/*/ 月曜日・2年C組 /*/
月曜の朝の教室は、いつものざわざわで満ちていた。
窓際の列には、眠そうにあくびしている男子。
廊下側では、女子グループが週末の出来事を一気に吐き出している。
僕――氷室 英は、自分の席でスマホを横向きにして、
先週末のニュースをざっと流し読みしていた。
(尾辻が滝の水難事故……やっぱり、正式に“事故”扱いか)
画面には、地元紙の簡素な記事が表示されている。
――阿武隈川尾辻が滝下流で、大学生男性が一時流されかけるも軽傷。
現場付近では一時的に流れが逆流したとの目撃証言もあるが、
県警は「確認中」とコメント――
“確認中”。
つまり、はっきりした説明はまだ出ていない、ということだ。
(……やっぱり、少し早めに触っといた方がいいか)
僕が画面をスリープに落としたところで、
教室の後ろの方から聞き慣れた声が飛んできた。
「おはよー。英」
ドアの方を見るまでもない。
足音で分かる。
「おはようございます、伊東くん」
振り向くと、案の定、惣一郎が片手をポケットに突っ込んだまま、
片手でパンをもそもそやりながら入ってくるところだった。
「聞いたか? うちの動画、再生数えぐいことなってんぞ」
開口一番それか。
「ええ、土日でだいぶ伸びてましたね」
「“だいぶ”どころじゃねーよ。コメント欄で“2C=イベント発生源”って言われてんぞ。俺たち何なんだよ」
「事実なのが悲しいところですね」
そんなやり取りをしていると、
前の方から、わざとらしく咳払いが聞こえた。
「――で、その“イベント発生源”が、
週末になにをやらかしてきたか、報告してくれるんでしょ?」
腕を組んでこちらを見るのは、安達 彩女。
その隣で、少し気まずそうに頭を掻いているのが、東 青見。
どうやら、こちらから呼びに行く手間は省けたようだ。
「おはようございます、お二人とも」
「おう」
「……おはよ」
いつもなら、そのまま惣一郎も会話に混ざるところだが、
今朝はなぜか空気を読んだのか、肩をすくめて自分の席へ戻っていった。
(珍しい)
ちょうどいいので、僕は自分の椅子を少し後ろに引いて、
四人で小さな輪になるように座り直した。
「それで。尾辻が滝、でしたっけ」
切り出すと、彩女と青見が、同時に肩をピクリとさせた。
「ニュース、もう見たの?」
「ええ。一応、“この辺の変なこと”担当なので」
「そんな肩書きあったっけ、氷室くん」
彩女がぼそっと突っ込む。
否定しないあたり、理解はしているらしい。
「で……まあ、順番に話すけど」
そう言ってから、彩女はちらっと青見を見る。
「説明は、青見」
「お前が振るのかよ」
文句を言いつつも、青見は素直にスマホを取り出した。
「昨日、阿武隈沿い走って、尾辻が滝寄ったんだ」
「ロードバイクの“健全なデート”ですね。はい知ってます」
「そこ強調すんな」
画面を開いて、僕の方へくるっと向きを変える。
映っていたのは、崩れたお堂の基礎と、
その角に残る刻印と、剥がれかけた護符。
写真越しでも、分かる人には分かる。
「……なるほど」
僕は、思わず息をひとつ吐いた。
円が三つ重なったような紋。
その周りに、波のような線。
そして、墨が流れかかった「水門」の文字。
スマホの画面が、じんわりと指先に冷たい感触を残す。
実際の温度ではない。
“向こう側”の、ざらざらした水の気配だ。
「やっぱり、“そういう類”?」
彩女の声には、わずかな緊張が混じる。
「そうですね。……少なくとも、“ただの縁起物”ではないです」
僕は、画面をさらに拡大しながら、
頭の中で、教科書と古い文献のページをめくる。
(直結で海と繋がる川の“水門”……流れを締める印……
それが台風でぶっ壊れて、護符だけでかろうじて保ってる感じ、かな)
ざっくり言えば、
「変なのが上流から来ないようにする蓋」
または
「下に沈んでるものを起こさないための重し」。
そして、そのどちらでも、壊れたまま放置していい代物ではない。
「で、ですね」
口に出す言葉は、できるだけ柔らかく、
教室の雑音に紛れる程度の声量に抑える。
「“悪いニュース”と“まだマシなニュース”があります。どっちから聞きます?」
「そういうのは“まだマシな方”からだろ」
青見が即答した。
「じゃあ、まだマシな方から」
僕は指を一本立てる。
「今の時点では、“決定的に何かが出てきた”とか“誰かが呑まれた”とかじゃない。
ニュースを見る限り、今回の水難も“ギリギリで戻ってきてる”」
「ふむ」
「つまり、“完全に壊れてぶっ壊れてる”よりは、まだマシってことです。
『ひび割れて水漏れしてるダム』くらいの状態、ですかね」
「例えが怖いんだけど」
彩女が眉を寄せる。
「で、“悪いニュース”は?」
「――そういう“ひび割れダム”は、時間が経てば経つほど、だいたい悪化するってことです」
彩女も青見も、少し黙った。
教室のざわめきだけが、しばし間を埋める。
「とりあえず」
僕は結論を急ぐ。
「お二人が見たことと、この刻印と護符の状態。
それから、黒い渦の件。まとめて、僕の方で整理しておきます。
放課後に資料室と……あと、ちょっと“高いところ”にも確認を取ってみます」
「“高いところ”」
惣一郎がいたら、食いついてきそうな単語だ。
幸い、今は席でゲームアプリに夢中になっている。
「うちの担任とか、理事長とか、その辺?」
彩女が、わざとらしく首をかしげる。
「さあ、どうでしょう」
曖昧に笑っておく。
そのとき、ふと視線を感じて振り向くと、
廊下側の席から、松坂 愛香がこちらをじーっと見ていた。
「……なにか?」
「ううん。彩女ちゃんの顔がちょっとこわばってたから」
愛香は、いつもの柔らかい笑みを浮かべた。
「氷室くんがいるなら、大丈夫かなって思っただけ」
そう言って、すっと視線をそらす。
(相変わらず、勘が良すぎる)
僕は内心で苦笑した。
「ま、とりあえず」
空気を戻すように、青見がぐっと背伸びをする。
「当面、オレらがやることは変わんねぇだろ。
変な場所にわざわざ近づかない。巻き込まれそうな奴がいたら引っ張る。
あとは、氷室に報告」
「その“あとは全部お任せします”みたいな言い方やめません?」
「実際そうなってんだからしょうがねぇだろ」
そこへ、チャイムが鳴った。
同時に、廊下からぱたぱたと小さな足音。
「はーい、席についてー」
篠原 結先生が、プリントの束を抱えて入ってくる。
僕たちは、いったん話を切り上げて自分の席へ戻った。
ホームルームが始まり、
週予定とプリント配布と、いつもの連絡事項が淡々と進む。
けれど、僕の頭の片隅では、
スマホの中の写真の「水門」の文字が、
ずっと明滅し続けていた。
(……“阿武隈ライン”、一回ちゃんと撫でておいた方がいいな)
黒い渦。
剥がれかけた護符。
そして、「原因不明の逆流」。
組み合わせとしては、あまり笑えない。
窓の外には、いつも通りの月曜の空。
その下で、阿武隈川は、何事もなかったようにきらきら光っているはずだ。
――はず、だが。
(放課後まで、変に動かないでくださいね)
誰にともなく、心の中でそう呟いてから、
僕はいつも通りの“優等生モード”の顔で、
ホームルームの続きを聞くふりをしたのだった。