なんちゃってクトゥルフ小説   作:ぶーく・ぶくぶく

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正月2

 ***

 

 神社の境内は、お正月らしい人の波でいっぱいだった。

 

 境内の石畳には、白い息がふわりふわりと浮かんでは消え、屋台からは甘い匂いや醤油の焦げる匂いが漂ってくる。

 賽銭箱の前には長い列。鈴の音と柏手の音が、絶え間なく続いていた。

 

「振袖だと、並んでるだけで写真映えするわねぇ~」

 

 後ろから、お母さんのひそひそ声。

 彩女は「うるさいなぁ」と言いつつ、内心ちょっとだけ誇らしい気持ちで、青見の横に並んでいた。

 

 ようやく順番が回ってきて、四人で並んで二礼二拍手一礼。

 彩女は目を閉じながら、こっそりと願い事を重ねる。

 

(今年も、みんな無事でいられますように。それから……)

 

 隣の気配を、そっと意識する。

 

(……青見が、少しでも笑っていられますように)

 

 隣の青見は、いつもより長く、真剣な顔で手を合わせていた。

 

 おみくじを引いて、甘酒を飲んで、露店をひやかして。

 新年らしい空気をひととおり味わったところで、安達家のお父さんが、少しだけ真面目な声を出した。

 

「……じゃあ、そろそろ行くか」

 

「うん」

 

 青見が、静かにうなずく。

 

「霊園、車出すから。一緒に行こう」

 

 彩女は振袖の裾を両手で持ち上げながら、こくりと頷いた。

 

 

 ***

 

 

 霊園までは、車で少しだけ走る。

 

 窓の外には、「賀正」だの「新春セール」だの、明るい文字が踊っている。

 けれど車内は、それとは対照的に、静かな空気が流れていた。

 

 運転席にお父さん、助手席にお母さん。

 後部座席には、振袖の彩女と、その隣に青見。

 

 帯がつぶれないように、彩女は背もたれに浅く腰掛けて、膝の上で両手を重ねていた。

 隣の青見も、どこかぎこちなく背筋を伸ばしている。

 

「……なんか、その」

 

 信号待ちのタイミングで、東がぽつりと言った。

 

「こんなとこまで付き合わせてごめん」

 

「なにそれ。変な言い方」

 

 彩女は、思わず小さく笑って首を振る。

 

「付き合うのは当然でしょ。……というか、わたしが行きたいし」

 

 その言葉に、前の席のふたりも、さりげなく頷いた。

 

「そうそう。うちとしても“ご挨拶”しておきたいのよ?」

 

「……はい」

 

 青見は、少しだけ目を伏せて、短く答えた。

 

 

 ***

 

 

 霊園に着くと、空気の冷たさが一段階違って感じた。

 

 冬枯れの木々の間から、薄い冬の陽射しがのぞいている。

 墓石の並ぶ細い道を、四人でゆっくりと歩いた。

 

「彩女、裾気をつけてな。段差あるぞ」

 

「わかってるってば」

 

 お父さんが先頭で、花と線香と小さなバケツを持っている。

 その後ろに東、少し間を空けて彩女とお母さん。

 

 やがて、「東家之墓」と彫られた黒い墓石の前にたどり着いた。

 

 昨年の夏、葬儀のあとにも来た場所。

 季節は変わっても、石の冷たさは変わらない。

 

「……ただいま」

 

 青見が、小さく呟いた。

 

 お父さんが手際よく古い花を片付け、水を入れ替える。

 青見は上着を脱ぎ、ワイシャツ姿になって、墓石を布で拭き始めた。

 

 彩女は、一歩下がった位置でそれを見守りながら、そっと帯のあたりを押さえる。

 

(……やっぱり、あの時の葬式のこと思い出す)

 

 線香の匂い、泣き声、押し殺した噂話。

 まだ一年も経っていないのに――あのときの空気は、妙に遠くて、でも鮮明だった。

 

「彩女」

 

 お母さんが小さく呼びかける。

 

「お線香、こっちに持ってきてくれる?」

 

「うん」

 

 火をつけた線香を、四人分。

 香煙がゆらりと立ちのぼる。

 

 花を供え、線香を立て終えると、自然と四人が並ぶ形になった。

 

「……じゃあ」

 

 青見が、一歩前に出る。

 

 冷たい空気の中で、その声だけが、はっきりと届いた。

 

「父さん、母さん。あけましておめでとう」

 

 指先を合わせる手は、わずかに震えていた。

 

「去年の夏から、半年ちょっとしか経ってないけど……こうして、初めての正月の挨拶に来れました」

 

 言葉をひとつずつ選ぶように、ゆっくり続ける。

 

「ひとりじゃなくて。……隣の安達さんたちと、一緒に」

 

 その横には、安達家のお父さんとお母さん。

 後ろには、振袖の彩女。

 

「学校も、ちゃんと行ってます。……部活も、走るのも続けてます。成績は……まあ、なんとか」

 

 冗談めかした言い方に、横でお父さんが「そこはもっと頑張れ」と小声でつぶやき、彩女が肘でつつく。

 でも誰も、声を挟まなかった。

 

