昼休みのチャイムが鳴り終わって、まだ数分。
2年C組の教室前の廊下で、五人が輪になっていた。
「じゃ、ルール説明」
英が、なぜか真剣な顔で指を立てる。
「昼休みが終わるまでの二十分。
校舎内と中庭のみ使用可。階段の手すり・渡り廊下・ベンチの背もたれは“足場”として使用可。
立ち入り禁止エリアと屋上は当然NG。破壊行為もダメです」
「待て、さらっと“手すり使用可”って言うな」
青見が眉をひそめた。
「普通そこNGだろ」
「都市環境での機動力訓練だと思ってください。
ちなみに鬼は――」
「ボクがやります」
勇吾が即答した。
「皆さんの動きを観測したいので。捕まえたら“鬼交代”で」
「パルクール鬼ごっこってやつだな?」
惣一郎がニヤニヤしている。
「昼飯の後にはちょっとハードじゃねぇ?」
「文句言うなら今のうちだぞ」
青見は、ジャージの上着を脱いで腰にくくりつける。
短くした前髪を指で払い、足首を回して準備運動。
「で、お前は?」
最後に視線が向いたのは彩女だ。
今日も制服スカート。
その下には、ちゃんと黒いスパッツが覗いている。
「……あたしもやる。
どうせあとで体操の練習あるし。アップ代わり」
「スカートなのに良いのか?」
「ちゃんとスパッツ履いてるし。見せパンみたいなもんよ」
彩女はキッと睨み、ぐっと脚を上げてその場で前蹴り一発。
布の張り具合からして、いつでも全力で走る気満々だ。
「よし、じゃあ――」
英が腕時計を見る。
「昼休み残り、十九分。スタート地点はここ。鬼は火鳥くん。
合図と同時に、皆さん全力で散ってください」
「捕獲率100%を目指します」
勇吾が意味不明な宣言をした瞬間。
「はい、スタート」
英が軽く手を叩いた。
次の瞬間。
「んじゃ、お先」
青見が、廊下の窓枠を蹴って一気に加速した。
「ちょ、おい!」
惣一郎の悲鳴を置き去りにして、MTBどころかトラック並みのストライドで廊下を駆ける。
そのまま、角の支柱に手を掛けて体を回転、階段の手すりに両足を乗せて一気に滑り降りた。
「うわ、やっぱりやった!」
英が頭を抱える。
「手すり滑り禁止って言いましたよね!?」
「言ってねーよ!」
惣一郎も走り出しながら叫んだ。
その横を、ぴょん、と軽い足取りで彩女が抜いていく。
「廊下走るなー!」
「先生に言われる前に終わらせるの!」
彩女は、出入り口のドア枠を蹴って方向転換し、その勢いのまま廊下の腰壁を二歩駆け上がり、窓側のレールに片足を掛けて飛び降りる。
体操全国レベルの身体が、制服のまま縦横無尽に跳ね回る光景。
たまたま通りかかった一年生たちが、ぽかんと口を開けた。
「なに、今の……」
「二年のC組だろ、またかよ……」
一方で。
「では、捕まえに行きますね」
勇吾は、ほんの少しだけ膝を曲げただけだった。
次の瞬間――廊下の床を蹴った足が、常識外の加速度で弾んだ。
一直線に伸びた軌道。
壁に片手を当て、二歩三歩と走り、そのまま廊下の掲示板の上を“踏み台”にして跳ぶ。
ふわり。
昼休みの喧噪の中に、ひときわ高い「影」が踊った。
「重力係数、ちょっと下げすぎましたかね」
本人は淡々としている。
その足が着地したのは、さっき青見が滑った階段の踊り場、手すりの外側ギリギリだった。
《火鳥くん、ほどほどにしないと普通にバレますからね!?》
英の叫びが、スマホ越しに飛ぶ。
《了解です。“人間基準の範囲”に収めます》
「もう遅いわよ……」
息を切らせながら後を追う英は、階段の途中で既に数人の生徒とすれ違いざまに会釈を繰り返していた。
「すみません通ります、廊下走らないでください本当は。
はいあなたたちも教室戻って――あ、火鳥くん待って!」
階下の廊下。
購買前。
「ひゃっ!?」
パンを買い終えて出てきた七海が、ものすごい勢いで曲がってくる影を見て悲鳴を上げた。
「ごめん七海!」
その影――青見は、七海のすぐ脇の壁に手をつき、そのまま壁を蹴って逆側に跳ぶ。
ついでのように、購買前の長椅子の背もたれを“踏み台”にして再加速。
「東くん!? 何やってんの!?」
「鬼ごっこ!」
