語られない物語 ― 郡山怪異譚 ―   作:ぶーく・ぶくぶく

308 / 308
野次馬は来る

 

 

/*/ 尾辻が滝・放課後フィールドワーク /*/

 

 

「なあ、やっぱ一回くらい“本物”見といた方が良くね?」

 

 その一言が、すべての間違いの始まりだった。

 

 阿武隈川沿いのサイクリングロードを、二台の自転車が並んで走る。

 放課後の薄い夕焼け。制服のまま、ジャージだけ羽織った東 青見と、肩からショルダーバッグを提げた伊東 惣一郎。

 

「……その“本物”ってのが、尾辻が滝のアレのことなら」

 

 前を走りながら、青見がため息混じりに言う。

 

「やめとけって、英も言ってただろ。あんま近づくな、って」

 

「だからさ、“近づくなって言われた場所がどんなか”くらいは、

 一回見ときたいわけよ」

 

 惣一郎は悪びれもせず、笑ってみせた。

 

「だってさ、流れ出てるんだろ? 怪異。

 阿武隈ラインにポコポコ出てきてるんだろ? 俺も見たい」

 

「お前な……」

 

 呆れようとして、やめた。

 

 その「見たい」が、好奇心だけじゃないことを、青見は知っていた。

 オカ研に出入りして、変な本を読み漁って、

 それでも「誰か一人で巻き込まれるくらいなら、最初から俺もいた方がマシ」とか本気で言う奴だ。

 

(……まあ、放っといて一人で来られるよりは、マシか)

 

 そう判断した時点で、自分も同類かもしれない、と青見は心の片隅で思う。

 

 川沿いの緩いカーブを曲がると、

 尾辻が滝へ下りる小さな駐車スペースと、遊歩道の入口が見えてきた。

 

「着いたな」

 

 二人は自転車を降り、ガードレールにロックをかける。

 

 夕暮れの光の中、川の流れが白く泡立っている。

 耳に入るのは、ただ水の落ちる音――の、はずだった。

 

 

/*/ 崩れた社 /*/

 

 

「……これか」

 

 遊歩道を少し下ったところで、惣一郎が立ち止まった。

 

 川べりに、ぽっかりと空いた空間。

 かつて小さな社があったはずの場所には、コンクリートの基礎と折れた柱の根元だけが残っている。

 

 その脇には、傾いた石灯籠。泥をかぶった案内板。

 

「芭蕉の何とか堂、だっけ」

 

「不動堂、だったかな」

 

 二人は並んでしゃがみ込む。

 

 基礎の角。

 コンクリートに刻まれた、三つの円が重なったような紋様。

 その上に、半分剥がれかけた紙の護符が張り付いている。

 

 護符の文字は、ほとんど流されてしまっている。

 それでも、かろうじて読める。

 

 ――水門。

 

「“すいもん”か、“みなと”か」

 

「どっちでもヤバそうな字面だよな」

 

 惣一郎が、指先で護符に触れかけて、すぐ引っ込める。

 

「で。ここから“漏れてる”わけ?」

 

「らしいな」

 

 青見は、周囲を見回した。

 

 滝の音。

 阿武隈の流れ。

 風が木の葉を揺らす音。

 

 一見、ただの観光スポットだ。

 それでも、前に彩女と来た時と同じ、妙な違和感がある。

 

 水の音が、時々ふっと遠のく。

 代わりに、耳の奥で、低いうなりが重なる。

 

 ごう、ごう、ごう――。

 

「……おい、惣一郎」

 

「分かってる。なんか、来てるな」

 

 惣一郎の声が、わずかに低くなった。

 

 基礎の向こう。

 滝壺のあたりに、黒い“影”がひとつ、ふわりと浮かぶ。

 

 渦。

 

 流れに逆らって、

 水面の上に、縦に立つように盛り上がる黒い筋。

 

「前に彩女と見た時より、太くなってるな……」

 

「そういう要らん実感はいらねぇんだけど」

 

 惣一郎の冗談が、途中で止まった。

 

 渦の中から、何かが“這い上がって”きた。

 

 水で出来た腕、みたいなものだった。

 

 透明な水の筋が、川面から伸びてくる。

 指の形に割れた先端。

 そこに、浮かんでは消える、人の顔とも魚の顔ともつかない影。

 

