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翌日。
某自転車系ウェブメディア編集部。
乗鞍ヒルクライムの速報記事は、ほぼ形になっていた。
一般の部、男子優勝。
女子優勝。
タイム。
コースコンディション。
天候。
参加者コメント。
担当ライターの坂井は、冷めかけた缶コーヒーを片手に、写真データを確認していた。
「えーと、女子優勝が……安達彩女さん。高校生。逢瀬学園」
画面には、ヘルメットを外して汗を拭う彩女の写真が映っている。
脚は完全に自転車選手のそれではない。
ただし、体幹の強さと姿勢の良さが異様だった。
「で、男子優勝が……東青見くん。こっちも高校生。逢瀬学園」
次の写真。
ゴール後、息を整える青見。
上半身の厚みが、ヒルクライム選手の標準から明らかに外れている。
なのに勝っている。
坂井はそこで、手を止めた。
「……ん?」
何か引っかかった。
逢瀬学園。
東青見。
安達彩女。
聞いたことがある。
いや、見たことがある。
坂井は検索窓に、まず「逢瀬学園 東青見」と打ち込んだ。
結果が出た。
「……え?」
インターハイ剣道男子個人、優勝。
東青見。
逢瀬学園。
坂井は、ゆっくり背筋を伸ばした。
「……待て待て待て待て」
次に「逢瀬学園 安達彩女」。
結果が出た。
インターハイ体操女子個人総合、優勝。
安達彩女。
逢瀬学園。
坂井は、無言で両手をキーボードから離した。
編集部の空気が、そこで少しだけ変わる。
隣席の編集者が顔を上げた。
「どうしたんですか」
坂井は画面を指さした。
「……これ、ただの高校生じゃないです」
「高校生の乗鞍優勝者でしょ。十分すごいじゃないですか」
「違う。そうじゃない」
坂井は、記事用にまとめたコメント欄を見た。
> 家族旅行で乗鞍高原に来るので、こちらの大会にもエントリーして走るのを楽しみにしていました。
> 逢瀬学園は、才能があって実力を示した生徒には手厚い支援をしてくれるので、色々挑戦できて楽しいです。
当たり障りがない。
綺麗すぎる。
高校生とは思えないくらい、燃えない。
坂井は額に手を当てた。
「これ、今年のインハイ剣道個人優勝者と、体操個人総合優勝者だ」
「……は?」
「しかも同じ学校で、同じ家族旅行で来て、同じ大会に出て、二人とも勝ってる」
編集者が椅子ごと近づいてくる。
「ちょっと待ってください。カップルですか?」
「分からん。でも写真を見ろ。距離感が普通じゃない」
坂井は表彰後の集合写真を拡大した。
青見と彩女が並んでいる。
肩が触れるほど近くはない。
けれど、離れてもいない。
青見は無表情に近い。
彩女は少し不機嫌そうに見える。
だが、二人の間にだけ“説明不要の空気”がある。
編集者が唸った。
「これ、知ってたら質問変わりましたね」
「変わったどころじゃない。俺、普通に『景色どうでしたか』とか聞いたぞ」
「まあ、普通は聞きますよ。乗鞍ですから」
「違うだろ! 聞くべきは『剣道と体操の全国王者が、なぜヒルクライムで勝ってるんですか』だろ!」
「それはそう」
「あと『家族旅行って、どっちの家族ですか』も聞けた!」
「そこは慎重に行きましょう」
「いや、でもコメントでは家族旅行って言ってるんだぞ。しかも二人で来てるんだぞ。安達さんのご両親もいた。東くんは安達家の車に乗ってた。つまり――」
坂井はそこで止まった。
言い切るには危ない。
だが記事としては、ものすごく強い。
編集者が小さく言う。
「……青春ですね」
「青春で片付けるな。こっちは取材機会を逃したんだ」
坂井は椅子にもたれ、天井を見上げた。
「しまった……もっと踏み込んでインタビューすればよかった……」
その声は、編集部の敗北宣言に近かった。
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数分後。
編集長が呼ばれた。
画面を見た編集長は、最初は眉をひそめ、それから検索結果を読み、最後に表彰写真を見た。
「……何これ」
坂井が真顔で答える。
「乗鞍ヒルクライムの記事です」
「いや、それは分かる。なんでインターハイ王者が二人いるの」
「それを現地で聞き逃しました」
「何してんの」
「普通に自転車の大会だと思ったんです」
「普通じゃないでしょ、この身体」
編集長は青見の写真を拡大した。
「この子、ヒルクライマーの肩じゃない」
「剣道です」
「こっちは?」
「体操です」
「なんで登れるの」
「分かりません。強いからでは」
「雑」
編集長はしばらく黙ってから、記事タイトル案を開いた。
そこには、最初こう書かれていた。
『高校生レーサー躍動 乗鞍で若き才能が男女優勝』
編集長は首を横に振った。
「弱い」
「ですよね」
「こう」
キーボードを叩く。
『剣道・体操の全国王者が乗鞍を制覇 逢瀬学園の二人が見せた“競技を越える脚”』
坂井が唸る。
「強い」
「ただし、恋愛関係っぽい煽りは入れるな」
「入れません」
「家族旅行コメントは入れる。でも深掘りはしない。本人たちが言った範囲だけ」
「はい」
「あと逢瀬学園に確認を取れ。広報コメントが来るなら載せる」
坂井は嫌な予感がした。
「……あの学校、コメント用意してそうですね」
「用意してるだろうね」
「ですよね」
数十分後。
逢瀬学園から返ってきた広報コメントは、恐ろしいほど整っていた。
> 本校では、特定競技に限定せず、生徒の身体能力・精神力・競技適性を総合的に評価し、多様な挑戦を支援しています。今回の乗鞍ヒルクライム出場も、生徒本人の希望とご家庭の旅行日程に合わせたものです。二名が良い経験を得られたことを嬉しく思います。
坂井は読み終えて、机に突っ伏した。
「完璧に塞がれた……」
編集者が苦笑する。
「理事長先生、強いですね」
「強い。コメントが強すぎる。何も燃えない。何も掘れない。でも記事にはなる」
編集長は満足そうに頷いた。
「じゃあ、その方向で行こう。本人コメント、タイム、競技実績、逢瀬学園コメント。余計な憶測なし」
「はい」
坂井はもう一度、写真を見た。
表彰台の青見。
少し横を向いている彩女。
二人の距離。
全国優勝者同士。
別競技。
同じ学校。
家族旅行。
乗鞍優勝。
情報量が多すぎる。
坂井は小さく呟いた。
「……ほんとに、現地で気づきたかった」
そして記事の本文に、慎重に一文を足した。
――なお二人は、今年度インターハイにおいて、それぞれ剣道男子個人、体操女子個人総合を制した全国王者でもある。
それだけで、記事の温度が一段変わった。
自転車界隈は、その日の夜から少しざわつくことになる。