翌日、二時間目と三時間目の間の休み時間。
「――で、今日行きます」
英は、教室の後ろの廊下側で、さらっと爆弾を落とした。
「は?」
青見と惣一郎の声が、きれいにハモる。
「三森峠の旧道トンネルです。
夜は危険度が上がりすぎますから、昼間に一度、棘蔵の外装だけでも確認しておきたい」
「……それはいいけどよ」
青見が、ちらっと教室の中を振り返る。
「今日“昼間”ってことは?」
「もちろん、サボりです」
英は、全く悪びれずに言った。
「午後の授業は、欠席扱いになりますね」
「お前なぁ……」
「惣一郎くんはどうします?」
「行くに決まってんだろ。
どうせオカ研支部長案件だろうが、ほっといて勝手に爆発しても嫌だし」
「爆発はさせませんよ」
英が苦笑する横で、もう一人の“共犯者”がひょいと顔を出した。
「ボクも行きますよ」
火鳥勇吾だ。
内申点とか、そういう言葉から一番遠い顔をしている。
「火鳥、お前はもうちょっと躊躇しろ」
「躊躇してる間に死体が増えたら困るじゃないですか」
「そういう前提で話すなよ」
惣一郎が頭を抱えた。
そんなやり取りをしていると――
「そこの男子」
すっと影が差す。
振り向けば、廊下を巡回中の結先生が、腕を組んで立っていた。
「あんまり“相談なしでサボる”と、担任としても困るんだけど?」
「……見抜かれてた」
惣一郎が肩をすくめる。
「さすが結先生。エスパー?」
「エスパーじゃなくて、君たちが分かりやすすぎるだけです」
結先生は、英の方を見る。
「氷室くん。三森?」
「はい。
昨日の時点で、安達トメ様から“昼間のうちに見ておけ”と言われました」
「ふぅん……」
一瞬だけ、結先生の目が鋭くなる。
「危険度の見積もりは?」
「夜間ほどではありませんが、ゼロではありません。
ただ、夜に初見で入るよりは、昼間に地形を押さえておいた方が安全です」
「だよねぇ」
結先生は、ため息とも笑いともつかない息を吐いた。
「分かりました。
今日の四人の午後は“家庭の事情による早退”ってことにしておきます」
「いいんですか」
「いいわけないでしょ」
ぴしゃりと言ってから、少し声を落とす。
「でも、三森で何かあって、後から『先生知ってました』って言われる方がもっと嫌。
行くなら、ちゃんと“行き先と目的を知ってる大人”を一人くらい挟んで行きなさい」
「ありがとうございます」
英が深々と頭を下げると、結先生は片手をひらひら振った。
「帰って来てから報告書。氷室くんメインで。
それと――」
青見の胸ぐら、ではなく、制服の前を軽くつまむ。
「東くん。
怪我して帰ってきたら、彩女ちゃんに何言われるか、ちゃんと想像してから行きなさい」
「……想像するまでもねぇです」
青見は、苦い顔で笑った。
「じゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい。サボりじゃなくて“仕事”だと思って、ちゃんとやってきなさい」
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◆ 郡山盆地・北へ抜ける県道 ◆
昼休み終了ぎりぎりの時間。
校舎裏の駐輪場の隅に、妙に目立つ一角ができていた。
ハンターカブ、三台。
色違いで、ずらりと横一列。
そして、その隣にフルリジットのMTBが一本。
「……お前らなぁ」
ヘルメットをかぶりながら、青見が深いため息をついた。
「見事に全員、文明の力じゃねぇかよ」
「これが文明の力だよ、青見」
惣一郎が、自分のハンターカブのタンクをぽんぽん叩く。
「クラッチもいらない、足一本ひねるだけで坂が勝手に小さくなる夢のマシン」
「ボクのも夢のマシンですよ。荷台にクマも積めます」
勇吾が真顔で言う。
「クマ積む予定はまだないからな、勇吾くん」
英も、自分のハンターカブにまたがりながら苦笑した。
視線が、隣のMTBへ移る。
クロモリのフレームに、太めのスリック寄りタイヤ。
前後リジットフォーク。
変速はフロントシングル、リアワイドレンジ。
「……で、なんで青見くんだけ自転車なんだっけ?」
「バイクの免許取るヒマねぇって言ったろ」
青見は、ハンドルを握りながら肩をすくめた。
「それに――」
サドルに腰を下ろし、ペダルに足を載せる。
「降りならMTBの方が速いからな」
「強がり言ってる~」
惣一郎がニヤニヤ笑う。
「言ってろ。登りも三十五くらいならついてけるし」
サイコンをちらりと見て、青見はギアを一段重くした。
「じゃ、出ますか」
英がヘルメットのシールドを下ろし、エンジンをかける。
ポコポコと低い排気音が三つ、駐輪場の隅に響いた。
「三森の旧道入口までは、車道で二十キロちょっと。
途中までは斜度も緩いですから、ウォーミングアップだと思ってください」
「“氷室基準の緩い”は信用ならねぇんだよなぁ」
