/*/ 冬キャンプ・湯上がりの焼肉 /*/
日がすっかり山の向こうに沈むころ、二人はテント場から少し歩いた場所にある日帰り温泉施設にいた。
「じゃ、ここで一旦解散」
「うん。あんまりのぼせないようにね」
「そっちこそ」
ロビーで待ち合わせ時間を決めて、それぞれ男女の暖簾をくぐる。
──温泉を出るころには、外はもう完全に夜だった。
青見はさっと髪をタオルで拭いて、脱衣所で慣れた手つきで服を重ねていく。
速乾のTシャツ、その上に厚手のロンT、フリース、さらに薄手のダウンジャケット。
ボトムはタイツ+厚手のジャージ+防風パンツ。
首にはネックウォーマー、ニット帽もかぶる。
(よし。これなら、そうそう冷えない)
一方その頃、女子脱衣所では。
「着込みすぎかな……いや、山だしね」
彩女も負けじと重ね着していた。
長袖インナーにトレーナー、その上に中綿ジャケット。
タイツに裏起毛スウェットパンツ、足元は厚手の靴下を二重。
さらに、その上から青見が「風避けに便利だぞ」と貸してくれた大きめのマウンテンパーカーを羽織る。
鏡に映った自分の姿を見て、思わず笑った。
「誰よこれ。体操部っていうか、雪山部じゃない」
それでも、湯冷めするよりはずっといい。
髪をひとつにまとめてニット帽をかぶり、ロビーへ向かう。
合流した二人は、互いの格好を見て、思わず吹き出した。
「もこもこ」
「お前もな」
外に出ると、温泉施設の明かりの外側から、キンとした冷気が押し寄せてくる。
吐く息が、街で見るよりずっと白い。
「じゃ、戻るか。炭起こさないと」
「うん!」
ヘッドライトをつけて、足元を照らしながらキャンプ場へ戻る。
テントのそばには、小さな焚火台と、炭に火をつけるための道具一式が置いてあった。
「じゃ、火起こすから、そのあいだ肉の準備頼む」
「了解。肉係は任せなさい」
青見は焚火台の上に炭を組み、着火剤に火をつける。
やがて「パチッ」と小さな音を立てながら、炭がオレンジ色に灯り始めた。
うちわで仰ぐたびに、火の粉が星みたいに舞い上がる。
その横で、彩女は折りたたみテーブルの上にスーパーのパックを並べていた。
「タン塩、塩カルビ、塩ハラミ……ホルモン。順番は?」
「最初はタン塩から。そっから塩ものカルビとハラミ。ホルモンは後半に回して、最後に網きれいにしてもう一回塩ものだな」
「ふむふむ、プロみたいなこと言うじゃない」
炭がいい具合に白くなってきたところで、焼き網を乗せる。
じんわりと金属が熱を帯びて、手をかざすと気持ちいい。
「よし、そろそろいけるな。タン置くぞ」
「はい、タン祭りスタート」
タン塩を何枚か網に乗せると、すぐに「ジューッ」と食欲をそそる音が弾けた。
塩とレモンの香りが、冷たい空気の中でくっきりと立ち上る。
「おー……これは反則だわ」
彩女が思わず身を乗り出す。
厚手の手袋越しにトングを握って、そっと裏返すと、ちょうどいい焼き色がついていた。
「ほい、一枚目、あんた先に」
「いいのか?」
「焼き担当の特権で二枚目もらうから大丈夫」
紙皿に乗せたタンを、青見がメスティンの横に置く。
メスティンはすでに火から下ろして蒸らし中だ。
「いっただきます」
一口噛んだ瞬間、タンの歯ごたえと塩気、レモンの酸味が一気に広がって、
二人同時に「うまっ」と声を漏らした。
「やばい、これご飯ないと無理なやつ」
「そのご飯がもうすぐだ」
青見がメスティンの蓋を、慎重に開ける。
もわっと立ち上がる湯気。ふっくらと炊き上がった白いご飯。
「成功」
「おぉー!」
彩女の顔がパッと明るくなる。
「じゃ、盛るぞ。彩女、茶碗持って」
「はいはい……っていうか、こういうの、完全に夫婦キャンプよね」
「縁起でもないこと言うな」
「よく言うわね」
軽口を叩きながらも、炊きたてご飯にさっきのタン塩を乗せると、もう反則級だった。
「次、塩カルビいくか」
「お願いします!」
カルビが網の上でジュウジュウと脂を落とし、その脂が炭に落ちて炎が軽く上がる。
炎の揺らぎが、二人の顔をオレンジ色に染めた。
「青見、寒くない?」
彩女が、ご飯をかきこみながらふと尋ねる。
「ん? まあ、手はちょっと冷えるけど。焚き火あるしへーきだな。
彩女は? 寒くない?」
「大丈夫。着込んでるから」
そう言って、マウンテンパーカーの胸元を軽くつまんで見せる。
「中、層になってるからね。ヒートテックにトレーナーにジャージにタイツに……」
「それ以上は言わなくていい。防寒への執念は伝わった」
「湯冷めして風邪ひいたら、キャンプどころじゃないし」
そう言いながらも、彩女は焚き火に手をかざし、ほっとしたように息をついた。
「でもさ」
カルビをひっくり返しながら、ぽつりと言う。
「こうやって湯上がりで着込んでさ、外で焼肉って、なんか……変だよね」
「変か?」
「変っていうか、贅沢?」
見上げれば、街よりずっとたくさんの星が見える。
遠くの方では、別のサイトのランタンがぽつぽつと灯っているだけで、音はほとんど聞こえない。
「温泉入って、湯冷めしないように着ぶくれして、ご飯炊いて、野外焼肉してさ。
なんか、“ちゃんと生きてる”って感じする」
「……そっか」
青見は、少しだけ照れくさそうに笑った。
「そう言ってもらえるなら、連れてきた甲斐あったな」
「一応言っとくけど」
彩女は、ご飯の上にカルビをどん、と乗せながら続ける。
「今度連れてきなさいよ、って言ったの、わたしだからね。
あんたが勝手にサービスしてるわけじゃないから」
「はいはい」
ホルモンのパックを開けながら、青見が苦笑する。
「じゃ、そろそろホルモン投入するか」
「きた!」
ぷりぷりのホルモンが網の上で踊るように縮み、脂がじゅうじゅうと落ちていく。
煙の匂いがさっきまでと少し変わり、よりこってりとした香りになった。
「これは絶対ご飯泥棒」
彩女がトングでつまんだホルモンをご飯の上に乗せて、一気に頬張る。
噛むほどに広がる脂とタレの味に、目を閉じて「んー」と小さく唸った。
「……やっぱりキャンプめんどくさい」
「いきなりどうした」
「だってさ。こういうの知っちゃうと、また来たくなるじゃない。
テスト終わらせないと来られないのに」
「それは、まあ……がんばれ」
「うん。がんばる。また来たいから」
網の上のホルモンが少し落ち着いたところで、青見がトングを動かす。
「じゃ、一回ここでホルモン終わらせて、網きれいにして、もう一回塩もの焼くか」
「締めのタン塩?」
「贅沢にいくか」
「賛成!」
使い込まれたタワシで網をさっとこすり、炭火の上で余分な脂を焼き切る。
そこに再び、塩タンとカルビを控えめな量だけ並べた。
焼ける音と、焚き火のはぜる音。
吐く息の白さと、指先のかじかみと、それを溶かすような肉の温度。
夜のキャンプ場で、二人だけの小さな焼肉屋が、静かに最後の営業を続けていた。