退院の日は、やけに空がまぶしかった。
一週間ぶりに病院の玄関から外に出た青見は、眩しそうに目を細めて、大きく背伸びをした。
「……うん。外の空気、うまい」
「入院してた人、みんなそれ言うよね」
そうツッコみながらも、わたしも同じように大きく息を吸い込んだ。
消毒液の匂いじゃない空気は、やっぱりちょっとだけ、特別に感じる。
「じゃ、快気祝いってことで」
惣一郎が、いつもの軽い調子で手を叩いた。
「街、出るぞ。遊ぶぞ。財布の紐はいったん忘れろ」
「そっちは忘れちゃダメでしょ」
愛香が笑いながら肘で小突く。
「今日のプランはね……まず“木馬”でお茶して、そのあとゲーセン、カラオケ。鉄板コースです」
「木馬?」
わたしが首を傾げると、惣一郎が胸を張った。
「俺のお気に入りの喫茶店。ちょっと路地入ったところにある、隠れ家的な名店なんだよ。落ち着いた雰囲気でさ」
「へー。オシャレ路線じゃん。似合わない」
「最後まで聞け。女性店員のシックな制服が、いい」
「ああ、そういうことね」
納得したわたしと、呆れた表情で頷く愛香。
青見は「ブレねぇな、お前」とぼそっと言った。
そんなわけで、四人で駅前の商店街へ繰り出すことになった。
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「木馬」は、本当に少し分かりにくいところにあった。
商店街の大きな通りから一本外れた路地を入った先、古いレンガ造りの建物の一階。
木馬の形をしたアイアンの看板がぶら下がっている。
「ほら、ここ」
惣一郎が先頭でドアを押すと、カラン、と鈴の音が鳴った。
中は、外から見た印象より広い。
落ち着いた木目のテーブルと、深い色のソファ。
ほんのり暗めの照明に、静かなピアノジャズが流れている。
カウンターの向こうで「いらっしゃいませ」と笑った女性店員さんは、濃紺のベストに白いシャツ、タイトスカートという、クラシックなスタイルだった。
(……確かにシックで似合ってるけど)
わたしは横目で惣一郎を見た。
やつはというと、店員さんを一瞥したあと、わざとらしく視線を天井に向けている。
すでに挙動が怪しい。
「二名さまですか?」
「えーと、四人なんですけど、もう二人来るんで。先に二人、入っときます」
と、惣一郎と愛香は先に店内へ。
わたしと青見は、その前に少しだけ別の用事を済ませるため、コンビニに寄ることになっていた。
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約束の時間から五分遅れで、「木馬」のドアを開ける。
「いらっしゃいませ」
店員さんに案内されて、奥のボックス席へ。
すでに座っていた惣一郎と愛香が、同時に顔を上げた。
「お」
「来た来た」
そして、口を揃えて言った。
「「デートだよな」」
「デートだよね」
「なによ」
反射的に噛みつくと、向かいの青見が「いや、俺も今ちょっとそうかなと思った」と小声で言った。
「二人は?」
疑いの目で見てやると、
「デートだが」
惣一郎が即答した。
「強い」
わたしと青見の感想がハモる。
愛香はただニコニコして、メニューを開いていた。
「ほらほら、頼むもの決めよ。ここのケーキ、彩女ちゃん好きそうだと思ってたんだ」
メニューを覗き込むと、ショートケーキ、チーズケーキ、ガトーショコラ、季節のタルト。
どれも写真からしておいしそうで、胃袋が鳴きそうになる。
「……ガトーショコラ」
悩んだ末の即決だった。
「男は珈琲。女は紅茶。ケーキは彩女に任せる」
惣一郎が、勝手にルールを決める。
「誰がそんなルール作ったのよ」
「今」
「……ガトーショコラ二つと、チーズケーキ一つ。あとブレンドコーヒー二つと、ミルクティー二つください」
結局、そのルール通りに注文してしまうあたりが悔しい。
ケーキが運ばれてくると、わたしはまず一口、慎重にフォークを刺して口に運んだ。
(……うま)
しっとりした生地の中に、濃厚なチョコの風味。
甘すぎず、ちゃんと苦みもある。
すかさずミルクティーを流し込むと、口の中でちょうどいいバランスになった。
「なにその“幸せ顔”」
「うるさい。ここのケーキ、気に入った」
「だろ? だから言ったじゃん、木馬はケーキなんだって」
惣一郎が嬉しそうに笑う。
目当ては店員の制服だったくせに、食べ物のチョイスも妙に良いから腹立たしい。
青見は、ブラックの珈琲を飲みながら、「なんか大人になった気がする」とか言ってむせていた。
「ガキか」
「まだ未成年だからな」
くだらないやり取りをしながら、快気祝いのティータイムは、あっという間に過ぎていった。
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喫茶店を出たあとは、ゲーセンへ。
プリクラの機械の前で、「いや俺らまで入るのはちょっと」と言う青見と惣一郎の襟首を掴んで、強制的にフレームの中に引きずり込む。
「目線こっちー!」
「ちょ、まぶしいっ」
「加工で目でかくしないでくれよ!? 誰だか分かんなくなるから!」
「むしろやる」
落書きタイムで、わたしは青見の頭に猫耳を描き、惣一郎の横に「ミーハー」の文字を添えた。
あとで渡したとき、本気で嫌がっていたけれど、財布にはちゃんと入れていたのでそこは見逃してあげる。
UFOキャッチャーでは、惣一郎が「今日こそ鳥肌実フィギュアを」とか訳の分からないことを言い出し、
「まだそんなネタ引きずってるの?」
「俺の中では永遠に現役ネタなんだよ。“この映画はパールハーバーへの報復である!”って言って『パールハーバー』の広告ポスターに貼られてたコラ、知らない?」