惣一郎がぼやくのを背に、四人は校門の裏側からそっと道路へ出た。
学校の正面とは逆方向。
住宅街を抜け、盆地の北側へと伸びる県道に合流する。
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最初の数キロは、ほぼ平坦だった。
田んぼの間を縫うように延びる道を、三台のハンターカブと一本のMTBが列を成して進む。
英が先頭。
その少し後ろを、勇吾。
さらに少し間をあけて惣一郎。
最後尾を、青見が追う。
MTBのタイヤが、アスファルトを滑らかに転がる感触が、靴底からじかに伝わってくる。
ペダルを踏み込むたびに、風が少しずつ強くなっていく。
サイコンの数字は、三十二、三十三、三十五――。
(このくらいなら、持久走感覚だな)
息は上がるが、まだ余裕がある。
ハンターカブ組も、こちらのペースに合わせて四十までは出していない。
信号待ちになったところで、惣一郎が肩越しに叫んだ。
「おい東! 普通に後ろにいるんですけど!」
「だから言ったろ。降りならMTBの方が速ぇって」
「まだ登り途中だっての!」
「うるせぇ文明人」
青見は笑いながら、ボトルケージから水をひと口含んだ。
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やがて、家並みが途切れ、道は杉林と山裾に挟まれるようになる。
標高が上がるにつれ、盆地の景色が少しずつ見下ろす形になっていく。
道端のガードレールが、新旧入り混じっているのが目に入った。
「あそこ、つい最近崩れたとこだね」
走りながら、英がインカム越しに声を飛ばしてくる。
《この先の分岐を過ぎると、もうすぐ旧道の入口です。
そっから先は路面が悪いので、スピードは控えめで》
「はいよ、隊長」
惣一郎が軽口で返す。
《隊長じゃないです。現場管理者です》
「肩書き長ぇんだよ」
そんなやり取りをしているうちに、県道が緩やかに右へカーブし、新道のトンネルが口を開けているポイントが見えてきた。
その少し手前、左に分かれる古い舗装路。
錆びたバリケードと、「通行止」の看板。
鎖には、一応チェーンロックらしきものが掛かっているが、横はバイク一台分くらいの隙間が空いている。
「あそこから旧道です」
英が左にウインカーを出し、ハンターカブをゆっくりとバリケードの脇へ滑り込ませた。
勇吾と惣一郎も続く。
青見も、ペダルを緩めて、鎖の脇をすり抜けた。
途端に、路面の雰囲気が変わった。
アスファルトはひび割れ、雑草が継ぎ目から生えている。
ところどころ、落石が砕けた砕石が路面に散らばっている。
「おー……一気に“こっち側”って感じだな」
惣一郎がつぶやく。
「ここ、スクーターだったら腹擦ってましたね」
英が、割と真面目な声で言う。
「ハンターカブにしておいて正解でした」
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
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速度は、二十キロそこそこまで落ちた。
ハンターカブたちはローギア寄りに落とし、エンジンのトルクでトコトコと石を踏み越えていく。
前輪が拳大の石を乗り越えるたびに、フロントフォークがぐいっと沈み、すぐ戻る。
青見は、サドルから腰を浮かせた。
腕と脚をサスペンション代わりにして、ラインを選びながら走る。
尖った石は避ける。
砕石の小さい帯を繋いで、斜めにトレースする。
タイヤが跳ねる感触。
リムに伝わる衝撃。
それでも、まだ“押すほど”ではない。
(このくらいなら、遊びの範囲だな)
息を吐きながら、ハンドルをほんの少しだけこじる。
目の前で、勇吾のハンターカブが、わざと溝を跨ぐようにして走っていくのが見えた。
「火鳥くん、それ遊んでない?」
「トレーニングですよ。段差に慣れておいた方が、いざというとき役に立つので」
「そういう理屈つけて遊んでんだろ」
惣一郎のツッコミを聞きながら、青見は、その後ろをぴたりとトレースする。
フロントタイヤを軽く引き上げるようにして段差を越え、リアをいなす。
ハンターカブ三台とMTB一台。
四つの影が、荒れた旧道を、まだ“乗ったまま”上へと伸びていく。
/*/
やがて、道は大きくカーブし、視界の先に黒い口が見えてきた。
山腹にぽっかりと開いた、古いトンネルだ。
新道のコンクリ製トンネルとは違い、入口のコンクリにはひびが入り、斜面からの土砂が半分ほど入口をふさいでいる。
トンネルの上を覆うように、木の根とツタが垂れ下がっていた。
「……三森旧トンネル」
英が、小さく息を吐く。
四人は、トンネル手前の少し広くなった路肩に、それぞれのマシンを止めた。
英と勇吾と惣一郎はハンターカブを並べてスタンドを立てる。
