/*/ 画面の向こう・家と体育館 /*/
◆ 安達家リビング・夜 ◆
晩ごはんが終わって、食器もひと通り片づいた頃。
「彩女ー、ちょっとこっち来なさい」
キッチンから、お母さんの声が飛んできた。
「なにー? また皿洗い残ってた?」
彩女は、麦茶のコップを片手にリビングへ顔を出す。
テレビには、見覚えのあるサムネイル。
【公式】私立逢瀬学園プロモーションムービー「自由な丘へようこそ」
その下に、再生バーが半分ほど進んだ状態で止まっている。
「……見つけるの早くない?」
「そりゃあ、保護者ラインでガンガン流れてきたもの」
お母さんは、リモコンをひょいと持ち上げた。
「“あら安達さんとこの娘さん、よく動くわねえ”って。
“あれでうちの子送り込んで大丈夫かしら”って相談まで来たわよ」
「余計なお世話だわ……」
彩女は頬をかきながら、ソファの端に腰をおろす。
画面の中では、ちょうど中庭のシーン。
花壇の縁を蹴ってステップを刻み、壁を二歩駆け、レールに足を掛けて飛び降りる自分が映っていた。
ふわりと、スカートが広がる。
そのすぐ下で、太腿にぴたりと沿った黒いスパッツが画面を守る。
「……ちゃんと映ってんじゃない」
お母さんが、感心したようにうなずいた。
「何が」
「インナー」
あっさりと言われて、彩女は思わずむせた。
「な、何その言い方」
「いやだってさ」
お母さんはリモコンで、そこだけ数回巻き戻し再生しながら言う。
「スカートであれだけ動いて、この角度で映って、
“黒以外なにも見えません”なの、完璧じゃない」
「スローで見るな!」
彩女は、思わずクッションを投げつけた。
クッションは、お母さんの肩にぽすっと当たって落ちる。
「昔さー」
お母さんは気にした様子もなく、画面を眺め続ける。
「あんた、小学生の頃なんか、ちょっとでもスカートひらっとなりそうだとすぐジャージ履いてたじゃない。
“いやだー足出したくなーい”って」
「言わないでよ、そういう黒歴史」
「それが今じゃ、ちゃんと“見せないための準備してから”好きに跳んでるんだから。
成長したわねえ、うちの娘」
からかうような口調だけど、その目はどこか誇らしげだった。
「……まあ」
彩女は、少しだけ視線をそらす。
「さすがに、全国の体操仲間にまでパンツ晒すのは御免だからね。
インナーくらい、ちゃんとするわよ」
「そうそう。
“自由”と“配慮”はセットでね」
お母さんは、そこで一時停止ボタンを押した。
画面の中。
着地の直前の自分が、宙に浮かんだまま止まる。
脚のライン。
体幹の位置。
手の振り。
彩女自身も、思わずじっと見入ってしまう。
「……なにニヤついてんの?」
「ニヤついてない」
即座に否定したが、
口元がわずかに緩んでいるのは、自分でも分かっていた。
「技じゃないのに、“体操の脚”してるわ」
お母さんがぽつりと言う。
「床の一歩目より、楽しそうな足してる」
「……そりゃあ」
彩女は、テレビから視線を外して、コップの麦茶を一口飲んだ。
「床は“失敗したら終わり”だけどさ。
これは、ただの鬼ごっこだもん」
その一言に、お母さんはふっと笑う。
「ただの鬼ごっこ、ねえ」
もう一度再生ボタンを押すと、画面の中で青見たちがフレームインした。
廊下を駆ける長身の男子。
中庭で逃げ回る惣一郎。
芝生にふわっと降り立つ勇吾。
その中を、彩女がスカートと黒スパッツで跳ね回る。
「……にしても」
お母さんが、わざとらしく咳払いした。
「“あの東くん”と一緒に全国配信されるなんて、なかなかじゃない」
「配信って言うな」
「これ見て“あらお似合いねえ”って言ってきたママ友の名前、リストアップしとこうか?」
「やめて!? そういう黒リストいらないから!」
彩女はクッションを胸に抱え込んで、ソファに沈み込んだ。
テレビの中では、あのテロップがきらりと光る。
≪特殊な訓練を受けた生徒が安全に配慮して行っております。一般生徒は真似竹刀で下さい≫
「……まあでも」
お母さんが、最後にもう一度だけ言った。
「スカート履いて、ちゃんとスパッツ入れて、それでもあんだけ跳べるなら。
あんた、自分の脚のこと、“悪くないな”くらい思ってもバチ当たらないと思うよ」
「……ちょっとだけ、ね」
そう返した彩女の声は、
テレビの音より、ほんの少しだけ小さかった。
◆ 体操クラブ・練習後のロビー ◆
「おーい安達! お前、公式デビューしてんじゃん!」
週末のクラブ練習が終わったあと。
ストレッチマットの片づけを終えてロビーに出たところで、先輩の声が飛んできた。
ソファの前のテーブルに、タブレットが一台。
画面には、さっきと同じ逢瀬学園の動画。
ちょうど、中庭シーンの手前で一時停止になっている。
「ちょ、待って。なんでそれ知ってるの」
