昼前。
朝食を終えて、惣一郎の部屋でダラダラしていたときだった。
「ねえ、惣くん」
ベッドに腰かけた愛香が、何気ない調子で口を開く。
机の上のマンガをめくっていた惣一郎が、顔だけこちらを向けた。
「ん?」
「最近さ、ブラのカップが合わなくなってきちゃってさ。
午後から買い替えに行こうかなって思ってるんだ」
言い方はさらっとしている。
けれど、その内容に、惣一郎の手がぴたりと止まった。
「ぶ、ブラ……?」
微妙に声が裏返る。
「うん。肩の紐が食い込んで痛いし、アンダーもきつくなってきたから。
ちゃんとしたの買わないと、肩こりとかひどくなるんだって」
「へ、へぇ……」
目は明らかに泳いでいる。
それでも、どうにか平静を装おうとしているのが見え見えだった。
愛香は、わざと何でもない風に笑う。
「色とかもさ、変えようかなって思って。いつも白とかピンクばっかりだから」
その一言で、惣一郎の脳内に、何かがバチンと点ったのが分かった。
「お、おれはさ! その……黒とか、いいと思うけどな!」
早口だった。
「黒?」
「うん、なんかこう、大人っぽいっていうか! お前、なんでも似合うからさ!
あと、紫とかも……落ち着いた感じでさ、いいんじゃね? その、あの、その……!」
言いながら、自分で何を言っているのか分からなくなっている様子だ。
耳までほんのり赤くなっている。
(ああ、もう)
愛香は、肩をすくめるように笑った。
「ふふ、惣くん、案外こだわりあるんだね」
「ち、違う! こだわりっていうか、その、たとえばの話で……!」
必死に否定しながら、しかし頭のどこかでは、自分好みの色を身につけた幼馴染の姿を想像しているのだろう。
彼の視線が、どこを見ていいのか分からず、空中を彷徨っている。
(……黒か、紫か)
愛香は微笑みながら、表には出さずに計算を始める。
(この前、サイズ測り直したときより、また少し増えてたんだよね。
次で、たぶんワンカップ上がるかな……)
胸のサイズ。
惣一郎には「女の子の成長」として映っているそれは、
実際には、彼から少しずつ吸い取った生命力と精神力が、
目に見える形になってあらわれているだけだ。
(ワンカップ上がるのに、惣くんの身長、何センチぶん使ってるんだろうね)
ふと、そんな考えが頭をよぎる。
頭の中に、子どもの頃の身長計が浮かぶ。
玄関の柱に刻まれた印。
本来なら、もっと上の方に刻まれていたはずの線が――
何本分か、すっぽり抜け落ちているイメージ。
(五センチ……いや、もっとかな。ずっと前からだから、合計したら結構なものかも)
それを想像しても、罪悪感は不思議なほど薄い。
惣一郎は、ちゃんと生きている。笑っている。
彼女にとって都合のいい「今の身長」で、隣にいる。
それなら、少しくらい――いいじゃないか、と。
「じゃあさ」
愛香は、あくまで明るく言った。
「黒と紫、見てみるね。似合うのあったら、惣くんのセンスのおかげってことで」
「ま、マジで!? ……いや、その、別に、どっちでもいいけどさ!?」
口では取り繕いながら、目は期待でキラキラしている。
自分の妄想が、どれだけ“コスト”のかかった願望なのかなど考えもせずに。
(うん、じゃあ――)
愛香は心の中だけで、そっと付け足す。
(黒をひとつ。紫をひとつ。
それから、惣くんの身長を、あと数センチぶん)
笑顔は、いつも通りやわらかい。
癒し系の完璧幼馴染としての顔。
その奥で、アブホースの落し子としての本性が、
静かに、計算高く舌なめずりをしていることに――
惣一郎は、やっぱり気づかないままだった。