なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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正月1

 

 

「ちょ、ちょっと待って。留袖って、既婚女性が着るやつでしょ!?」

 

 彩女は思わず声を裏返らせた。

 日曜の午前、安達家のリビング。こたつの上には、さっきまで食べていたみかんの皮。テレビからはお正月特番のお笑い芸人の笑い声が流れている。

 

 そんなゆるい空気をぶった斬るように、お母さんの一言が飛んできたのだ。

 

「そうよ?」

 エプロン姿のお母さんは、悪びれもなくうなずく。

「だってさ、成人式まであと何年よ。あっという間よ? ご近所の“お隣さん”といい感じに続いてたら、その頃にはもう“ご結婚前提で?”とか言ってるかもしれないじゃない?」

 

「な、な、な……!?」

 

 彩女の脳裏に、何故かスローモーションで、袴姿の青見が浮かんだ。

 神社の境内、祝詞の声、ぱんぱん、と柏手の音。

 その隣で、自分が――

 

(って、なに想像してんのわたしーーー!!)

 

 彩女は慌てて頭をぶんぶん振る。

 

「そ、そういうのはさ! もっと落ち着いてから話すやつでしょ!? てか、わたしまだ高校生だよ!?」

「高校生だからこそよ」

 お母さんは妙に真面目な顔つきになった。

「今のうちから“将来のこと”を考えておかないと。振袖が着られるうちに、ちゃんと写真残しておかないと、気づいたら留袖しか似合わない年齢になってるんだから」

 

「ひどくない!?」

「なにが?」

「将来=留袖ってひどくない!? 振袖の賞味期限、短すぎでしょ!」

 

 彩女がむきになって言い返すと、お母さんは「はいはい」と笑いながら、テーブルの上に一冊の分厚いカタログを置いた。

 成人式の前撮り写真スタジオのパンフレットだ。

 

「ほら、見てごらん。こういうのはね、“着たいと思ったときには体型が変わってて入らない”ってパターンがあるのよ」

「さらっと追い打ちかけないでくれる!? てか体型って何!? 今のうちってどういう意味!?」

「そのまんまの意味よ?。お正月太りとかさ?」

 

 ぐさっ。

 

 目に見えないダメージが心に突き刺さる。

 こたつの中で、彩女は思わず足を引っ込めた。

 

「……で。なんで急に、今年振袖なの?」

 一応、話を本筋に戻す。

「んー?」

 お母さんは、にやりと意味ありげに目を細めた。

 

「だってさ。せっかく“お隣さん”が、初詣一緒に行こうって誘ってくれてるんでしょ?」

「っ……!?」

 

 図星を刺され、彩女は一瞬で顔が熱くなるのを感じた。

 

「あ、あれは! 家族同士で行こうって話で! 別に、そういうんじゃなくて!」

「へえ?」

 お母さんは、わざとらしく相槌を打ちながら、パンフレットをぱらぱらとめくる。

「“そういうんじゃない”わりには、昨日からずっとスマホ相手にニヤニヤしてなかった?」

 

「し、してないし!!」

(してたけどーーー!!)

 

 昨日の夜、青見との LINE を見返しては、ベッドの上でごろごろ転がっていた自分を思い出し、彩女はこたつ布団に顔を埋めたくなる。

 

「だいたいさ」

 お母さんは、少しだけ声を柔らかくした。

「お父さんがね、『彩女が振袖着るところ、見ておきたいな』って言ったのよ」

「……え?」

 

 意外な名前が出てきて、彩女は思わず顔を上げる。

 

「この前さ、仕事の飲み会で同僚のお嬢さんの成人式の写真見せてもらったんだって。それで、『うちもいつかこうなるんだよなぁ』って、ちょっとしんみりしちゃってね」

「お父さんが……?」

 

 あの、いつも照れくさそうにニュース見てるだけの父が?

 想像してみると、なんだか少しおかしくて、でも胸の奥がほんのり温かくなる。

 

「だからね。今年のお正月はちょうどいい機会かなって。成人式ほど堅苦しくなく、でもきちんと振袖着て、おじいちゃんとおばあちゃんにも見せてあげて、お隣さんと初詣行って――」

「今さらっと混ぜたよね!? “お隣さん”混ぜたよね!?」

「だって、どうせ一緒に行くんでしょ?」

「そ、それは……その……」

 

 否定できない自分が悔しい。

 あのメッセージ。

『明けましておめでとう、って直接言いたいし。一緒に初詣行かない?』

 何度も読み返した短い文。

 

(青見、どんな顔するかな……)

 

 頭の中に、きょとんとした青見の顔と、少し照れた笑顔が浮かぶ。

 それを想像した瞬間、自分の頬がさらに熱くなるのがわかった。

 