青見は、MTBをガードレールに立てかけ、フレームにU字ロックを回した。
「ここまで来て盗まれたら笑えねぇしな」
「ここまで盗みに来る人、なかなかいないですけどね」
英が言いながら、エンジンを切る。
三台分のアイドリング音が一度に消えた瞬間、耳に残るのは山の風と虫の声だけになった。
トンネルの口からは、昼間だというのに、冷たい空気が流れ出してくる。
湿った土と、古いコンクリートの匂い。
鼻の奥に、ほんのかすかに、湖底のような“よどんだ水”の気配が混ざっていた。
「ここから先は、徒歩です」
英は、ハンドルから降りながら言った。
「バイクで入ると、証拠も残りますし、何かあったときの逃げ場がなくなりますから」
「逃げ場ない前提なんだよなぁ、こういうの」
惣一郎がぼやきつつ、ヘルメットを脱ぐ。
「頭ぶつけたくない人は、そのままヘルメット被っててもいいですよ」
「その言い方やめろ」
勇吾は無言でヘルメットのあごひもを締め直した。
そのまま、英の後に続く。
四人は、徒歩でトンネルへと近づいていった。
/*/
入口から十メートルほど中に入ったところで、道は唐突に行き止まりになっていた。
コンクリートブロックと生コンで固められた、灰色の壁。
元々のトンネルの断面を、内側から塞ぐように“隔壁”が築かれている。
表面には、「危険」「立入禁止」と赤いスプレーで書かれた残骸が残っていた。
「ここが、埋め戻しのときに作られた隔壁です」
英が、コンクリートの表面を指先でなぞる。
「旧道封鎖のあと、肝試しで入る人が多くて、完全に塞いだ――っていう建前ですね」
「建前、ね」
惣一郎が眉をひそめる。
「本音は、“棘槍の玄室への入口を塞いだ”ってことか」
「そうなります」
英は壁の端へ回り込んだ。
壁とトンネル側壁の間に、わずかな隙間が空いている。
人一人、横向きになってギリギリ通れるくらいの幅。
そこから、ひやりとした風と、さらに濃い湿り気が漏れ出していた。
「……絶対わざとだよな、これ」
惣一郎が、隙間を見て顔をしかめる。
「完全に埋めないで、“万が一のための点検用”ってやつだね」
英が淡々と言う。
「表向きには“工事の都合”です」
「工事の都合って便利な言葉だよな」
青見は、隙間の向こうを覗き込みながら息を吐いた。
そこから先は、もう自然光はほとんど入っていない。
湿った闇が、じっとりとたまっている。
「ライト用意してきてるから、大丈夫です」
英は、ショルダーバッグから小さなLEDヘッドランプを四つ取り出した。
「はい、これ。ヘルメットの人はそのまま上に巻いてください。ない人は頭に直接」
「仕事早ぇな、おい」
「現場管理者ですから」
簡単に言って、英も自分用のヘッドランプを装着する。
スイッチを入れると、白い光の円が、隔壁のコンクリートと、隙間の向こうの壁を照らした。
勇吾、惣一郎、青見も、それぞれライトを点ける。
「じゃ、行きますか」
英が、隙間の前に立つ。
「まずボクが入ります。中の足場を確認してから、一人ずつ」
「了解」
「足滑らせたらアウトだぞ、惣」
「分かってるって」
軽く頷き合って、英は身体を横に向け、隔壁と側壁の隙間へと滑り込んだ。
コンクリートと作業着の袖が、ざりっと擦れる音。
肩と壁がぎりぎり触れるか触れないかの幅。
足元には、砕けたコンクリ片と、湿った砂利。
踏むたびに、ぐしゃりといやな感触がする。
英のヘッドランプの光が、隙間の先の空間を照らし出した。
「――大丈夫です。すぐ向こうに、旧トンネルの本体があります。
段差に気をつけて、一人ずつどうぞ」
英の声を合図に、次は勇吾が身体を横にして隙間へ入っていく。
「ボクの肩幅でギリギリですね」
「余裕あるって意味だな、それ」
惣一郎が苦笑し、その後に続く。
最後尾の青見は、一瞬だけ振り返って、外に残されたバイクとMTBの列を見た。
(ちゃんと帰ってこいよ、オレたち)
自分に言い聞かせるように、小さく息を吐く。
そして、ヘッドランプの灯りの中へと、身体を横に向けて滑り込んだ。
隙間を抜けた先で、足元の感触が変わる。
乾きかけたアスファルトではなく、絶えず湿り続けているコンクリート。
水の染みた線が、床から壁へ、天井へと伸びている。
そこは、埋め戻された新しい隔壁の“裏側”。
本来なら誰も入ることのない、旧三森トンネルの、死んだはずの空間だった。
四つのヘッドランプの灯りが、薄暗い天井と、奥へ続く闇を切り取る。
ひんやりとした空気の中に、さっきより濃い“湖底”の匂いが混ざっていた。
「……ここから先が、“本当の旧道トンネル”です」
英が低く告げる。
誰も、軽口を挟さむ者はいなかった。
ハンターカブとMTBをトンネルの外に置き去りにして――
四人は徒歩で、埋め戻し壁の隙間から、三森旧トンネルの内部へと踏み込んでいった。