黙ったあと、そう言った。

 

「青見の気持ちも、玲子の気持ちも、たぶんまだぐちゃぐちゃだし。

 わたしが勝手に“こっちが正妻”みたいな顔しても、余計ややこしくなるだけでしょ」

 

「正妻って言っちゃったね今」

 

「言ってない!」

 

「言ったよね?」

 

「言ってないって言ってるでしょ!」

 

 惣一郎がソファの背もたれに頭を打ちつけて笑っている。

 

「じゃあ、彩女ちゃんは?」

 

 愛香が、もう一度だけ穏やかな声で聞いてくる。

 

「何をするか、じゃなくて。どう“いたい”の?」

 

 どう、いたいか。

 

 質問の意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。

 

 ――病室で笑ってる、青見。

 ――袖を握りしめながら頭を下げる、玲子。

 ――ナースステーションの前で「彼氏さん?」と笑う看護師。

 

 全部まとめて思い浮かべて、わたしは小さく息を吐いた。

 

「そうね」

 

 言葉を選んで、ひとつずつ置いていく。

 

「……“放っておけないクラスメイト”のまま、かな」

 

「“のまま”、ね」

 

「それ以上かそれ未満か、決めつける気は、まだない。

 でも、“放っておけない”って言葉にだけは、責任取るつもり」

 

 それが、今出せる精一杯の答えだった。

 

「ふーん」

 

 愛香が満足そうに微笑む。

 

「じゃあ、ヒロインAとして、ちゃんと席は確保しておくわけだ」

 

「その言い方やめてってば」

 

 と言いつつ、心のどこかで、その言葉に救われている自分がいた。

 

 ――ヒロイン、なんて柄じゃないけど。

 でも、「放っておけない」と言い切った以上、逃げないでいる。

 それくらいなら、わたしにもできる気がした。

 

 

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