「……別に、振袖くらい、着てもいいけど」

 彩女は、わざとそっけなくつぶやく。

「え、なに? 聞こえなーい」

「だからっ! 着ても、いいって言ってるの! 今のうちとか成人式に留袖とか言われるよりマシだし!」

「はいはい、素直でよろしい」

 

 お母さんは満足そうに笑うと、ぱん、と手を叩いた。

 

「じゃあ決まりね。午後から着付けの先生来るから、それまでにシャワー浴びて髪ちゃんと乾かしておいて。寝ぐせのままだと先生困るから」

「え、今日!? 今から!?」

「そうよ? 何だと思ってたの?」

「もっとこう……来週とか、そのくらいかと……!?」

 

 彩女が慌ててスマホを掴むと、お母さんがちらりと画面を見てにやりと笑った。

 

「青見くんにも、“振袖で行くからよろしく”って送っときなさいよ」

「送らないから!!」

「なんでよ? もったいない。男の子ってね、そういうの、ちゃんと覚えてるんだから」

「知らないし!!」

 

 言葉ではそう言いながらも、こたつの下で親指が勝手に LINE の画面を開いていく。

 

(……『今日、振袖で初詣行くかも』……とか? いや、重い? でもちょっとは期待してもいい……?)

 

 画面の入力欄に文字を打っては消し、打っては消し。

 最終的に残ったのは、たった一行のメッセージだった。

 

『今日、ちょっとだけ気合い入れてくから。笑うなよ』

 

 送信ボタンを押した瞬間、心臓がどきん、と跳ねる。

 

「……ふふ」

 そんな彩女の様子を見て、お母さんは小さく笑った。

「やっぱり、振袖にしてよかったわね」

「な、なに勝手にまとめてるのー!」

 

 笑い声と新年の陽射しが、こたつの上でゆるく混ざり合う。

 

 今年のお正月は、どうやらいつもより少しだけ――胸が騒がしい。

 

 

 ***

 

 

 髪を結い上げられる感覚には、どうしてもくすぐったさがつきまとう。

 

「もうちょっとだけ顎引いててね。はい、そのまま」

 

「は、はい……」

 

 背もたれの低い椅子に座らされ、鏡越しに見える自分の顔と、忙しく動く着付けの先生とお母さん。

 いつものゴムでひとつ結びにするだけの髪が、今日は丁寧にブラシを入れられ、コテでふわりと巻かれ、きゅっとまとめられていく。

 

 うなじのあたりに、冷たい指先が一瞬触れるたび、くすぐったさと、妙な恥ずかしさが込み上がる。

 

(……なんか、首、すーすーする……)

 

 自分の首筋って、こんなに外に晒されてるものだっけ、と思うくらい、襟足がすっきりしている。

 

「はい、かんざし入れるね。これ、お母さんの成人式のときのやつよ」

 

「え、そうなの?」

 

「そうよ。まさか娘にまた使ってもらえるとはねぇ。ありがたいありがたい」

 

 お母さんが、わざとらしくしみじみと言いながら笑う。

 かちゃり、と小さな音を立てて、ガラス玉の飾りが髪に差し込まれると、視界の端で、しゃらん、と小さく揺れた。

 

「……彩女ちゃん、ちょっとだけ前向いてくれる?」

 

 今度は着付けの先生が声を掛ける。

 すでに振袖そのものは着せられていて、帯もぎゅっと結ばれている。さっきまで「苦しい」と文句を言っていたのも、いつの間にか忘れてしまうくらい、鏡の中の自分がいつもと違って見えた。

 

 朱と淡い桃色のグラデーションに、細かい花の模様が散っている振袖。

 帯は落ち着いた金色で、その上に小さな帯締めと、飾り紐がアクセントになっている。

 

(……わたし、ちょっとだけ、大人っぽく見える……?)

 

 鏡の中の自分と目が合って、彩女は思わず、ふいっと視線をそらした。

 

「はい、できました」

 

 ぱん、と軽く手を叩く先生。

 その瞬間、お母さんが「おぉ!」と、妙にオーバーな感嘆の声を上げた。

 

「どう? 彩女、自分で見て」

 

「え、あ、うん……」

 

 言われるままに、もう一度、鏡をじっくり覗き込む。

 

 髪は、後ろでふんわりとまとめられて、少しだけサイドの髪が残され、頬のあたりで柔らかくカールしている。

 うなじのラインがすっと出ていて、首がいつもより長く見える。

 

 振袖の裾が椅子の周りにふわりと広がっていて、その上にちょこんと座っている自分は、どこか自分じゃないみたいだ。

 

「……なんか、別人みたい」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 お母さんはにやにやが止まらない顔でうなずいた。

 

「じゃあ、立ってみて。裾の長さと帯、最終チェックするから」

 

「は、はい」

 

 ゆっくり立ち上がると、足元でさらりと絹の感触が揺れた。

 歩幅を小さくしないと、裾を踏みそうで怖い。

 

