昼休みに重役出勤!
午前中にカモノハシ――三森の家を訪ねたオレは、その足でMTB(マウンテンバイク)を飛ばして学校へ向かっていた。
古いと言っても、この街が本格的に発展したのは明治以降だ。
「昔ながらの街並み」と呼べるのは、戦火を逃れた大正、昭和初期の建物が、ところどころ坂の途中に残っているくらい。
その緩やかな坂道を下り、別の高校の脇を駆け抜け、幹線道路に出たところで、その流れに沿ってペダルを踏み込む。
秋の風が全身を通り抜けていく。
今頃の日差しは強すぎず弱すぎず、世界をやわらかく照らしていて――正直、このへんの土手で昼寝でもしたくなる。
今から行けば、ちょうど昼休みの半ばには学校に着くだろう。
オレの学校――私立・逢瀬学園高等部。
元は女子高で、もうすぐ創立百年になろうかという古い学校だ。一昨年、老朽化した校舎を建て直したのと同時に、ようやく共学化。名前もそのタイミングで改名された。
制服は、女子が紺のブレザーに同色のフレアスカート、白シャツ。
男子は紺のスラックスに白シャツ、ブレザー、そして緋色のネクタイ。
もちろん、オレも今、その一式を着込んだまま三森家を訪ねてきたわけだ。平日の昼間に。
普通なら「学校は?」とか一言あっても良さそうなものだが、小西おばさんはそこに一ミリも興味を示さなかった。
……なんというか、つまらない。
少しきつめの上り坂が見えてくる。
総重量十キロほどのMTBのギアをこまめに切り替えながら、足に負荷を乗せて上っていく。
上りきったところで、今度は一気に下り坂。風がさらに冷たくなる。
逢瀬学園は県内でも有数の進学校だが、同時に伝統ある合唱部が全国区で名を知られている。
今年は体操部――正確には機械体操部も全国大会に出場して、ニュースになった。
……まぁ、それは別の話だ。けど、ほんの少しだけ自慢したい気持ちはある。当人にその気があれば、だけど。
昼休みでざわめく校門を抜け、そのまま校内に滑り込む。
駐輪場にMTBを止め、前後輪とフレームに鍵をかける。さらに三つ目の鍵で駐輪場の柱に固定してから、しゃがみ込んでズボンの裾を留めていたマジックベルトを外し、鞄に放り込んだ。
昇降口から校舎に入り、まず職員室へ顔を出す。
どうせ小言の一つや二つは覚悟していたが、意外にもあっさりと紙切れ一枚を書かされただけで済んだ。
進学校の生徒――のはずのオレだが、夏以降は遅刻や自主早退が目立つようになっている。
目の前で両親を殺され、精神的な異常を疑われて病院に「収容」されていたこと。
そこから脱走し、数日後に保護されたこと。
その辺の詳しい経緯を知っているのは、教師たちだけのはずだ。
……それでも、二学期に入ってから、オレは校内で目に見えて「浮いた存在」になった。
それまでの友人も、いつの間にか離れていった。
素行が悪いわけではないから、教師たちも口うるさくは言わない。
結果として、オレは同級生からも教師からも、どう扱っていいかわからない存在になっている。
寂しくないと言ったら、嘘になる。
でも――まぁ、仕方ないさ。
「おはよう」
ガラッと扉を開けて教室に入る。
もう昼休みもそこそこ過ぎている時間で、弁当を広げているクラスメートの姿はない。
三々五々に集まっておしゃべりしたり、トランプをしたり、本を読んでいたりと、みんな思い思いに過ごしている。
視線が一斉にオレへ向く。
けれど、誰も上手く声をかけられないらしく、すぐに目をそらした。
その様子を見て、オレは「まあ、仕方ないか」と心の中で苦笑する。
ここは進学校だ。遅刻や自主早退なんてほとんどいない。
そんな中で、オレには“夏の一件”があった。
「猟奇殺人」という言葉を知っていても、
目の前で両親を亡くした同級生に、どんな言葉をかければいいのか――
そんなものを持っている高校生が、そうそういるわけがない。
そうでなくても、「死」は日常から遠い。
教室の空気が、ほんの少しだけ重くなる。
そんな中で、一人の女子が立ち上がり、まっすぐオレのところに歩いてきた。
長いポニーテールがよく似合う、目鼻立ちのはっきりした少女。
「あんた、『おはよう』じゃないわよ」
「あ、彩女。おはよう」
怒ったような――いや、実際かなり怒っているんだろう――声でオレに話しかけてきたのは、安達彩女(あだち・あやめ)。
女子としては背が高い方で、一年前まではオレより背が高かった。
今は、拳二つぶんくらいオレの方が大きいけれど、癖なのか、いまだに少し見下ろすような目線でオレを見る。
夏以降、何かと世話を焼いてくれる幼馴染。
ありがたい存在だけど、正直、あまり怒らないでほしい。
「まったく。わたしより早く家を出たあんたが、どうして今頃学校に来るわけ?」
当然の質問だ。
……けど、「学校サボって、顔も本名も知らないネット友達の家に行ってました」とは、とても言えない。