「うわ、来たな……!」

 

「ビビってんじゃねぇよ」

 

 惣一郎が言うより早く、青見は腰を落とした。

 

 足幅。

 間合い。

 

 剣道の構えのまま、

 ジャージの裾をめくって、腰に通した細長いケースを引き抜く。

 

「ちょ、なにそれ」

 

「李老師んとこから借りてきた。使うなって言われたけど」

 

 ケースから現れたのは、

 剣でも竹刀でもなく、鈍い光沢の鉄の棒だった。

 

 長さは竹刀よりやや短いくらい。

 表面には、細かい刻印がぐるりと一周している。

 幾何学模様と、見慣れない文字列。

 

「魔術刻印入りの鉄杭。

 “もしもの時、せいぜい一回まで”ってさ」

 

「それ、今が“もしも”で合ってる?」

 

「これ以上“もしも”っぽい状況、あんまりないだろ」

 

 言い終わらないうちに、水の腕が伸びてきた。

 

 ぬるり、と空気を撫でる感触。

 冷たい湿気が、前髪を濡らす。

 

 青見は、一歩、踏み込んだ。

 

「はっ!」

 

 踏み込みと同時に、鉄の棒が横一文字に走る。

 

 水の腕に当たった瞬間、刻印が淡く光った。

 

 じじっ、と空気が焦げるような音。

 

 水の筋が、悲鳴にも似た波紋を上げて弾け飛ぶ。

 弾かれた水滴が、石畳に叩きつけられて蒸発する。

 

「おおおおお!? なんだ今の!」

 

「聞きたいのはこっちだよ!」

 

 二本目、三本目と、水の腕が滝壺から這い出してくる。

 

 一本は地面を這い、

 一本は灯籠の根元を掴み、

 一本は、惣一郎の足首めがけて飛びかかった。

 

「っと!」

 

 ぎりぎりで飛び退く。

 さっきまで足を置いていた場所に、ぬらりと水の指が刺さった。

 

 石の隙間から、冷たい水が噴き出す。

 

「これ、切ってる間に増えてない!?」

 

「増えるな! オレのスタミナにも限度があんだよ!」

 

 青見は、次の一歩で、基礎と水の腕の間に割り込む。

 

 鉄の棒が、鋭く縦に振り下ろされる。

 水面と接した部分から、刻印が弾けるように光る。

 

 ごう、と川のうなりが一段高くなった。

 

 切っても切っても、水は形を変えて這い上がる。

 腕が駄目なら、脚。

 脚が駄目なら、縄のような束。

 

 滝壺の“向こう側”から、何かが出てこようとしている。

 

「おい惣一郎!」

 

「分かってる!」

 

 惣一郎は、ショルダーバッグを乱暴に開いた。

 

 中から、ノートとペンケース。

 チョークと、黒いマジック。

 そして、右手には、薄い金属板を取り出す。

 

 掌サイズの、小さな定規。

 片面に、星と枝分かれの線が刻まれている。

 

「こんなこともあろうかとー」

 

「今それ言うタイミングじゃねぇだろ!」

 

 基礎の周りの地面に、惣一郎はしゃがみ込む。

 

 チョークで素早く線を引く。

 石と土の境目に、円を描き、その中に、星のような図形。

 

 一本、二本、三本――線が枝分かれしていく。

 

「古き印(エルダーサイン)、簡易版。

 教科書どおりには行かねぇけど……

 “ここが境目だぞ”って、アピールするくらいにはなるだろ」

 

「テスト前にその記憶力発揮しろよ!」

 

 青見のツッコミを背中で受けながら、惣一郎は描き続ける。

 

 円が基礎の角を囲む形になるように、

 残った護符の端まで線を伸ばす。

 

 最後の一画を引き終えた瞬間――

 

 ぴしっ。

 

 チョークの線の上を、薄い光が走った。

 

 星形と枝分かれする線が、

 一瞬、夕闇の中で白く浮かび上がる。

 

 ぐ、と水の腕がたじろいだ。

 

 基礎に絡みつこうとしていた水の束が、

 線に触れた途端、煙を上げるようにほどけていく。

 

「……効いてるっぽい?」

 

