東青見は、そういう空気に敏感な方だった。
教室の空気とか、廊下のざわつきとか。
目に見えない“場の温度”みたいなものが、いつもより一度か二度低くなっていると、なんとなく分かる。
(……やっぱり、変だよな)
七人行方不明――そう口に出してから数日、学校全体に薄くまとわりついていたざわざわは、むしろ強くなっている気がした。
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「なあ、お前さ」
昼休み。購買帰りの男子の袖を軽くつまんで、青見は廊下の端に引き寄せた。
「この前、誰かが言ってた“深夜の歌声”の噂、詳しく知らない?」
「は? なんでお前がそれ聞いてくんの」
男子は怪訝そうな顔をしたが、パンをかじりながらも、少しだけ声を潜める。
「……なんかさ。夜中になると、学校のどっかから歌が聞こえるんだと」
「どっかって?」
「それがよく分かんねーから、噂なんだろ。音楽室だって言うヤツもいるし、体育館だって言うヤツもいるし、“どこからともなく”だって言い張るヤツもいるし」
オカルト話にありがちな“ぼかし”だ。
けれど、青見は「ふーん」で済ませられない質だった。
「歌って、どんな?」
「さあな。聞いたって言ってるやつ、全員“なんかあのメロディ様っぽい”としか言わねーから。
あ、そうそう。“本物のメロディ様の音”知ってるやつは、特にヤバいとか。……おい、なんでちょっと黙る?」
「いや、なんでも」
心臓が、ほんの少しだけ不自然なリズムを刻んだ。
(深夜の学校で、メロディ様、ね)
頭の中で、その単語同士が近づきすぎないように、わざと距離をとる。
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別の休み時間。今度は階段踊り場で、女子たちの会話に耳をそばだてる。
「ねえ聞いた? 隣町のY・Kさんの話」
「またメロディ様ネタ?」
「そう。あの人、絶対受からないって言われてた超一流大、メロディ様のおかげで受かったって」
「出た、“正しい音”がどうとかってやつ」
話している女子の一人が、やけに楽しそうに笑う。
「なんかさ、“メロディ様の音をちゃんと見つけたら、人生変わる”とか言ってなかった?」
「人生変わって行方不明とかは勘弁してほしいけどねー」
笑い声が階段に響く。
青見は、壁に背をつけたまま、無表情を装ってその会話を聞き流した。
(“正しい音”ね)
中原が消える直前に浮かべた顔が、脳裏をかすめる。
至福。解放。逃避。
――あれも、“人生が変わった”と言えるのかもしれない。
その考えにぞっとして、頭を振った。
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放課後の図書室。
貸出カウンターの横で、数人の女子がキャッキャと話している。
「ねえさぁ、メロディ様ってさ、寝る前に二回唱えるとテスト運が良くなるんだって」
「それ、もう聞いた。三回唱えると恋愛運だっけ?」
「そうそう。でさぁ、四回以上唱えると、その晩悪夢見て、寿命が唱えた年数だけ縮むって」
「いや、なんでいきなり寿命で精算されんの」
「オカルトあるあるじゃない?」
ひそひそと笑い合う声。
青見は、本棚の影からそっと覗き見て、ため息をひとつ吐いた。
(テスト運、恋愛運、寿命。便利なところだけ切り分けて噂にしてるな)
噂はいつだって“消費”される側に回る。
怖い話ですら、退屈しのぎのエンタメの一種だ。
だけど、それでいて――
(四回、ね)
ルールが決まっているあたり、本物の儀式と似ている。
試したやつが本当にいるのかどうか。
試して、戻ってこれなかったやつがいたら、どうなるのか。
思考がそこまで進んだところで、意識的にストップをかける。
(考えすぎだ)
そう言い聞かせないと、足元がずるずる滑っていきそうだった。
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「なあ、聞いたか?」
体育館裏で、ジャージ姿の男子たちが、声を潜めて盛り上がっていた。
「柳原の話?」
「そう。あの音楽の柳原先生な」
聞き慣れた名前に、青見の耳が勝手にそちらを向く。
「実は柳原がメロディ様広めた張本人だってよ」
「出たよまた。“先生黒幕説”」
「でもさー、妙にそれっぽくない? あの人、いつもどこか上の空だし。夜は夜でさ、メロディ様の力で毎晩とっかえひっかえ男替えて遊んでるとか」
「それはただの願望混じった陰口だろ」
笑い声が起こる。
青見は、体育館の壁にもたれながら、空を見上げた。
(柳原先生が広めた――)
可能性としては、なくはない。
職員室で最初に噂を知って、生徒に漏らしたとしてもおかしくはない。
(どこまでが本当で、どこからが上塗りなんだか)
柳原郁代という人間そのものが、すでに「噂」と「真実」の境界線上にいるのかもしれない。
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「ねえ、東」
帰りの支度をしていると、廊下でクラスメイトに呼び止められた。
「いなくなったやつらの話、知ってる?」
「どれの?」
「ほら、行方不明。七人もいなくなってるってやつ」
「ああ」
それを今ちょうど調べてるんだけどな、と心の中で呟く。
「なんかさ、新興宗教に勧誘されて、瀬戸内海の孤島で修行してるって話、聞いた?」
「瀬戸内海、わざわざ指定する必要ある?」
「なんかそれっぽくない? “瀬戸内の小島の謎の宗教施設”って」
確かに、“それっぽさ”は満点だ。
「でも、だったらそれこそニュースの格好のネタじゃね?」
「それもそっか」
クラスメイトはあっさり笑って、別の友達のところへ走っていった。
(新興宗教、瀬戸内、孤島)
単語だけ並べれば、それなりにホラーっぽい。
でも、どこか“本筋からわざと外している”感じが拭えない。
青見は、自分の机に戻りながら、今日一日で集めた噂を頭の中に並べてみた。
――深夜の学校から聞こえる歌声。
――メロディ様で受験に成功した誰かの話。
――回数指定付きの恋愛・寿命コース。
――柳原先生黒幕説。
――新興宗教に消えた生徒たち。
一つ一つは、よくある学校の怪談だ。
だけど、それを串刺しにする一本の線が、確かに存在しているように思える。
(全部、“メロディ様”を中心に回ってる)
まるで、音階を軸にした惑星の公転みたいに。
その中心にある“正しい音”を聞いたとき、人は――どこかへ行ってしまう。
中原の顔が、また浮かぶ。
至福の表情とともに、消えていった、その痕跡。
ペンケースを握る手に、自然と力が入った。
「……夜の学校か」
ぼそっと、独り言が漏れる。
深夜に歌が聞こえる学校。
メロディ様に引かれていく声。
行けば、何か分かるかもしれない。
行かなければ、何も分からないままかもしれない。
(で、どっちがマシなんだよ)
自分で自分にツッコミを入れる。
窓の外には、まだ明るい夕方の空が広がっている。
それが、ゆっくりと夜に変わる頃――この校舎は、どんな音を鳴らすのだろう。
思考のどこかで、すでに「行く」方向に傾いている自分を自覚して、青見は小さくため息をついた。
「……まあ、まずはもうちょい情報集めてからだな」
そう口にして、自分にブレーキをかける。
とはいえ。
夜の学校の風景が、頭の中でありありと組み上がっていくのを、完全に止めることはできなかった。