「…………ちょっと、父さんたちのとこに……」
「……あ……ごめん……」
自分で言っておいて、卑怯な手だと思う。
そんなことを言われたら、昔からオレの両親を知っている彩女に、強く出られるはずがない。
気まずそうに視線をそらした彩女の首筋。
きめ細かい白い肌が、クラスの中でもひときわ目立って見える。
数年前、一足先に成長期を迎えた彩女は、背丈でもオレを追い越し、「お姉さん風」を吹かせていた。
男のオレより大きくなったのをいいことに、ちょっとしたことでよくケンカもした。
けれどオレも成長期を迎え、背丈が並び、やがて追い越したころには――
彩女は細くしなやかに、オレは太く逞しく、それぞれ違う方向に伸びていったんだな、と実感した。
「あれ? この間も行ったばかりだったろ、墓参り」
横合いから声が飛んでくる。そちらを見ると、制服の白いブレザーがよく映える、すらりとした少年が立っていた。
口の悪い男、伊藤惣一郎。
身長で彩女に抜かされたことを未だに気にしていることを除けば、実に良い友人だ。
この二人だけは、夏の出来事の前と変わらず、普通にオレに接してくれる。
二人がいなかったら、たぶんオレは学校に来なくなっていたと思う。
誰が悪いという話じゃない。
ただ、クラス全体が一歩だけ引いた場所にオレを立たせる中で、その距離を埋めるように間に立ってくれる二人――
そこにいてくれることが、ひどく嬉しい。
「あんまり偉そうなこと言えた義理じゃねえけどな。墓の前でしょぼくれてるお前を見ても、おじさんたちは悲しむだけだろ……って、聞いてるか?」
「……ああ、そうだな。……ん、ごめん。気、使わせたな」
「分かりゃいいのさ」
惣一郎が、いつものように朗らかに笑う。
それに、彩女がすかさず突っ込む。
「……惣一郎、青見はあんたほど能天気じゃないわよ」
「ひどいこと言うね。俺は前向きに生きてるだけさ」
「そうね。あんたは一方向にしか進まないけど、青見はどこに行くのか分からないもの」
「……どっちだって、自分の前だろ」
彩女の、どこか失礼な物言いに、ボソッと返すと――
「違いねぇな!」
惣一郎が楽しそうに笑い、オレも彩女もつられて一しきり笑った。
◇
「そうそう、青見。あんたも来なさいよ」
何かを思い出したように、彩女がオレの腕を掴み、クラスメートたちの輪へと引っ張っていく。
同じ輪の中にいた惣一郎に首を向け、「何?」と目で問うと、彼が肩をすくめて言った。
「ほら、流行ってるだろ、“メロディ様”」
「……ああ、あれか」
“メロディ様”というのは、半年ほど前からうちの学校で流行っている――まあ、一種のおまじないだ。
やり方はシンプルで、短いフレーズのメロディーを口ずさむだけ。
ちょっとした幸運が欲しいときや、寝る前にお祈り代わりに歌うのだという。
この“メロディ様”の特徴は、みんなが口にしているメロディーが「本物」ではない、という噂だ。
本当に正しい音階は別にあり、
それを“偶然”見つけてしまったとき、とてつもない効果があらわれる――らしい。
だから、誰もが少しずつ音を変えながら、自分なりの“メロディ様”を歌っている。
このおまじないを楽しんでいる生徒たちは、メロディーを唱えて何か良いことがあったとき、そのときの音階を大事に覚えておく。
そして、友達同士で情報を交換しながら、「本当の音」を探し当てようとするのだ。
――成長していくおまじない。
そういうゲーム性のある要素が、この流行が長続きしている理由だろう。
うまくいかなければ「まだ音が正しくないせいだ」と思えるし、昼休みの話題としてもちょうどいい。
興味がないので、オレはこれまで一切関わってこなかったが、
ここまで“しつこく”流行り続けていることには、正直、異常さえ感じていた。
美しいメロディーではある。
耳に心地良く、すぐ覚えられる。
だからこそ――逆に、なんだか怖い。
「それの楽譜みたいなのが見つかったのよ!」
彩女や、星夜たちが囲んでいるのは、古めかしい和綴じの本だった。
表紙には、大きく一文字。
「は」
それしか書かれていない。
開かれているページを覗き込むと、五線譜のようなものが記されている。
ただ、普通の楽譜と違うのは、横線が五本ではなく「九本」あること。
そして、音符の位置にあるのは丸ではなく、×印だ。
だが、その九本線を五線譜に見立てて×印を読んでいくと――
確かに、“メロディ様”で聞き覚えのあるメロディーによく似ていた。
もっとも、この奇妙な楽譜(と呼んでいいのか分からないが)があったところで、
あの微妙な音階を完全に再現するのは難しいだろう。
それでも、今まで他人から聞かされてきた“メロディ様”よりは、ずっと「正しさ」に近い参考にはなりそうだ――そう思えた。