「世代が違うんだよ、たぶん」
「言うな、その現実」
横で愛香がケラケラ笑っている。
一方、青見はというと、景品コーナーの自転車グッズを見つけては「このライト、意外と実用できそうなんだよな」と真面目に解説し始めた。
「この前さ、MTBで山コース行った時にさ――」
気がつくと、話題はマウンテンバイクのサスペンションだの、ツーリングでの野宿(本人いわく“キャンプと言う名のサバイバル”)だの、ガチめな方向に進んでいく。
「お前の“キャンプ”って、多分人類が想像するキャンプと違うよな」
「そうか? ちょっと水場が遠いくらいだろ」
「それを“ちょっと”って言うのやめなさい」
惣一郎の突っ込みに、わたしは素直に頷いた。
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その後はカラオケ。
フリータイムで部屋を取ると、惣一郎がさっそくリモコンを奪って、最新のヒットチャートから順番に予約を入れていく。
「まずは今クールの月9主題歌からだろ。歌番組でも特集されてたし」
「ほんとミーハーよね、惣一郎」
「褒め言葉として受け取っておく」
本人に悪びれた様子はない。
愛香も、流行りのガールズバンドの曲を普通に上手く歌って、採点で高得点を叩き出していた。
対して、青見は選曲からして安定のマイペースだ。
「じゃあ俺はこれで」
「……渋い」
昔のアニメのオープニングだったり、ドライブ向きのロックだったり。
歌いながら、サビのところでついエアペダリングをする癖はどうにかならないのだろうか。
マイクがわたしの手に回ってきた番には、迷わずホラー系ゲームの主題歌を入れた。
「出た、シャドホ」
「うるさい。好きなんだから仕方ないでしょ」
シャドホ――正式名称はもっと長いけれど、みんなその略称で呼んでいる。
怪異が出てくるダークな世界観のゲームで、BGMも歌も、ねっとりとした不安を煽る感じがたまらない。
「この曲、歌詞がだいたい“人間やめようぜ”って言ってるよな」
「そういうところが良いのよ」
「お前のそういう感性、ちょっとだけ心配になるときある」
「“ちょっとだけ”ならセーフ」
マイクを握りながら、内心では「シャドホの話が通じる相手が近くにいるのは貴重」とニヤニヤしていた。
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歌い疲れて、カラオケを出る頃には、街はすっかり夕暮れ色になっていた。
駅に向かう途中、ファストフード店に寄って、ポテトとシェイクで軽く腹を満たしながら、最後のだべりタイムに突入する。
「で、期末どうすんの?」
惣一郎がポテトを一本つまみながら言う。
「体育祭のせいで、勉強の時間ごっそり持っていかれたんだけど」
「体育祭のせいにしない」
わたしが即座に切り捨てる。
「でもさぁ、俺、高飛びで陸上部の先生にスカウトされたんだぜ?」
「“ごめんね。汗臭いのは嫌なんだ”って断ったらしいじゃない」
「それはそれ、これはこれ。部活入ったら、遊ぶ時間減るし?」
「価値観が全力で惣一郎」
愛香がシェイクをストローでくるくるしながら笑っている。
「そういえばさ」
話題は自然と、学校ネタに流れていく。
「居升さくらっているじゃん」
「ああ、図書委員の」
「好きなの、兄らしいよ」
「兄?」
「って言っても、血は繋がってないんだってさ。お母さんの再婚相手の連れ子」
「……昼ドラ?」
わたしが思わず漏らすと、惣一郎が「月9だろそこは」と訂正してきた。
「柳原先生の方は?」
今度は青見が口を挟む。
「なんかまた変な噂、増えてたぞ。メロディ様がどうとか」
「あー、“メロディ様に選ばれた生徒は、半年以内に姿を消す”ってやつ?」
「そうそう。それで“ここ半年で行方不明が7件”って尾ひれまでついてた」
「7件?」
数字だけが、わたしの耳にやけにクリアに残る。
「……そういえばさ」
ポテトをつまんだまま、青見がぽつりと言った。
「7人も行方不明になってるのにさ。あんまり、騒がれない、ね」
テーブルの上に、少しだけ重たい沈黙が落ちた。
「ニュースにも、そんなに出ないし。学校でも、“噂”にはなるけど、“事件”としては扱われてない感じがするっていうか」
何かのピースが、頭の中でかすかにきしむ音がした。
退院前に聞いた、病院の廊下の話。
玲子と関わった怪異。
全部が、遠くで糸で繋がり始めているような感覚。
「考えすぎじゃない?」
わたしは、あえて軽く言った。
「うちの学校だけで、そんな行方不明者出てたら、さすがに教育委員会動くでしょ」
「まあ、そうなんだけど」
青見はシェイクのストローをいじりながら、視線をテーブルの木目に落とした。
「ただ――なんか、“見えないところで帳尻合わせてる”みたいな感じが、ちょっとね」
「都市伝説的には、そういうのが一番怖いけどねぇ」
愛香は、にこにこと微笑んだままだった。
その笑顔はいつも通りなのに、何を考えているのか、今ひとつ読めない。
(……まあ、今日は快気祝いだし)
これ以上、空気を暗くしない方がいい。
そう判断して、わたしはわざと、話題を別方向にふった。
「ほら、期末の話に戻すわよ。赤点取ったら、また誰か補習地獄に落ちるんだから」
「やだなぁ、その“また”っていう前提」
「去年、誰が落ちたんだっけ?」
「やめろ、その話題はやめろ」
惣一郎が頭を抱え、テーブルの空気に笑いが戻る。
――けれど、さっき青見が言った「7人も行方不明になってるのに」という言葉は、
どこか頭の隅に、小さな棘のように刺さったまま、抜けずに残っていた。