「効いてろ! 頼むから!」

 

 滝壺から伸びていた渦が、

 水門の刻印と護符の周囲を避けるように、歪んだ。

 

 まるで、そこだけ見えない壁があるみたいに。

 

 腕だったものが崩れ、

 縄だったものがほどけ、

 全ての水が、滝壺へと引き戻されていく。

 

 ごぼ、ごぼ、ごぼ――。

 

 最後に、ひときわ大きな泡がひとつ、

 水面に浮かんで破裂した。

 

 音が、ふっと軽くなる。

 

 滝の音だけが残った。

 

 異様なうなりは、消えていた。

 

 

/*/ 張りぼての封印 /*/

 

 

「……」

 

「……」

 

 二人はしばらく、肩で息をしていた。

 

 青見は鉄の棒を地面に突き刺し、

 額の汗を手の甲で拭った。

 

 惣一郎は、描き終えたチョークの円を見下ろす。

 

 石の上の《エルダーサイン》は、

 さっきの光を失い、ただの白い落書きに戻っていた。

 

「一旦、引っ込んだ……っぽいな」

 

 青見が言う。

 

「“っぽい”って言うな。縁起でもねぇ」

 

「でもまあ、さっきよりはマシだろ。

 ヒビの上からガムテ貼ったくらいの雑さだけど」

 

「それを自分で言うな」

 

 惣一郎は、チョークの粉だらけになった指をぱんぱん叩きながら、

 ゆっくり腰を伸ばした。

 

 その時だった。

 

「――雑に封じましたね」

 

「うおっ!?」

 

「うおっ!?」

 

 二人同時に振り返る。

 

 遊歩道の少し上。

 柵にもたれるようにして立っていたのは、黒ぶち眼鏡の少年だった。

 

 氷室 英。

 

 2年C組。

 普段は優男にしか見えない、移動・結界系の高位魔術師。

 

「……お前、いつからいた」

 

「“そろそろ危険なことをしに行きそうだな”って時間帯からです」

 

 英は、肩をすくめて苦笑した。

 

「案の定ですよ。

 東くんが例の杭持ち出してるし、

 伊東くんはしれっと古き印(エルダーサイン)使ってるしで」

 

「いや、俺は野次馬、素人なんだよ」

 

 惣一郎が即答する。

 

「プロのツッコミは、プロがするべきだろ。

 ほら、結果的に封じたんだからセーフ」

 

「“セーフ”のラインをどこに置いてるんですか」

 

 英は、溜息をひとつ吐いた。

 

「分かってるなら、こんな危ない場所に来ないでくださいよ」

 

「すぐそこに民家もあるじゃないか」

 

 惣一郎は、顎で上流側の住宅地を示す。

 

「ここで何か起きてるのに、

 “見なかったことにしましょう”って方が、性に合わねぇんだよ」

 

「……そういうところ、本当に嫌いじゃないですけど」

 

 英は、眼鏡の位置を指で押し上げた。

 

「だからこそ、ちゃんと連絡してから来てください。

 “危ない場所に素人だけで突っ込む”をやられると、

 ボクの胃に悪いんですよ」

 

「悪かったよ」

 

 惣一郎が頭をかく。

 

「青見くんは?」

 

「オレは、“どうせ一人で来るなら一緒にいた方がマシ”って思っただけだ」

 

 青見は、刺したままの鉄棒を引き抜きながら言った。

 

「李老師にも怒られるな、これ」

 

「あとでボクからもフォロー入れておきます」

 

 英は、遊歩道から降りてきて、

 チョークの円と護符の残骸を覗き込んだ。

 

「……まあ、“ガムテ貼り”にしては上出来です」

 

「お」

 

「ただし、このままだと、また圧が溜まります」

 

 英は、基礎に刻まれた三つの円――水門の紋様を指でなぞる。

 

「ちゃんとした封印にし直すまでの“仮止め”ですね、これは。

 ボクがやるとしたら、あと三手は足したいところです」

 

「三手?」

 

「対岸のラインと、上流側の“節目”と……あと、

 この“水門”自体の意味を、ちゃんと調べないと」

 

 英は、ふっと目を細めた。

 

「――でも、まあ」

 

「でも、まあ?」

 

