なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

35 / 240
運命来訪・青見

 

 

/*/ 運命来訪・青見 /*/

 

 

 スマホが震えたのは、ちょうどベッドにひっくり返って天井を眺めていた時だった。

 

 画面に浮かんだ名前を見て、青見は一瞬、息を止める。

 

 ――伊集院貴也。

 

 逢瀬学園の理事長。

 そして、両親を亡くした自分の後見人として、書類にも日常にも名前が載り続けてきた大人。

 

(……マジかよ、この時間に理事長からって)

 

 時刻は二十三時四十……分針が、もうすぐ真上にかかりそうなところ。

 着信を切るか一瞬迷うが、二度目のバイブがひときわ強く震えた。

 

 嫌な予感だけが、先に胸の奥で形になっていく。

 

 青見は、ため息をひとつ飲み込んでから、通話ボタンをスワイプした。

 

「もしもし……東です」

 

『ああ、よかった。起きていたね』

 

 受話口から聞こえてきたのは、あの落ち着いた、どこか眠そうな男の声だった。

 書類の中の“保護者”ではなく、何度か夕食の席を一緒に囲んだことのある、少し不器用な“大人”の声。

 

『遅い時間にすまない。驚かせてしまっただろう?』

 

「まあ……そうですね。こんな時間に理事長から電話って、テストの点数でもバレたのかと思いましたよ」

 

 半分冗談のつもりで言ったが、声は自分で思っていたよりこわばっていた。

 

 伊集院は、小さく苦笑する。

 

『そういう用件なら、もう少し人道的な時間に電話するさ』

 

 そこで、ほんの少しだけ、間を置いた。

 

『行かなくていいのかい、青見くん』

 

「……行くって、どこへですか」

 

 ベッドから上体を起こす。

 胸の奥で、嫌な鼓動がゆっくりと早くなっていく。

 

『学校だよ。逢瀬学園』

 

 伊集院は、あくまで穏やかな口調のまま続ける。

 

『彩女くんは――もう出て行ってしまったようだ』

 

 ガタッ。

 

 椅子を蹴るみたいな音を立てて、青見は立ち上がっていた。

 

「……どういう意味ですか」

 

 部屋の窓へ駆け寄り、カーテンを乱暴にかき分ける。

 隣家――安達家の二階の窓。

 

 暗い。

 

 ついさっきまで、勉強机のスタンドの光が見えていたはずの窓が、今は真っ黒だった。

 カーテンもきっちり閉まっている。

 

(……寝てるだけ、ってこともあるだろ)

 

 そう思い込もうとするのに、「出て行ってしまった」という言葉が頭の中で反響して消えない。

 

「理事長……どういう“見方”したら、そんなこと分かるんですか」

 

 できるだけ冷静な声を装ったつもりだったが、無理だった。

 

 伊集院は、少しだけ息を吐いてから答える。

 

『君の後見人でもある大人としては、“たまたま”であってほしいと願いたいところなんだけどね』

 

 そこで、声色がわずかに変わった。

 

『だが、残念ながら――あの子は、招待状を受け取ってしまった』

 

 招待状。

 

 数日前から、何度も耳にした言葉。

 メロディ様。

 消えた中原。

 音楽室。

 

「……オレには、来てませんけど」

 

 分かっていながら、つい口に出してしまう。

 

『届いているさ。君にも』

 

 伊集院は、あくまで静かに言う。

 

『ただ、気づかないふりをしてくれていただけだろう? ――それはそれで、とても人間らしい反応だけどね』

 

 図星を刺されたみたいに、言葉が詰まる。

 

 音楽室で聞いた異様な旋律。

 耳の奥に残ったざわつきを、聞かなかったことにして、ゲーセンやスパの予定で上書きしようとした自分。

 

 スマホを握る指に、知らないうちに力が入っていた。

 

「……彩女は、今どこにいるんですか」

 

『さあ。もう校舎の中かもしれないし、まだ昇降口の前かもしれない』

 

 伊集院は、慎重に言葉を選ぶ。

 

『ただ一つ、理事長として、そして君の保護者として言えるのは――零時を過ぎると、あそこは“学校”というより、別のものになる、ということだ』

 

「別の、もの」

 

『ああ。大人が作った校則や、僕が保険会社と結んだ契約より、もっと古くて縛りの強いルールが優先される場所にね』

 

「ふざけてる場合じゃないですよ」

 