(……これで、青見の前に出るのか……)

 

 さっき送った LINE のメッセージが頭をよぎる。

 既読はついている。返事も来ていた。

 

『了解。俺も、ちゃんとした格好しとくわ』

 

(“ちゃんとした格好”ってなに……スーツ? いや、まさか……)

 

 想像が勝手に暴走しそうになったところで、廊下から「おーい」という男性の声が聞こえた。

 

「先生、ありがとうございました?。お会計こちらで……」

 

 お母さんが玄関の方へ出て行き、入れ替わるように、居間のふすまが開く音がする。

 

「おい、支度は――」

 

 途中まで言いかけて、そこでぴたりと止まった。

 

 振り向いた先。

 ふすまのところで固まっているのは、作業着からちゃんとしたセーター姿に着替えたお父さんだった。

 

 その横には、コートを脱ぎかけた青見。

 ふたりして、同じ顔で目を見開いていた。

 

「……」

 

「……」

 

 妙な沈黙が、リビングに落ちる。

 

 最初に息を呑んだのは、どちらだったのか。

 彩女には、聞き分けられなかった。

 

「な、なに? そんなに黙られると、逆に不安なんだけど」

 

 耐えきれなくなって、彩女が半歩だけ足を動かす。

 しゃらん、と髪飾りが鳴ったその音で、二人とも、ようやく我に返ったらしい。

 

「……こりゃあ」

 

 お父さんが、ぽつりと言う。

 

「……うちの娘、こんなに大きくなってたか……?」

 

「ちょっと! 育てたのあなたでしょ!? 今さら何その親目線コメント!」

 

 照れ隠しで即ツッコミを入れると、お父さんは頭をかきながら、目の端を指でこすった。

 

「いや、だってよ……。制服姿ばっか見てたからな。なんていうか、その……きれいだなって思ってな」

 

「……っ」

 

 真正面から言われて、今度は彩女の方が固まる番だった。

 

「お、お父さんに言われても、全然嬉しくないし」

 

「はいはい、そういうことにしといてやるよ」

 

 お父さんは、少しだけ誇らしそうに笑う。

 

 その横で、青見はまだ、こっそり言葉を探しているようだった。

 視線が彩女と振袖とを何度も行き来して、落ち着きなく揺れる。

 

「……なによ、青見。なんか言いなさいよ」

 

 じっと見られているのが耐えられなくなって、彩女の方から振る。

 

「え、あ、いや……」

 

 青見は、耳まで赤くしながら、ぽりぽりと頬をかいた。

 

「その……メッセージの“気合い入れる”って、こういうことだったんだなって……」

 

「そうだけど!」

 

「……似合ってる。その、すごく」

 

 短く、だけどはっきりとした声。

 

 その瞬間、さっきまで父の言葉で赤くなっていた顔が、さらに熱を帯びた。

 

「っ……そ、そう?」

 

「うん」

 

「はっきり言わないと聞こえないわよ、青見くん」

 

 いつの間にか戻ってきたお母さんが、にやにやしながら口を挟む。

 

「“すっごくきれいで、びっくりしました”くらい言ってあげなさいよ~。ね?」

 

「お、お母さん余計なこと言わないで!!」

 

「べっ、別に……それくらい、思ってるけど……」

 

「え」

 

 思わぬ追撃に、彩女の思考が一瞬止まった。

 

 お父さんは「お、おぉ~?」と、どこか楽しそうな声を上げる。

 お母さんはと言えば、もはやにやけ顔を隠す気配すらない。

 

「はいはい、はいストップ。ふたりとも、そのくらいにしておかないと、こっちがニヤニヤ止まらないから」

 

 お父さんが苦笑しながら割って入り、わざとらしく咳払いをした。

 

「じゃあ、そろそろ行くか。神社、混み始める前に」

 

「そ、そうね。彩女、草履大丈夫? 歩きづらかったらゆっくりでね。こけたら大惨事だから」

 

「フラグ立てないでよ!? 縁起でもない!」

 

 文句を言いながらも、彩女は小さく息を吸い込んだ。

 

 玄関の鏡に、もう一度だけ映る自分を確認する。

 その横には、コートを羽織った青見の姿。

 いつもより少しだけきちんとした服装で、それがまた、妙に新鮮に見えた。

 

「……じゃ、行こっか」

 

「おう」

 

 そっと並んで外に出る。

 冬の冷たい空気が、染め上げられた頬に心地よかった。

 

 背後では、玄関先で見送るお母さんとお父さんの視線が、いつまでもふたりを追いかけている。

 

「ねぇあなた」

 

「なんだ」

 

「やっぱり、振袖にして正解だったわよね?」

 

「……ああ。写真、いっぱい撮っておかないとな」

 

 そんな親たちの会話を、当の本人たちは知らないまま。

 朱と白の世界へと歩き出す、今年の最初の一歩だった。

 

 

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