「ちゃんと、生きてます」

 

 一拍置いて、青見はもう一度はっきりと言った。

 

「今年も、ちゃんと生きてみせます」

 

 手を合わせたまま、深く頭を下げる。

 

 ──ありがとう。

 

 口には出さなかったけれど、その言葉は確かにそこにあった。

 

 彩女も、そっと膝を折り、振袖の裾が汚れないよう気をつけながら、墓前に向き直った。

 

「……あの」

 

 自分でも少し驚くくらい、声がかすかに震える。

 

「安達彩女です。……あの時は、隣にいました」

 

 墓石に刻まれた、名前と年齢。

 石に彫られた数字の若さに、胸の奥がちくりと痛む。

 

「今も、隣にいます。……勝手に、ですけど」

 

 小さく息を吸って、目を閉じる。

 

「青見のこと、これからも、ちゃんと見てますから。……心配しないでください、って言ったら、失礼かな」

 

 くす、と小さく笑ってしまう。

 

「でも……今年も一緒に笑えるように、がんばります。どうか、見ていてください」

 

 ぺこりと頭を下げると、帯の締め付けが少しだけきつくなったように感じた。

 

 安達家のお父さんも、一歩前に出る。

 

「ええと、改めまして。安達と申します」

 

 不器用に頭を下げる。

 

「こいつには、うちの家族がお世話になってます……と言うべきか。こっちが世話してるつもりで、逆に助けられてるところも多いですけど」

 

 そう言って、ちらりと青見を見る。

 

「勝手ながら、これからも、うちの子のひとりみたいに扱わせてもらいます。……怒ってませんよね?」

 

 墓石に向かって、冗談めかした語りかけ。

 でも、その声色には、確かな敬意と感謝が混じっていた。

 

 お母さんも、ふんわりとした笑みのまま、手を合わせる。

 

「いつも、うちでご飯食べてくれてありがとうございます。食べっぷりがいいから、作りがいがあるのよ」

 

 そこでふっと真面目な顔になる。

 

「まだ、いなくなってからそんなに経ってないから……心配ごとがないわけじゃないでしょうけど、この子、ちゃんと前を向いて生きてますよ。だから、どうか、あんまり心配しすぎないであげてくださいね」

 

 四人分の言葉と、四人分の沈黙が、冬の空の下に溶けていく。

 

 線香の香りと白い息が、ふわりと混ざり合った。

 

 

 ***

 

 

 帰り道。

 

 水桶を返し、霊園の出口に向かう石段を、ゆっくり降りていく。

 

 振袖で段差を下りるのはなかなかの難題で、彩女は片手で裾を押さえ、もう片方で石段の手すりをつかんでいた。

 

「大丈夫か?」

 

 隣で、青見がさりげなく腕を差し出す。

 

「だいじょ……ん?」

 

 言いかけたところで、足元の砂利に草履がすべって、体がぐらりと傾いた。

 

「わっ――」

 

「おっと」

 

 とっさに支えられ、なんとか転ばずに済む。

 

 ぐいっと引き寄せられた拍子に、振袖の袖と東のコートが触れ合った。

 

「……ありがと」

 

「だから言ったろ、段差気をつけろって」

 

「うるさいな」

 

 口ではそう言いつつも、腕を離さずに、そのまま最後の段まで一緒に降りる。

 

 少し前を歩いていたお父さんとお母さんは、振り返りもせずに、妙に楽しそうな雰囲気だけ背中に漂わせていた。

 

 駐車場に向かう途中、青見がふいに口を開く。

 

「……今日は、ありがとな」

 

「え?」

 

「神社も、墓も。振袖で来てもらうなんて、なんか、悪かったかなって思ってたんだけど」

 

「別に。着たいから着ただけだし」

 

 彩女は、わざとそっけなく言い捨ててから、少しだけ声を落とした。

 

「それに……わたしも、ちゃんと挨拶したかったし。青見の“大事な人”に」

 

 その言葉に、東は一瞬、息を飲んだようだった。

 

 冬の薄い陽射しの中で、彼は小さく笑う。

 

「……うん。ちゃんと、伝わってると思う」

 

「なにそれ。勝手に通訳しないでよ」

 

「俺の親だからな」

 

 その言い方が、妙に自然で。

 彩女の胸の中にも、じんわりと灯がともる。

 

 車に戻ると、お母さんがさっそく振り返った。

 

「さ、次はうちでお雑煮よ。ふたりとも、まだまだ写真撮るから覚悟しときなさい」

 

「え、まだ撮るの?」

 

「当たり前でしょ。今日のこれは、“家族行事”なんだから」

 

 “家族”という言葉に、青見の表情が一瞬だけ揺れる。

 けれどすぐに、照れ隠しのように窓の外へ視線を向けた。

 

 遠ざかっていく霊園の入り口がバックミラーに映り、その先には、さっきまで手を合わせていた墓の方角が――冬空の向こうに続いている。

 

(見ててね。今年も、ちゃんとやってくから)

 

 青見が心の中でそっと呟く。

 新しい年の空は、どこまでも澄み切っていた。

 

 

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