「さっきの“這い上がりかけ”を、一回押し戻してくれたのは事実ですから」

 

 英は、二人を順番に見た。

 

「ありがとう」

 

 それは、いつもの皮肉混じりの口調ではなく、

 素直な礼の言葉だった。

 

「お、おう」

 

 青見が、少しだけ照れくさそうに視線を逸らす。

 

「……次からは、ちゃんと“指導付”でお願いしますね。

 東くんは武力担当、伊東くんは雑学担当、ボクは安全担当で」

 

「なんか納得いかねぇ役割分担なんだが」

 

「贅沢言うなよ、雑学担当」

 

 惣一郎は笑いながら、基礎の上の護符を見やった。

 

 紙の端が、さっきよりもわずかにしっとりと濡れている気がする。

 

 水門は、まだ完全には閉じていない。

 

(――でも、まあ)

 

 さっきまで這い出してきていた水の腕は、

 今はどこにも見えない。

 

 滝の音だけが、普通の川の音として響いている。

 

「とりあえず今日は、ここまでにしときましょう」

 

 英が言った。

 

「日が落ちたあとまでいる場所じゃないですし。

 帰りにコンビニ寄って、カロリー摂って帰るくらいが健全です」

 

「健全な反省会だな」

 

「健全な“命あっての反省会”です」

 

 三人は、崩れた社に一礼するように頭を下げてから、

 遊歩道を引き返した。

 

 背後で、阿武隈川の水音が、

 ほんの少しだけ優しくなったような気がしたのは――

 

 気のせいかもしれないし、

 そうでないのかもしれない。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

転生バドは勝利を夢見る(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:機動警察パトレイバー)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼オタクの夢見る転生もの。▼リアルっぽい世界でインドで人買いに攫われて外れかと思ったら、ボク、バドリナード・ハルチャンドやん!▼グリフォン乗れるやん!▼ならアルフォンスに勝たなあかん。▼原作通りなんてつまらない。▼性能は勝って…


総合評価:1132/評価:7.23/完結:64話/更新日時:2026年08月18日(火) 05:00 小説情報

トローラ・ロージン転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼星団暦2988年、アドラー。▼ユーバー・バラダに雇われた傭兵騎士トローラ・ロージンは、目覚めた瞬間に自分が「もう詰んでいる」ことを悟る。▼視界いっぱいに迫る黄金の電気騎士、K.O.G.。▼本来ならここでトローラは、MHバルン…


総合評価:3095/評価:8.81/連載:63話/更新日時:2026年08月20日(木) 18:00 小説情報

アルカンフェル転生(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:強殖装甲ガイバー)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼気が付くとアルカンフェルに転生していた▼お仕置きビリビリは嫌だが、巨大小惑星の衝突は回避しないと地球丸ごと死ぬとか草。▼原作開始まで何万年?忘れない様に石板に覚えてる原作内容を書き込んでおこう。気が付いたら眠りの神殿に石板が…


総合評価:3913/評価:8.56/連載:150話/更新日時:2026年09月07日(月) 17:00 小説情報

ちゃんと軍人教育受けてるジィッドくん(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:ファイブスター物語)

ニナリスのA-B1-B1-B2-B2:VVS1・L型って見てさ。クリアランスVVS1が嫁いでくるのにジィッドくん残念過ぎないと思って妄想を形にしてみます。これミースを誘拐したり、エンジン爆破しそうにないから、死なないで済むかしら?▼ラストまで投稿したぜ。2026年6月18日完結。▼トローラ・ロージン転生「https://syosetu.org/novel/4…


総合評価:902/評価:8.5/完結:161話/更新日時:2026年06月18日(木) 00:00 小説情報

紛れも無く奴に会いたくない(作者:ぶーく・ぶくぶく)(原作:コブラ)

※本作は作者が読みたい原作改変を自給自足する趣味作です。感想や考察はありがたく拝見しますが、展開は作者の予定と趣味を優先して進めます。▼銀河パトロールに海賊ギルド、スペースオペラの世界に転生したが生憎と俺は主役じゃない。▼主役は紛れもなく奴だ。▼関わったら死ぬ。どうしろってんだ。▼


総合評価:9008/評価:8.7/短編:90話/更新日時:2026年08月05日(水) 19:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>