しばらくして戻ってきたおばさん――小西さんに、オレは「雅之さん」とやらの部屋へ案内された。
廊下を歩きながら目に入る室内のあちこちには、昭和初期からそのまま使われ続けているような、年代物の調度品が並んでいる。
どれもおそらく相当な値打ちものだろうに、この家では「家財道具の一つ」として、ごく普通に使われているようだった。
洋風の明るい壁紙。凝った細工の施された作り付け家具。
それらと古い調度品が一体になって、この家全体を「豪華でハイカラ」な空気で満たしている。
案内された部屋は、屋根裏を使った三階にあった。
天井はやや低いが、明るめの壁紙のおかげで、こざっぱりとした印象がある。
……ただ、窓のカーテンはきっちり閉じられていて、昼間だというのに部屋の中は妙に薄暗い。
それに――鼻につく匂いがあった。
何かを焦がしたような、つんとした匂い。
お香の類ではない。むしろ、少し気分が悪くなるような臭気だ。
部屋には勉強机と本棚。
机以外の家具は、どれも古く、そして大事に使われ続けているのがわかる。
道具が「一生もの」だった時代の名残が、この部屋にははっきりと残っていた。
ただ、勉強机だけはやけに新しい。最近購入されたものらしく、その上に置かれたパソコンと一緒に、この部屋の中で浮いて見える。
椅子の高さもやたらと高くて、オレが座ったら足がつかえてしょうがないだろう。
本棚はがらんとしていて、あまり本は詰められていない。
逆サイドの戸棚には、このこざっぱりした部屋には似合わない、小型の電動研磨機のような専門工具や、さまざまな色の塗料。
そして、作りかけのタマゴ細工がいくつも並んでいた。
本棚の本の背表紙をざっと眺めてみると、中学生向けの図鑑や漢字辞典のすぐ隣に、哲学や自然科学の専門書が並んでいる。
統一感はない。……ないが、カモノハシが出没していた各種サイトのジャンルを思えば、納得のラインナップでもあった。
ぼんやりと部屋を見回していると、おばさんに声を掛けられ、我に返る。
「……どうしました?」
「あ、いや。オレの部屋より広くて、いいなぁって。カモノハシ……じゃなくて、雅之さんは?」
「奥の寝室でお待ちです」
その言葉に、オレは大袈裟に目を見開いてみせた。
「! ……寝室!? なんか、場違いなとこに来ちゃったかな?」
軽口を叩いてみせたが、おばさんはくすりとも笑わない。
扉越しに「雅之さん」に声をかけ、そのまま扉を開いた。
――やっぱり、歓迎されてはいないな。
奥の寝室。
ベッドの上に腰かけて、彼――「雅之さん」がオレを待っていた。
身長はオレと同じくらい。
あの高すぎる椅子と勉強机では、とてもじゃないが勉強もパソコン操作もできそうにない。
ついでに言えば、哲学や自然科学の専門書を読みふけるタイプにも見えない。
どう見ても、オレにちょっかいをかけてきた中学の同級生たちが、そのまま大人になってしまったような雰囲気だ。
「……彼が雅之さんです。啓司さんの親戚で、今は啓司さんにお世話になっているんです」
おいおい、と心の中でツッコむ。
紹介したのはおばさんだ。
当の雅之さんは、紹介されている間も黙ったまま。
それどころか、顔を伏せ、オレと目を合わせようともしない。ひどく陰気な印象だ。
おばさんは小声で続ける。
「雅之さんは、強度の対人恐怖症で、あまり人と話すことができないんです。最近も、強い発作を起こしまして……」
説明が終わるのを待っていたかのように、彼はほとんど聞き取れないほどの小さな声で、ぼそぼそと話し始めた。
「この人嫌いの病気を治したくて、ネットでお知り合いになれた人とお会いすれば、すこしはよくなるとおもったのですが……あのメールを出した途端、急に会うのが怖くなって……どうも発作を起こしてしまったみたいなんです。すみません……」
話しているあいだも、彼はやっぱりオレを見ない。
視線はずっと床か、布団の端あたりをさまよっている。
――台詞、だな。
そう思った。
自分の言葉で嘘をつくならまだしも、「用意された台詞を演じて」嘘をつくのは難しい。
棒読みとまでは言わないが、妙な違和感が、言葉の端々にこびりついている。
「……いや、人間誰だって得手不得手はありますし、そんなに気にしなくてもいいですよ。また、具合のいいときにでも誘ってください」
オレは笑顔でそう返した。
それでも、彼は顔を上げない。
仕方なく、そばに立つおばさんに視線を向ける。
“どういうつもり?”と目で問うと、おばさんは淡々と言った。
「せっかく来ていただいたのに申し訳ありません。……今日も雅之さんの具合はあまりよくありませんので。すみませんが、今日のところはお引き取りいただけますか?」
必要な情報は、だいたい揃った。
オレは無言で頷く。
(……おばさん、替え玉使うなら、もっと人選しなよ)
そんなツッコミを、飲み込んだまま。