なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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an epilogue
怪異日常


 

 

/*/ エピローグ /*/

 

 

 最初に戻ってきたのは、消毒液の匂いだった。

 

(……病院、か)

 

 それを認識した途端、身体中の痛みが一斉に自己主張を始める。

 腹。胸。喉。あちこちが鈍く、重く、焼けるように痛い。

 

「――おや。目が覚めたね」

 

 軽い声がした。

 まぶたを持ち上げると、見慣れた顔がベッド脇の椅子に腰掛けていた。

 

「……理事長」

 

「やあ、東くん」

 

 いつもの紺のスーツ。きちんと撫でつけた黒髪。

 ただ、学校にいるときよりもネクタイは少しだけ緩んでいて、どこか“仕事終わり”の顔をしていた。

 

「……ここ、月城総合ですよね」

 

「うん。君、ここの常連になりつつあるね」

 

 にこにこと笑いながら、伊集院貴也は足を組み替えた。

 

「いやぁ、東くん。実にバカだなぁとは前から思っていたけど」

 

「……開口一番それですか」

 

「誉め言葉だよ? あそこまでボロボロになっても立ち上がる高校一年生、そんなにいないからね」

 

 軽口の調子はいつも通りなのに、その目の奥の疲労だけは誤魔化せていなかった。

 徹夜明けの医者のそれに少し似ている。

 

「で、だ」

 

 彼は、咳払いひとつ。

 

「あまりにも君が死にかけるものだから、少しばかり“特殊な血清”を打たせてもらったよ」

 

「……血清?」

 

 嫌な予感しかしない単語だった。

 

「うん。ざっくり言うと――

 怪異に対する“耐久度”を、人よりちょっとだけ底上げするお薬」

 

 さも簡単なことのように言う。

 

「常人よりは、だいぶ死ににくくなった。

 とはいえ、首が千切れたりしたら、さすがに死ぬのは変わりないからね。

 

 無茶は、あまりしないように」

 

「“あまり”ってつけてる時点で、する前提ですよね、それ」

 

 青見は、乾いた笑いを漏らす。

 

「特殊な、ね……」

 

 ぼそりと呟き、半眼になって理事長を見た。

 

「オレの“怪異アレルギー”が発症しそうな血清ですね」

 

 伊集院は、そこでぴたりと笑みを止めた。

 一瞬だけ、面倒くさそうに眉をしかめる。

 

「……まあ、そういう言い方も出来るかな」

 

 視線をそらし、窓の外の曇った空を見上げる。

 

「もともと私は、怪異そのものとは相性が悪くてね。

 触れれば触れるほど、アレルギーみたいに拒絶反応が出る体質なんだ」

 

「そんな人が、よく理事長なんてやってますね、この学校で」

 

「だから“直接”はあまり関わらないようにしてるだろう? ほら、君たちの前に出るときは、だいたい“普通の大人”の顔してるじゃないか」

 

「普通、ねぇ……」

 

 どこまでが本気で、どこからが冗談なのか分からない。

 いつものことだ。

 

「今回の血清も、本来なら君みたいな人間に打つべきじゃない、ギリギリアウトな代物なんだけどね」

 

「アウトなんですか」

 

「まあ、“怪異アレルギー持ち”が作った対怪異用カクテルだからね。

 設計思想の段階からだいぶ偏ってる」

 

 さらっと物騒なことを言う。

 

「ただ――」

 

 貴也は、ふっと真面目な顔になった。

 

「君が、あそこで死ぬのだけは、私が許容できなかった。

 ……それだけの話さ」

 

 言い終えてから、「おっと」と自分で照れを誤魔化すように肩をすくめる。

 

「もちろん、副作用もゼロってわけじゃない」

 

「副作用?」

 

「怪異に巻き込まれやすくなる。

 “そういう場所”に、妙に縁ができやすくなる。

 

 まあ、今さらだろうけどね。もう君、充分そういう星の下に生まれてるし」

 

「笑えない冗談ですね、それ」

 

「冗談半分、本気半分」

 

 伊集院は立ち上がり、ベッド脇に置いてあったカルテにさらさらと何かを書き込んだ。

 

「ともあれ、君は死ななかった。

 それで、私は十分満足だ」

 

 そう言って、いつもの軽い笑みに戻る。

 

「安達さんの方も、こっちでケアするから心配しないでいい。

 彼女は君と違って、“土着の怪異”の血を引いているからね。

 

 今回の騒ぎで、見事に覚醒遺伝しちゃった」

 

「……楽しそうに言いますね、理事長」

 

「そう見える?」

 

「見えます」

 

「そうかい」

 

 肩を竦めながらも、伊集院の目はどこか本当に楽しそうだった。

 

「君たちみたいな、バカで、青臭くて、それでも世界を信じようとする子どもたちってね――

 

 見ていて飽きないんだよ」

 

「こっちは命がいくつあっても足りないんですけど」

 

「だから、さっき言っただろう。

 

 ――首が千切れたりしない範囲で、無茶は控えめに、って」

 

「ハードル高すぎません?」

 

 取り留めのないやりとり。

 そのテンポが、妙に懐かしく感じられた。

 

 世界はまだ、完全には元どおりじゃない。

 怪異の影も、メロディ様の残滓も、きっとどこかに残っている。

 

 それでも。

 

 今この瞬間だけは、病室の白い天井と、理事長の軽口と――

 どこか遠くで、きっと同じ空を見上げている誰かの存在が、

 

 東青見にとっての「日常」そのものだった。

 

 

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