 思わず声が荒くなる。

 家に今は自分しかいないのに、つい声量を落とす癖が出た。

 

「理事長なら、止められるでしょ。鍵、全部管理してるんじゃないんですか」

 

『鍵は、ね』

 

 伊集院は、かすかに自嘲するように笑った。

 

『でも、あいにく僕が持っているのは、“大人のための鍵”だけなんだ。

 ――あそこを本当に開け閉めしている鍵は、今、子供たちの手の中にある』

 

 その言い方が、普段の職員会議での彼の声と違いすぎて、余計に背筋が冷える。

 

『僕みたいな大人には、もう招待状は届かない。入ろうとしても、ガラス一枚越しの傍観者にしかなれないんだよ』

 

「だったら……」

 

 自分で分かっていて、その先を口にする。

 

「“同じ側”に立ってるオレだけが、彩女を追いかけられるってことですか」

 

『話が早いのは、君の長所だね』

 

 伊集院の声に、かすかな苦味と誇らしさが混じる。

 

『理事長としては、こんな時間に生徒に“学校へ行け”とは言えない。

 保護者としても、君の安全を第一に考えるべきなんだろう』

 

 一拍置いて。

 

『――それでも、ひとりの大人として、君に事実を伝えないで黙っているのは、もっと卑怯だと思った』

 

 その言葉が、妙に重たく胸に落ちる。

 

「場所は……“そこ”で合ってるんですね」

 

『逢瀬学園。昇降口からしか入れない。扉が“本気を出す”のは零時ちょうどだ』

 

 伊集院は、事務的な説明をするような声で続けた。

 

『零時ちょうどに、内側から鍵が閉まる。

 それ以降に着いた人間は、どれだけドアを叩いても、声も音も、もう中には届かない』

 

「……最初から、大人は入れないってわけですか」

 

『そういうことだ。

 だから――』

 

「もう、十分です」

 

 青見は、その先の言葉を遮った。

 

 これ以上、怖くなる材料は要らなかった。

 

「間に合えばいいんですよね」

 

 短く、噛みしめるように言う。

 

 伊集院は、少しだけ沈黙してから、穏やかに答えた。

 

『君が“間に合わせたい”と思うなら、ね』

 

 その声には、理事長としての距離感と、保護者としての祈りの両方が、無理やり押し込められていた。

 

『東。これは、君自身の選択だ。

 布団をかぶって朝を待つことを、僕は責めない。

でも――君が彼女の名前を呼ぶ顔を、僕は何度も見てきた』

 

 胸が、ズキッと痛む。

 

「理事長」

 

『ああ』

 

「……悪いですけど」

 

 それ以上は、言葉にならなかった。

 

 伊集院は、すべて察したように、小さく笑う。

 

『分かっている。もう一度だけ言うよ――無茶はするな』

 

「はい」

 

 返事をした瞬間、通話がプツリと切れた。

 

 静まり返った部屋の中で、スマホの画面だけが白く光っている。

 時刻表示は、二十三時四十七分。

 

(……間に合え、かよ)

 

 自分で言ったくせに、その言葉がやけに遠く感じた。

 

 それでも、次の瞬間には、身体が勝手に動いている。

 

 クローゼットからジャージの上着を引っ張り出し、裸足のまま階段を駆け下りる。

 伊集院から預けられた“緊急連絡用”のカードキーが、机の上に置きっぱなしなのを思い出し、一瞬だけ手が伸びかけたが――やめた。

 

(これは“学校”のドアじゃない。理事長の鍵じゃ、たぶん意味がない)

 

 玄関のラックからスニーカーをつかみ取り、そのままドアを開けて外に出る。

 

 冷たい夜気が、一気に肺へ流れ込む。

 街灯のオレンジ色が濡れたアスファルトを照らし、遠くの国道の低い唸りだけが響いている。

 

 靴ひもを結ぶのももどかしく、足を突っ込むだけで走り出す。

 

 

 逢瀬学園までは、自転車なら十分、走って十五分。

 今から全力で飛ばして、間に合うかどうか。

 

 それでも――

 

(間に合え)

 

 それだけを、歯を食いしばって繰り返す。

 

 夜の住宅街を切り裂くように、青見は駆け出した。

 暗い交差点も、人気のない公園も、すべて視界の端に押しやって。

 

 逢瀬学園の校舎が見える、その瞬間まで。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。