/*/ ひな祭り、安達家 /*/
桃の節句の午後。
安達家のリビングには、段飾りのひな人形がずらりと並び、ぼんぼりの淡い灯りがふわっと部屋を染めていた。
「ちょ、ちょっと待って、また!? なんでまた振袖なのよ!」
和室。
座卓の上には帯やら腰紐やらが並び、その真ん中で彩女が両手を広げてつかまっている。
その背中に、お母さんが手際よく帯を回しながら笑った。
「せっかく、仕立てて貰ったんだし、着ないともったいないでしょ」
「せっ、せっかく!? 仕立てた!? いつの間に!?」
「この前の成人式の前撮りの時よ。ほら、おばあちゃんがね、あなたの身長に合わせてって」
ぐい、と帯を締められて、彩女が「うぐっ」と情けない声を漏らす。
「……サイズぴったりで変だなとは思ったけど」
「変じゃないの。ちゃんと測ってもらったんだから」
「聞いてないんだけど!? わたしの知らないところでわたしの振袖の話が進んでるの、なんか怖いんだけど」
お母さんは苦笑しながら、帯締めを結んで整える。
「怖くない怖くない。かわいい孫のためにって、一生懸命選んでもらったのよ。あ、そうそう」
「……なに」
「おばあちゃんも来るって」
「はぁ!? 聞いてないんだけど第二弾!」
そのとき、玄関の方からチャイムが鳴った。
「はーい、おばあちゃんたち来たわね。彩女、ちょっとそのまま待ってて」
「この格好のまま放置しないでよ!」
ばたばたと廊下を行く足音が遠ざかり、やがてにぎやかな声が混じって戻ってくる。
「まあまあ、立派に飾ったねぇ」
「ひなあられの匂いがするのう」
やって来たのは、背筋の伸びた、かくしゃくとしたおばあちゃんと、少し丸くなった背中に優しい目をしたおじいちゃんだった。
「おばあちゃん、いらっしゃい」
「よく来てくれたわね、お母さん、お父さん」
あいさつの声に続いて、ふすまがすっと開く。
「――あらあらまぁ」
振袖姿の彩女を見て、おばあちゃんの顔がぱぁっと花開いた。
「どう?」
「どう、じゃないわよ……」
朱色がかった地に、淡い花模様の振袖。
髪もゆるく結い上げられ、いつもより数段“女の子っぽい”彩女に、おじいちゃんも思わず目を細めた。
「似合っとる、似合っとる。やっぱりあの寸法で正解じゃったな」
「勝手に話を進めた共犯者がここにもいた」
彩女がじとっと睨むと、おばあちゃんはけろっと笑った。
「いいじゃないの。女の子は、着られるうちにいっぱい着ておかないとねぇ」
そこへ、廊下からもう一つの足音。
「青見くん、こっちよー」
お母さんの声に続いて、ちょっと緊張した面持ちの青見が、廊下から顔を出した。
「お、おじゃまします……」
「いらっしゃい、青見くん。上がって上がって」
靴を脱ぎ、手土産を持ってぺこりと頭を下げる。
「あ、これ……たいしたものじゃないんですけど、桜餅と、うぐいす餅……」
「まぁ、気を遣わせちゃってごめんね。みんなであとでいただきましょう」
和室に通され、青見は改めて振袖姿の彩女を見て、目を丸くした。
「……その、似合ってます」
「見ないで」
「無理だろ、それは」
彩女がむくれ顔でそっぽを向いているあいだに、おばあちゃんとおじいちゃんが、じぃっと青見の方を見つめた。
「……?」
「……ふむ」
視線に気づいた青見が、背筋を伸ばす。
「あ、あの、はじめまして。東青見です。いつも彩女さんにはお世話になってて」
「まあまあ、しっかりあいさつできる子だこと」
おばあちゃんがうんうんと頷き、おじいちゃんの方を肘でつつく。
「どうだい、あんた」
「うむ……」
おじいちゃんは青見の目をじっと覗き込むように見て、それから、ふっと笑った。
「良い目をしとる。若い頃を思い出すの」
「ちょ、ちょっとおじいちゃん!? 何その判定基準!」
彩女が慌てて割り込もうとするが、おばあちゃんはさらに一歩前に出た。
「そうだねぇ。真面目そうで、芯が強そうで……うん、いいねぇ」
「い、いえ、そんな……」
急に褒められて、青見の方もどう反応していいかわからず、耳まで赤くなる。
「じゃあ、決まりだね」
おばあちゃんがぽんっと手を打った。
「え、なにが!?」
「婿殿、よろしくね」
「ぶ、婿殿!?」
あまりにもさらっとした一言に、場が一瞬フリーズした。
「ちょ、ちょっと待っておばあちゃん! なに勝手に“婿殿”呼び始めてんのよ!?」
「いいじゃないの、呼び方くらい」
「よくないわよ!!」
「……えっと、その……」
完全に固まっている青見に、おじいちゃんが苦笑いを向ける。
「すまんのう、うちのばあさんは口が先に動くタイプでな」
「い、いえ……あの、その……よ、よろしくお願いします……?」
条件反射みたいにそう返してしまってから、自分で言った言葉の意味に気づき、さらに真っ赤になる。
「ちょっと青見! そこで“よろしくお願いします”って言っちゃうのもどうなのよ!」
「ご、ごめん、なんか勢いで……!」
お母さんはそのやり取りを見て、手で口元を押さえながら笑いをこらえていた。
「ま、まあまあ彩女。おばあちゃんたちの前でそんな怒鳴らないの」
「だってぇ……!」
ひとしきり騒いだあとで、ふと、おばあちゃんがやわらかく笑った。
「でもね、彩女」
「……なに」
「誰かの“婿殿”って呼べるくらい、気に入った子がそばにいてくれるのは、女の子の親にも、ばあちゃんにもね、嬉しいことなんだよ」
急に真面目なトーンになって、彩女は言葉に詰まる。
「……べ、別に、そういうんじゃ」
「そういうのじゃないって言い張る顔じゃないねぇ」
おじいちゃんが「はは」と笑い、話題をそっと変えた。
「さ、せっかくのひな祭りだ。ちらし寿司が冷めんうちに、みんなで囲もうじゃないか」
「そうね。青見くん、おひな様の前、ここ座って」
段飾りの前。
桃の花の飾りと、ひなあられの甘い匂いに包まれながら、青見は遠慮がちに正座する。
その隣に、振袖の裾を気にしながら座る彩女。
「……なんか、落ち着かない」
「俺もだよ」
「そっちじゃない」
横目でにらみつけると、青見は小さく笑った。
「でも、その……きれいだよ、彩女。振袖」
「……知ってる」
そう言いながらも、彩女の耳はほんのり赤い。
ぼんぼりの灯りが、二人の横顔にあたたかく揺れていた。