「体操クラスタなめんな」
同じクラブの子が、タブレットを指さす。
「公式チャンネルのコメント欄に“見た事ある気がする”って流れてきたから、
動画開いたら、どう見ても安達だった」
「やめてよ……」
そう言いつつも、彩女は自然と画面へ歩み寄っていた。
「ほら、ここからここ」
再生ボタンが押される。
廊下を駆けるカットを挟んで、中庭。
花壇の縁を蹴り、壁二歩駆け、レールから飛び降りる自分。
「フォームそのまんまじゃん」
先輩がにやっと笑う。
「床の一歩目の、“あの感じ”。
制服着ててもバレバレだよ、安達」
「制服でやるな制服で」
別の子が、呆れと admiration 半々の声を上げる。
「てかスカートで壁二歩駆けしてんの、正気?」
「黒スパッツだからセーフです」
彩女は、わざとらしく胸を張ってみせた。
「見ろよちゃんと、どの角度からでも黒しか映ってないから」
「そういうとこだけプロ意識高いな」
笑いが起きる。
だが、クラブのコーチは真顔でうなずいた。
「インナーの方針としては満点ね。
脚線も出すぎず、動きも殺してない」
「コーチ、そういう評価の仕方やめてください」
彩女は、耳まで赤くなった。
「でもさ」
隣の子が、タブレットの画面を指でなぞりながら言う。
「こうやって見るとさ、安達、ほんと“足”で分かるんだよね。
ジャンプの入り方とか、着地の前の溜めとか」
「うちのクラブ、だいたい足で選手判別するよね」
「顔じゃなくて足っていうの、どうなんですかね……」
そんなやり取りの中――
画面が、ふと別のカットに切り替わった。
渡り廊下を駆ける長身の男子。
中庭で追いかけっこする男の子たち。
その横を、彩女が黒スパッツで跳ね回る。
「で、これが噂の、“剣道の彼”?」
先輩が、わざと何でもない風を装って聞いてくる。
「……クラブ内で噂回すのやめてくれない?」
「いやいや、前から有名だからね?」
別の子が、にやにやしながら割り込んだ。
「体育館の2階通路、いつも同じ時間にうろうろしてる長身の男子。
“あれ安達の見張り番じゃない?”って、みんな言ってたじゃん」
「見張り番て」
「ほら、あったじゃん」
別の子が、思い出したように手を叩く。
「クラブ※投げつけ事件」
「ちょっと待って、それ名前ついてんの?」
※体操用クラブ(棒状のあれ)です。
「覚えてる覚えてる」
先輩が笑いながら身振りを交える。
「安達がクラブの投げ練しててさ、タイミングずれて、2階通路の方にすっ飛んでったやつ。
ガラスの手前で、東くんが顔面キャッチしたやつ」
「やめて思い出させないで……!」
彩女は頭を抱えた。
「あれ避けたら、ガラス割れてたからね?」
コーチまで、若干おかしそうに口をはさむ。
「普通の子なら反射でよけるところを、
あの子、毎回ちゃんと“受けて”止めてたんだから。
最初の一回だけじゃないわよ、あれ」
「そうそう。何回かあったよね」
「安達が勢いよく投げて、軌道ミスって、
→ 二階通路のガラス方向
→ 東くん、顔面 or 胸板でキャッチ
→ 『……だいじょうぶ、ガラス無事』って顔してた」
「愛だよねー」
とんでもないまとめ方をされて、彩女は真っ赤になった。
「あれはただの事故でしょ!? ていうか、毎回律儀に喰らわなくていいからねアイツ!」
「いやー、“避けたらガラス割れるから”って判断してるの、
だいぶ守る方向に脳みそ使ってると思うけど?」
「顔面で守るのやめてほしいんだけど!?」
ロビーに笑いが広がる。
「しかもさ、そのあと毎回ちゃんと、
『安達、大丈夫か』ってこっちに声かけてたじゃん。
鼻赤くしながら」
「そうそう。あれ見て、“あーこれは相当だな”って思った」
「なにが“相当”よ!」
彩女は、タブレットを奪う勢いで手を伸ばしてから、
ギリギリのところでこらえて、ふっと息を吐いた。
「……あいつ、鈍いくせにそういうとこは妙にマジなんだよね」
小さくこぼした一言に、先輩がにやりと笑う。
「ほら、やっぱり“剣道の彼”って言われて怒らないじゃん」
「怒ってるからね!? 今けっこう怒ってるからね!?」
わちゃわちゃと騒ぐ声をよそに、
タブレットの中で動画はラストに向かって進む。
例のテロップが映し出される。
≪特殊な訓練を受けた生徒が安全に配慮して行っております。一般生徒は真似竹刀で下さい≫
「……“特殊な訓練を受けた生徒”って」
コーチが、ため息まじりに言った。
「本当に怪我したら、うちにも話飛んでくるんだからね。
ほどほどにしなさいよ、安達」
「はーい」
彩女は、素直に返事をする。
その声色には、
注意されて少し居心地悪いような、
でもどこか嬉しそうな響きが混じっていた。
画面の中の自分は、
黒いスパッツをきっちり覗かせながら、
制服のまま、今日も元気に跳ね回っている。