「説明になってないから!」
七海の悲鳴混じりのツッコミを置き去りに、青見は渡り廊下へと突っ込んでいった。
中庭側では、別の惨状が展開されていた。
「待て惣一郎!」
「待たねぇよ!」
惣一郎が、花壇の縁をステップ代わりにして走る。
その後ろを、彩女が軽々と飛び越えてくる。
制服スカートがふわりと広がるが、その下はしっかりスパッツ。
本人は一切気にしていない。
「そっち行き止まり!」
「知ってる!」
惣一郎は、壁際のエアコン室外機に飛び乗り、その上から手すりを掴んで横移動。
彩女も、ほぼ同じルートをトレースしてくる。
「アンタ、よくそれで体力持つわね!」
「ゲームでイメトレ済みだからな!」
「それ持久力関係ないから!」
中庭を横切る渡り廊下の上では、勇吾が涼しい顔でこちらを見下ろしていた。
「お二人とも、動きのパターンが読めてきました」
「だからそういうこと言うなっての!」
惣一郎が悲鳴を上げた瞬間。
勇吾は、渡り廊下の手すりを軽く跨ぎ、そのまま芝生へと飛び降りた。
着地の瞬間、膝を柔らかく使って衝撃を殺す。
ほとんど音も立てずに、惣一郎のすぐ横へ滑り込んだ。
「捕獲」
「ひょえっ!?」
肩にそっと触れられた瞬間、惣一郎の足が止まる。
「じゃ、鬼交代でお願いします」
「お前、マジで重力どうなってんだよ……」
惣一郎は肩で息をしながら、うなだれた。
「よし、次はお前らを狩る番だな……!」
「いや、その顔で言うとホラーだからやめろ」
そんな混沌が、校舎のあちこちで同時多発的に起きていた。
廊下で突然上を走る足音。
窓の外を横切る影。
渡り廊下の手すりの上を走る誰か。
各クラスから、悲鳴とも笑いともつかない声が上がる。
「何あれ」「スタント?」「撮影でもしてんの?」
「いや、あの体格、東じゃね?」
「火鳥もいたって」「2C、またなんか始めたの?」
そして――昼休み終了まで、残り五分。
チャイムが鳴るより一足早く、その場に雷が落ちた。
「――あーたーたー!」
甲高いのに、腹の底まで響く声。
中庭にいた四人(勇吾はとばっちりで含めて五人)が、一斉に硬直した。
振り向くと。
渡り廊下の端に、腕を組んだ篠原 結が立っていた。
身長は百三十八センチ。
だが、その存在感は、さっきまでの怪異級の跳躍よりもよほど強烈だった。
「昼休みに校舎でパルクール大会なんて、誰が許可しましたか」
足音も荒く、階段を下りてくる。
スーツの裾をばさっと払って、中庭に降り立った結先生は、順番に顔を見回した。
「東くん」
「……はい」
「火鳥くん」
「はい」
「氷室くん」
「はい……」
「伊東くん」
「はい……」
「安達さん」
「……はい」
「全員、あとで職員室ね」
有無を言わせぬ口調だった。
「説明、しても?」
英が恐る恐る手を挙げる。
「“説明が必要なことをした”って自覚はあるんですね? えらいえらい。じゃあ、なおさら職員室で聞きます」
「ぐぅの音も出ない」
惣一郎がうめいた。
「廊下は走らない。手すりは滑らない。窓枠は足場じゃない。
中庭の室外機は遊具じゃない。渡り廊下の手すりは歩道じゃない」
結先生は、一本一本指を折りながら数えていく。
「あと、安達さん」
「な、なに」
「スカートで壁駆けするのはやめましょうね。スパッツ履いてても。
“そういう問題じゃない”っていうのを、家庭でもちゃんと話しておいてください」
「……はい」
彩女は、さすがに肩を落とした。
青見が、横目でちらりと彼女を見る。
(でも、ちゃんとスパッツ履いてきたの、えらいよな)
そう思ったことは、さすがに口には出さない。
結局。
昼休みが終わるチャイムと同時に、五人は揃って職員室に連行され、
「校舎の設備はパルクール練習場ではありません」という極めてまっとうな説教を、十五分ほど受けることになった。
だがその一方で。
結先生は最後に、ため息をつきながらもぼそっと付け足した。
「……君たちの身体能力と連携力が、もし全部“良い方向”だけに向いてくれれば、学校としてはすごく心強いんですけどね」
その一言に、五人は顔を見合わせて、こっそり笑うのだった。