幼馴染の朝
◆ 日曜の朝・糧としての幼馴染 ◆
日曜の朝。
伊東惣一郎の部屋には、ぼんやりとした光がカーテン越しに差し込んでいた。
ベッドの上では、惣一郎が静かに眠っている。
布団は少し乱れていて、枕元には昨晩読みかけのマンガと、飲みかけのスポーツドリンク。
どれがどこにあるのか――この部屋の主と同じくらい、それをよく知る人間がひとりいた。
扉を開けて入ってきた愛香は、当たり前のように靴下を脱ぎ、いつもの位置に揃えて置く。
机の上のプリントをきちんと揃え、床に転がったTシャツをつまんで椅子の背に掛ける。
まるで自分の部屋であるかのような手際だった。
(今日も、ちゃんとここにある)
視線は、乱れたベッドの中央――惣一郎へと向かう。
かすかに開いた口から、規則正しい寝息が漏れていた。
「惣くん、朝だよ」
名前を呼びながら、愛香はベッドの縁に腰を下ろす。
しかし、彼を本気で起こそうとする気配はない。
ただ、見つめていた。
薄い布団越しでもわかるほど、惣一郎の手首は細い。
昔はもう少し、骨太な印象があったはずだ。
伊集院の血を濃く引く家系。
本来なら、成長すれば二メートル近くになる――
そんな「はず」だった男の子。
「……ごめんね」
愛香は笑いながら、申し訳なさそうに小さく呟く。
いつもの癒し系の笑顔。
誰もが安心し、頼りたくなる微笑み。
だが、その瞳の奥には、別の色が揺らいでいた。
そっと、惣一郎の胸に手を置く。
ゆっくりと、優しく撫でるような仕草で。
――じわり。
空気が、きしんだ。
愛香の指先から、目には見えない何かがにじみ出て、逆流するように惣一郎の身体へと沈み込んでいく。
いや、違う。
沈み込んでいるのは、惣一郎の側だった。
胸の奥から、薄く淡い光が滲み出し、
霧のようなそれが、愛香の指先へと吸い寄せられていく。
生命力。
精神力。
彼が、将来の背丈や、未来の体力として蓄えていたはずの「成長のためのエネルギー」。
(今日も、ちゃんとある。惣くんは、本当に……丈夫だね)
愛香の心の中だけで、静かな感嘆がこぼれる。
見た目は線の細い少年。
だが、その中身は人外の血を引く丈夫さを持っている。
だからこそ――
「ふふ……今日も、たくさんごちそうさま」
囁きは、彼の耳には届かない。
代わりに、惣一郎の寝息が少しだけ弱くなる。
アブホースの落し子の一種として生まれた存在。
人の形に近づくため、人の精神力と生命力を糧とする種。
愛香は、そんな自分の出自をよく知っている。
人の姿を保つために。
この世界で「完璧な幼馴染」として振る舞うために。
料理も勉強もスポーツも、すべてこなす“理想像”でいるために。
惣一郎は、とても都合が良かった。
伊集院の血。
普通の人間よりも濃く、強い生命の泉。
第二次成長期の手前から、少しずつ、少しずつ――
彼が気づかない程度の量を、長い年月をかけて啜り続けてきた。
「本当なら、もっと背が伸びてた頃だよね」
愛香は、指先にまとわりつく光を、さりげなく自分の胸元へと沈める。
吸い込まれたそれは、彼女の肌の下で淡く脈動し、
人間離れした「丈夫さ」として固定されていく。
「でも、いいよね。惣くんが今のままでも、わたしは好きだし」
そう言って、彼の髪を撫でる。
その声色に偽りはない。
惣一郎への感情は、本物の「好き」だ。
――だからこそ、手放せない。
糧としても、幼馴染としても。
カーテンの隙間から差し込む光が、二人の影を床に落とす。
惣一郎の影は、どこかアンバランスだ。
頭と胴の比率に対して、手足がわずかに短い。
本来あり得たはずの「高さ」が、ごっそりそぎ落とされたように。
それは、誰の目にもただの錯覚にしか見えない。
愛香以外には。
「これからも、よろしくね。惣くん」
いつもの、朝の挨拶と変わらない口調で。
愛香はそう囁き、そっと手を離した。
惣一郎は、何も知らないまま、安らかな寝顔を続けている。
自分が愛しているつもりの幼馴染に、自分が彼女を貪っているつもりでいる間じゅう、
彼の「中身」をかじっていたのが、ほかならぬ愛香だったことを。
成長のための未来まで、少しずつ食べられていることなど――
夢にも思わないで。